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プロフィール
- 胡錦濤とは
- 先祖・系譜
- 生い立ち
- 小学校から高校まで
- 清華大学
- 大学卒業後
- 清華大学における政治闘争
- 甘粛省におけるダム建設
- 甘粛省建設委員会への異動
- 胡耀邦との出会い
- 党総書記・国家主席
- 上海幇との主導権争い
- 道徳規範
- 外交
- 台湾
- フォーブス誌
- 関連サイト
胡錦濤(こきんとう、 フー・チンタオ、1942年12月21日-)は、中華人民共和国の政治家。 江沢民の後任として、2002年に第4代中国共産党中央委員会総書記、2003年に第6代中華人民共和国主席、2004年には第5代中国共産党中央軍事委員会主席に就任。中華人民共和国の現在の最高指導者である。胡が党総書記へと上り詰める過程は、若く、実践的で、官僚的な共産党員の確立を示しており、過去の中国の指導者からの変化を表している。彼の人生の転換点は、中国共産党への入党、甘粛省建設委員会への異動、中国共産主義青年団への参加、チベット自治区党委員会書記としての活動、そして、
先祖・系譜
| 先祖は安徽省績渓県出身・兵部尚書にまで出世した胡宗憲『胡錦涛と現代中国』4ページ。 |
| 胡錦濤の曾祖父で胡氏44代目の胡永源は、16、7歳のころに同郷の商人に連れられて各地を転々とし、江蘇省泰州黄橋にて雑貨店を始める。 |
| 貯金がたまると、同郷の者たちとの共同出資で、茶葉専門店「裕泰和」を開業する。 |
| 経営はほとんど友人に任せて自分は奉公先の雑貨店で働き続けた。 |
| その後収入が増えると、新しく開いた茶葉専門店「胡永泰」を持つようになった。 |
| 「裕泰和」は、同郷人が出資金を引き上げたことで胡永源の店となった『胡錦涛と現代中国』11ページ。 |
| 胡永源の一人息子で45代目の胡樹銘は、黄橋と季家市にある2軒の店を父から受け継いだ。 |
| 彼には4人の男児がいたが、長男と三男は早世し、次男の胡炳華が「胡永泰」「裕泰和」の2軒を引き継いだ。 |
| 4男であり、胡錦濤の祖父でもある胡炳衡は幼少時から読書を好み、科挙の合格を目指すも挫折を繰り返し、志半ばで死去。 |
| 胡炳衡には2人の息子がおり、次男胡増鈺(1917年生まれ)が、胡錦濤の父親にあたり、のちに「静之」と改名する『胡錦涛と現代中国』12ページ。 |
生い立ち
| 上海(中国共産党の公式発表によれば「安徽省績渓」)に生まれ、江蘇省姜堰市で育つ。 |
| 曽祖父・胡永源が、商売のため故郷を離れて江蘇省に移り住んだことから、胡錦濤もこの地に移った。 |
| 父・胡増鈺は泰州姜堰高校を卒業後、上海の小学校で教員として働く。 |
| 同地で江蘇州東台出身で南通女子師範学校卒業の李文瑞と出会い、1941年に結婚、翌年の12月に胡錦濤が生まれている。 |
| 胡は長男であり、その下に2人の妹(胡錦蓉、胡錦萊)がいる。 |
| 胡錦蓉は江蘇省姜堰市建設局幹部を経て、現在は大手建設会社正太集団有限公司副董事(副会長)を務め、胡錦萊は泰県にて商業関係の会社に勤めている。 |
| 生活苦のため、一家は1948年に上海から泰州に戻る。 |
| 胡増鈺夫妻は地元の小学校で教員をしながら、茶の販売も続けていた。 |
| 7歳のときに母が死去したことで、胡は妹2人とともに泰州の祖母のもとに引き取られた。 |
| 胡は物静かな子供で、よく1人で本を読んでいたという。 |
| 毛沢東による中華人民共和国の建国後も、父は茶の販売による収入で生活費の不足を補ったが、経営手腕が乏しかったために店員さえも雇えず、家族はあまり裕福ではなかった。 |
| 胡増鈺の身分は「小営業主」(農民や労働者よりも身分が低いが、地主や資産家のようなブルジョアよりはずっと高かったという)と決められたが、この身分が幸いして息子の胡錦濤は大学への入学および中国共産党への入党を認められた『胡錦涛と現代中国』13ページ。 |
| 1956年、毛沢東によって中国政府は工業と商業の国有化政策を実施し、各地の私営企業主は個人所有の商店を国や集団へ売却させられた。 |
| 胡増鈺の店は泰州市日用雑貨会社に合併され、月給30元の経理係として雇われた。 |
| 数年後、毛沢東は知識人や幹部に地方の農村部で肉体労働に就くよう呼びかけた。 |
| 胡の2人の妹は泰県の農村部に移住し、父・胡増鈺も泰県の農村部にある日用雑貨会社に転勤した『胡錦涛と現代中国』14ページ。 |
| 胡増鈺は文化大革命で告発され(同時に身分の低い血統であったこともあり)、熱心に父の評判を明らかにしようとしていた胡に大きな影響を与えた。 |
| 文化大革命後、父は泰県の農村にて病没した。 |
| 当時甘粛省で仕事をしていた息子の胡錦濤は、泰県に戻って父の葬儀を執り行った。 |
| 遺骨は祖父の胡永源と同じく、故郷の龍川に埋葬された。 |
| その位牌は、胡氏一族の廟に祀られている。 |
小学校から高校まで
| 胡錦濤は、2人の妹とともに泰州市内の西倉通りにある大浦中心小学校に通った『胡錦濤と現代中国』19ページ。 |
| 1947年9月にこの小学校に入学する。 |
| 小学校時代の同級生の回想によると、家柄の良くない胡は政治活動に興味を抱き、読書に没頭していたという。 |
| 授業態度はまじめで、家での予習復習も怠らなかった。 |
| 成績は優秀であり、飛び級により、1953年6月に10歳6ヶ月半で小学校を卒業し、中学校は泰州第二中学校に通った『胡錦涛と現代中国』20ページ。 |
| 1956年9月、泰州第一中学校高等部1年4組に入学する。 |
| この学校の大学進学率は100%で、江蘇省でも名門の進学校である。 |
| ここの旧校舎は現在は中学部として使われ、高校部は泰州の新市街地に移った。 |
| 学校の史料館員によれば、「安定書院」跡地に創立されたという。 |
| 高校での胡は成績優秀であり、体育以外の科目で90点以上を取った。 |
| 高校3年生のときには級長に選ばれている。 |
| また、歌やダンスに秀でていた。 |
| 当時の胡について、教員は「小柄な彼はスポーツはあまり得意ではなかったが、リーダーシップがあり、文芸が得意で、よくクラブ活動に参加した。 |
| 文化祭のときにはコーラスの指揮者となり、大活躍した」という『胡錦涛と現代中国』21-22ページ。 |
| 級長に選ばれた3年生のときには、「政治的自覚が強く、クラスメートをよくまとめ、各種の学習および学外活動を自主的におこなった。 |
| まじめに学習し、率直な性格のもち主で、責任感が強く、何事も積極的かつ公平に進めるタイプである」と書かれている『胡錦涛と現代中国』22ページ。 |
| 一方で、高校時代の同級生によると、当時の胡は内向的で口数が少なく、クラスでは決して目立つ存在ではなかった。 |
| 小柄なため体育は苦手だったが、卓球だけは得意だった。 |
| 成績は上位であったが、一番ではなかった。 |
| 1959年に清華大学に入学した際には、教員や同級生からは意外に思われたという。 |
| 16歳半で同大学水力学部に入学した胡錦濤は、当時ではもっとも若い新入生であった。 |
| 高校の数学教員・葉鳳梧によると、入学志望校の願書提出の際に、清華大学を希望するならば、日頃の成績と家庭の出身を考えて、人気はあるが審査の厳しい学部よりも志望者の少ない学部を志望したほうが受かる可能性が高い、とアドバイスを与えたという。 |
| そこで胡は、清華大学水力学部河川基幹水力発電専攻を志望した。 |
| ここの卒業生は、ほとんどが地方(または辺境)のダム(水力発電所)に配属されるため、学生にはあまり人気がなかったという。 |
清華大学
| 1959年9月、清華大学水力エンジニアリング学部に入学する。 |
| 胡錦濤は友人に「本当は政治家ではなくエンジニアになりたかった」と語ったことがあるという『胡錦涛と現代中国』29ページ。 |
| 胡が清華大学に入学した頃の中国は大躍進政策による農業政策の失敗と自然災害に起因する飢饉に見舞われており、学生の食事は質素なものであった。 |
| 主食は小麦粉とトウモロコシの蒸しパン各1個ずつ、野菜炒め、白湯一杯であった。 |
| 当時の清華大学の食堂には椅子がなく、学生たちは立ち食いしていた。 |
| 胡のような南方出身の学生たちは、子供の頃から米食で育ったため、小麦粉とトウモロコシには慣れていなかった。 |
| 彼らにとっては白米が一番の贅沢であった『胡錦涛と現代中国』33-34ページ。 |
| 同級生の回想によると、胡は歌とダンスが上手で、キャンパスで注目される存在であったという。 |
| 入学後まもなく文芸宣伝工作団に入り、部隊隊長に選ばれた『胡錦涛と現代中国』36ページ。 |
| 大学在学中、胡は同級生の劉永清と知り合う。 |
| 理工系の大学である清華大学は女子が少なく、女子学生が少ない水力学部における彼女の存在は、男子学生にとっては憧れの的であった。 |
| 学生たちの唯一の楽しみとして、週末のダンスパーティーへの参加があり、踊れる者もそうでない者も、土曜日の夜になると学生クラブに集まった。 |
| ダンスに秀でていた胡錦濤は常にパーティーの主役であり、女子学生たちからは王子様のように見られていた。 |
| 胡は女子からの誘いを断らなかったが、視線は目立たないところに静かに座っている劉に注がれていた。 |
| 恋人の劉にも小説を勧め、本を貸し借りし、互いに感想を述べあい、小説の話題を仲立ちとしてより親密になっていった『胡錦涛と現代中国』40ページ。 |
大学卒業後
| 清華大学在学中の1964年4月、中国共産党に入党。 |
| 翌1965年7月に清華大学水力エンジニア学部を卒業後は、同大学の水力エンジニアリング学部政治指導員として大学に残り、仕事をしながら大学院に進学して研究を続ける『胡錦涛と現代中国』41ページ。 |
清華大学における政治闘争
| 1966年4月23日、清華大学に政治部が発足し、胡錦濤ら新任の政治指導員と、各学部の共産党支部書記600名が加わった。 |
| 同年6月1日、『人民日報』は「いかなる悪人をも打倒せよ」という社説が掲載された。 |
| 中央人民ラジオ放送局は夜のニュース番組で、北京大学の壁新聞(大学報)と人民日報の「北京大学の壁新聞を歓迎する」という社説を放送し、「北京大学党委員会が北京市党委員会と協力して北京大学の学生運動を抑圧した」と非難した。 |
| この翌日、清華大学に「あなたは誰の指揮に従うか」というビラが貼られ、清華大学の学長・蒋南翔の、政治問題を回避し、学術研究を重視する姿勢が非難された。 |
| 6月5日、北京市党委員会の新メンバーが送り込んだ人物が、清華大学党委員会の責任者に対して「今から清華大学の全ての行政権は工作組の指導下に置かれることを通知する。 |
| 1968年4月、北京紅衛兵主要指導者の1人が、反対派弾圧のために清華大学にて100日間にわたる武力闘争を引き起こし、学生と労働者部隊との間で戦争さながらの激しい戦いを展開して多数の死傷者を出した。 |
| 同年7月25日、毛沢東は紅衛兵主要指導者5人を出頭させ、労働者たちの背後の「黒い手」が自分であることを明かし、清華大学の学内の秩序はようやく回復された。 |
甘粛省におけるダム建設
| 1966年4月3日、再教育プログラムを終えた彼らは、一旦大学に戻って一週間の総括を行ってからそれぞれの配属先の会社に赴いた。 |
| 劉永清は、水利部直属の甘粛省第4ダム建設局813支局に配属され、八盤峡ダム水力発電所の建設現場で仕事を始めた『胡錦涛と現代中国』41-42ページ。 |
| 1969年から1974年にかけて、水利部第4工事局でも技師として働いたNathan,AndrewJ.( |
| 1971年に長男の胡海峰(清華同方威視技術股份有限公司社長)、1972年に長女の胡海清(新浪前CEO夫人)を儲けている『胡錦涛と現代中国』64-65ページ。 |
甘粛省建設委員会への異動
| 1974年9月15日、新華社通信が「黄河流域の青銅峡ダム発電所工事がほぼ完成した」というニュースを配信した。 |
胡耀邦との出会い
| 1981年9月、甘粛省党委員会は、胡錦濤を、鄧小平の娘(鄧楠)と胡耀邦の息子・胡徳平とともに、中国共産党中央党校にて共産党の高級幹部となるための訓練を受けさせることを決定した。 |
党総書記・国家主席
| 2002年11月15日、党総書記に選出された胡錦濤は、翌2003年3月15日、第10期全国人民代表大会第1回会議において国家主席に就任。 |
上海幇との主導権争い
| しかし、2008年3月15日の第11期全人代第1回会議にて、胡錦濤自身は再び国家主席に選出され、国家中央軍事委員会主席にも選出された" |
道徳規範
| 胡錦濤の政策は、前任者のイデオロギー、すなわち、江沢民の3つの代表、鄧小平理論、そして、時代の中心であった毛沢東思想とは異なり、社会的・経済的目標を課すことに反対して道徳規範を成文化したものへ推移している。 |
外交
| 胡は外交政策として、ベネズエラ、イラン、ロシア、カナダ、オーストラリアのようなさまざまな国と同盟を結んでおり、江のアメリカ中心の政策からの脱却に集中している。 |
| 現に、2006年3月31日の橋本龍太郎らの訪中団に対しては「過去も未来も覇権主義をとるつもりはない」とし、「他国を武力で威圧する意思はない」と明言している。 |
台湾
| 接触の増加は、2005年4月、国民党主席(当時)の連戦と胡との歴史的な会談を含めて、2005年の泛藍連盟の政治家による中国大陸訪問で最高潮に達した。 |
フォーブス誌
| 欧米諸国の指導者と違い、インターネットを検閲することも、反体制派を投獄することも、うるさい官僚や裁判所に患わされることなくできる」と、胡錦濤を皮肉ったものであった |
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結婚、翌年の12月に胡錦濤が生まれている |
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胡 錦濤(こ きんとう、フー・チンタオ)は、... |
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