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神文王
神文王(しんぶんおう、生年不詳-692年)は新羅の第31代の王(在位:681年–692年)であり、姓は金、諱は政明(『三国史記』新羅本紀・神文王紀の分注には明之... |
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新羅王
秦氏と新羅王伝説 皆神山すさ/著 出版社名 : 彩流社 出版年月 : 2010年4月 ISBNコード : 978-4-7791-1527-1
( 4-7791-1527-2 ) 税込価格 : ... |
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孝昭王
新羅の第32代の王(在位:692年–702年)であり、姓は金、諱は理洪(『三国史記』新羅本紀・孝昭王紀の分注には理恭ともいう)。先代の神文王の長子であり、母... |
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景徳王
新羅の第35代の王(在位:742年–765年)で、姓は金、諱は憲英。先代の孝成王の同母弟であり、父は33代聖徳王、母は順元(2等官)の娘の。王妃は舒弗邯(1等官... |
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玄宗
唐の第6代皇帝(在位:712年-756年)。諱は隆基。治世の前半は開元の治と呼ばれる善政で唐の絶頂期を迎えたが、後半は楊貴妃を寵愛したことで安史の乱の原因... |
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法興王
新羅の第23代の王(在位:514年-540年)であり、姓は金、諱は原宗。『冊府元亀』には姓を募、名を泰(『梁書』『南史』では名は秦)として伝えられる。先代の... |
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孝成王
新羅の第34代の王(在位:737年-742年)。姓は金、諱は承慶。先代の聖徳王の第2子であり、母は順元伊飡(2等官)の娘の。王妃は初め(朴?)永宗の娘を立てて... |
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恵恭王
恵恭王(けいきょうおう、758年-780年)は新羅の第36代の王(在位:765年-780年)であり、姓は金、諱は乾運。先代の景徳王の嫡男であり、母は舒弗邯(1等官)... |
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南解次次雄
新羅の第2代の王(在位:4年-24年)であり、姓は朴。二聖と称される新羅始祖赫居世居西干と閼英夫人との間の長子。王妃は雲帝夫人(または阿婁夫人)。紀元4年... |
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基臨尼師今
新羅の第15代の王(在位:298年-310年)であり、姓は昔氏。第11代の助賁尼師今の孫であり、父は(昔)乞淑用飡、母の名は伝わらない。『三国史記』新羅本紀・... |
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神武王
神武王(しんぶおう、生年不詳–839年)は新羅の第45代の王(在位:839年)であり、姓は金、諱は祐徴。第38代元聖王の曾孫であり、父は上大等金均貞、母は朴氏... |
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百済
古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年-660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅... |
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武則天
唐の高宗の皇后。中国史上唯一の女帝となり、武周朝を建てた(在位:690年10月16日-705年2月22日)。日本では則天武后(そくてんぶこう)と呼ばれることが多... |
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文武王
新羅の第30代の王(在位:661年–681年)であり、姓は金、諱は法敏。先代の武烈王の長子であり、母は角干(1等官)の金舒玄の娘(金庾信の妹)の文明夫人。王妃... |
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武烈王
新羅の第29代の王(在位:654年-661年)であり、姓は金、諱は春秋。父は第25代真智王の子の伊飡(2等官)の金龍春(龍樹とも記される。後に文興葛文王と追封)... |
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真興王
新羅の第24代の王(在位:540年-576年)であり、姓は金、諱は彡麦宗または深麦夫。『北斉書』には金真興として現れる。父は先代の法興王の弟の立宗葛文王、母... |
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宣徳王
祖父を元訓角干、父を孝方海干(4等官)、母を四召夫人、王妃を狼品角干の娘の具足王后とする。780年4月に先代の恵恭王を殺して王位に就いた。宣徳王以降を新... |
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善徳女王
新羅の第27代の王(在位:632年-647年)。新羅初の女王であると同時に、日本の推古天皇に続いて東アジア2例目の女性君主である。奇しくもその在位期間は同じ... |
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元聖王
元聖王(げんせいおう、生年不詳-798年)は新羅の第38代の王(在位:785年-798年)であり、姓は金、諱は敬信。第17代の奈勿尼師今の十二世孫であり、父は一吉... |
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金富軾
高麗の官僚・儒学者であり、慶州金氏という新羅王室に連なる門閥貴族である。朝鮮に現存する最古の歴史書である『三国史記』を編纂し、後に楽浪郡開国侯を賜... |
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プロフィール
聖徳王(せいとくおう、生年不詳-737年)は新羅の第33代の王(在位:702年–737年)であり、姓は金、諱は興光。元の名は隆基であったが、唐の 玄宗と同名であったため712年に唐の勅命によって改名させられた。第31代の 神文王の第二子であり、母は一吉飡(7等官)の金欽運(『三国史記』新羅本紀・ 神文王紀の分注には金欽雲)の娘の神穆皇后。王妃は順元伊飡(2等官)の娘の。先代の 孝昭王は同母兄であり、 孝昭王が子を儲けないままに702年7月に死去したため、王位に就いた。
治世
| 先王の死に対して唐の武則天から慰霊の使者を受け、聖徳王は爵号を全て引き継いで<新羅王・輔国大将軍・行左豹韜尉大将軍・鶏林州都督>に冊封された。 |
| 玄宗が即位した後の713年10月には、<驃騎将軍・特進・行左威衛大将軍・使持節・大都督・鶏林州諸軍事・鶏林州刺史・上柱国・楽浪郡公・新羅王>に進号されている。 |
| 721年7月には渤海への対策として北辺の国境地帯に長城を築いており、渤海が唐の登州(山東半島)に攻め込んだ際には、唐から733年7月に<開府儀同三司・寧海軍使>に進号されるとともに勅を受けて渤海の南部を攻めた。 |
| この出兵については大雪が降ったことと進路が狭隘であったこともあって、新羅軍の大半は死亡し功績を挙げることなく退却することとなったが、新羅と唐との間に勢力を増してきた渤海への対抗という利害の一致からも、唐との親密な関係が再構築され、735年には唐から正式に(大同江)以南の領有を認められることになった。 |
| また、唐に対しては頻繁に朝貢・賀正使の派遣を行ない、王子・王弟を唐皇帝の宿衛や国学に入らせるなどしており、親密な関係を維持するとともに、文物の導入に寄与した。 |
| 704年3月の『最勝王経』、717年9月の「十哲七十二弟子図」などが聖徳王代にもたらされたものとして記録に残っている。 |
| 一方、日本に対しては警戒の度合いを高め、722年には毛伐郡城(慶尚北道慶州市外東面)を築いて日本の賊の侵入を防ぐ構えとした。 |
| 731年には日本の戦船300艘が東部海岸に攻め寄せて辺境を襲ったがこれを撃破した731年の日本と新羅との交戦については、『続日本紀』など日本側の記録にはみられないが、8世紀頃の記事については両者で一致しない例が多い。 |
| (→井上訳注1980p.287)。 |
| 中央官僚機構について、713年には礼部の下に典祀署を創設、714年には詔書・上表文を職能とする詳文司を通文博士に改称、717年には医博士・算博士を創設するなど、細かな整備を進めた。 |
| また、新羅の中央貴族の代表である上大等について、従来は王の在位中の退任が認められなかったが、728年には聖徳王は上大等の裴賦の退任を許可し、新羅における上大等の最初の解任例となった。 |
| 王権を支える中央集権的官僚機構が整備されていくとともに、貴族連合政体の弱体化していったことの現われと見られる→井上1972。 |
| 国内では705年10月、706年と続けて不作に見舞われて餓死する民が多く、これに対して大いに施しを行なった。 |
| この大飢饉と施しのことについては三国史記』『三国遺事』の両書が伝えており、よほどの大飢饉であったと考えられている。 |
| この大飢饉以外にも在位中には度々の天変地異があった。 |
| 在位36年にして737年2月に死去。 |
| 聖徳と諡され、『三国史記』新羅本紀に拠れば移車寺の南に埋葬された『三国遺事』王暦では陵は東村の南、あるいは楊長谷にあるという。 |
| 死後、唐からは<鴻臚少卿・太子太保>の官爵を追贈された。 |
参考文献
| 『三国史記』第1巻金富軾撰井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫372〉、1980ISBN4-582-80372-5。 |
| 『完訳三国遺事』一然著金思燁訳、明石書店、1997ISBN4750309923(原著『完訳三国遺事』六興出版、1980)。 |
| 井上秀雄『古代朝鮮』、日本放送出版協会<NHKブックス172>、1972ISBN4-14-001172-6。 |
| 『朝鮮史』武田幸男編、山川出版社<新版世界各国史2>、2000ISBN4-634-41320-5。 |
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