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肝付兼護

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肝付兼亮
肝付兼亮(きもつきかねあき、永禄元年(1558年)-寛永11年(1634年))は肝付兼続の次男。大隅の肝付氏十八代当主。1571年、兄・肝付良兼の死去によって家督...
肝付氏
日本の氏族の一つであり、大隅の戦国大名でもあった。__TOC__
肝付良兼
大隅国の戦国大名。肝付兼続の嫡男で、肝付氏の第17代当主。。天文22年(1553年)、父の隠居に伴い当主となるが、実権は依然として父が握っていた。永禄9年(...
肝付兼続
大隅の戦国大名。肝付氏の第16代当主。
島津氏
資料種別 : 一般書 書 名 : 琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻 シリーズ名 : 著者名 : 上里 隆史/著 出版者 : ボーダーインク ...
島津義弘
島津義弘公とは? 天文4年(1535)島津家第15代貴久公の次男として、鹿児島県南部に位置する伊作(いざく)の亀丸(かめまる)城にて生まれる。祖父、日新公...
伊東氏
伊東氏(いとうし、いとううじ)は平安時代末期から鎌倉時代にかけて伊豆国田方郡伊東荘(現静岡県伊東市)を本貫地としていた豪族。藤原南家・藤原為憲の流...
島津貴久
戦国時代の武将。薩摩の守護大名・戦国大名。島津氏の第15代当主。
肝付兼幸
肝付兼幸(きもつきかねゆき、文禄元年(1592年)-慶長15年12月11日(1611年1月24日))は安土桃山時代から江戸時代初期の武士、鹿児島藩藩士、肝付氏本家20...
島津豊久
安土桃山時代の武将。父は島津家久、母は樺山善久の娘。妻は島津忠長の娘。幼名は豊寿丸。字は又七郎。初期の名は忠豊。官位は侍従、中務大輔。法名は天岑昌運。
プロフィール
  • 肝付兼護とは
肝付兼護(きもつきかねもり、永禄4年(1561年)-慶長5年9月15日(1600年10月21日))は肝付兼続の三男。大隅の肝付氏十九代当主。子に兼幸。1574年に兄の肝付兼亮島津氏に臣従することを余儀なくされた。しかし兼亮は伊東氏と友好関係を結んでいたため、母や重臣達によって追放される。兼護は他家に養嗣子として出されていたが、その後継者として呼び戻され、当主として擁立された。このような経緯もあり、兼護には実権が無かった。所領は高山城のみ安堵されたが、1580年にはその所領を没収され、ここに大名としての
1574年 兄の肝付兼亮は島津氏に臣従することを余儀な...
1580年 その所領を没収され、ここに大名としての肝付...
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