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つながりの強いひと
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河口慧海
黄檗宗の僧侶。仏教学者にして探検家。幼名を定治郎という。僧名は慧海仁広(えかいじんこう)。中国や日本に伝承されている漢語に音訳された仏典に疑問をお... |
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寺本婉雅
愛知県海東郡出身で、日本人として3番目にチベットに入った東本願寺の僧である。 |
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江本嘉伸
江本 嘉伸(えもと よしのぶ)
横浜市生まれ。地平線会議代表世話人 ジャーナリスト。元読売新聞編集委員 東京外国語大学山岳会会員、日本山岳会会員。南北... |
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島村抱月
島村抱月(しまむらほうげつ、1871年2月28日(明治4年1月10日)-1918年(大正7年)11月5日)は日本の文芸評論家、演出家、劇作家、小説家、詩人。新劇運動の... |
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奥山直司
奥山 直司 おくやま なおじ 1956年、山形県生まれ。東北大学大学院博士課程修了。現在、高野山大学教授。専門は仏教文化史。著書に『評伝 河口慧海』(中公文... |
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南条文雄
日本の明治・大正期に活躍した仏教学者・宗教家。南條文雄とも表記される。字は碩果、松坡。近代以前からの伝統的な仏教研究の上に、西洋近代の実証的・客観... |
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金子民雄
著者情報 金子 民雄 1936年、東京生まれ。日本大学商学部卒業後、中央アジア史、東南アジア史の調査・研究を続ける。哲学博士(本データはこの書籍が刊行され... |
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成田安輝
成田安輝 【なりた-あんき】 1件の用語解説(成田安輝で検索) Tweet デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説 成田安輝 なりた-あんき  ... |
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青木文教
ダライ・ラマ13世の書簡やチベットから請来したコレクションが所蔵されている。 |
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長田幸康
チベットに渡航し、仏教文化を巡るツアーの現地コーディネートを担当している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 第1章 悩み、... |
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矢島保治郎
矢島保治郎(やじまやすじろう、1882年(明治15年)8月23日-1963年(昭和38年)2月13日)は日本の探検家、軍人。四川省からのルートで初めてチベット入りした... |
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多田等観
多田等観(ただとうかん、1890年(明治23年)7月1日-1967年(昭和42年)2月18日)は僧侶、仏教学者。明治末から大正にかけてチベットに入り、チベット仏教を... |
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野元甚蔵
某所にて「野元甚蔵さんの米寿と長寿を祝う会」。 1939年から約1年間、ダライラマ14世が即位した当時のチベットに滞在、今年数えで88歳を迎える野元さんが法王... |
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西川一三
日本の情報部員。日中戦争下に内モンゴルより河西回廊を経てチベットに潜行。戦後インドを経て帰国。 |
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山口瑞鳳
日本の仏教学者、チベット学者。東京大学名誉教授、成田山仏教研究所客員研究所員。文学博士(東京大学、1979年)。石川県鳳至郡門前町(現・輪島市)生まれ... |
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井上円了
仏教哲学者、教育家。多様な視点を育てる学問としての哲学に着目し、後に東洋大学となる哲学館を設立した。また、迷信を打破する立場から妖怪を研究し『妖怪... |
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木村肥佐生
木村肥佐生 『チベット潜行十年』 から 2009年07月11日 | 抜き書き もと毎日新聞社、1958年7月刊。
彼〔ガヤツェレン。カンパ人〕の話によると、この辺の者... |
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ダライ・ラマ14世
第14代のダライ・ラマ。インドのダラムシャーラーに拠点を置くチベット亡命政府ガンデンポタンの長である。法名はテンジン・ギャツォ()。またチベット民族... |
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石濱裕美子
東京都出身のチベット学者。1990年、早稲田大学大学院文学研究科史学科後期課程単位取得退学(東洋史学専攻)。文学博士。現在、早稲田大学教育・総合科学学... |
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プロフィール
- 能海寛とは
- 経歴
- 著書
- 関連項目
- 参考文献
- 関連サイト
能海寛(のうみゆたか、1869年(明治元年)-1903年(明治36年)?)は、チベットを探検した真宗大谷派の僧、仏教学者。
経歴
| 島根県那賀郡波佐村(現在の浜田市金城町)長田にある浄蓮寺住職の能海法憧の次男として生まれる。 |
| 京都に出て、西本願寺の普通教校で学ぶ。 |
| 1890年(明治23年)慶應義塾に入学し、外国人教師サー・エドウィン・アーノルドについて化学を専攻し、次いでウォルター・ウェストンに登山学を学び、チベット登山への計画を立て始めた。 |
| 学費が続かなくなったことにより、慶應義塾を中退し、哲学館(現在の東洋大学)で学ぶ。 |
| 哲学館では、南条文雄に多大な影響を受ける。 |
| 1893年(明治26年)『世界に於ける佛教徒』を自費出版し、その中で、チベット大蔵経の原典入手の重要性、チベット探検の必要性を説いている。 |
| 1898年(明治31年)に結婚するも、同年11月、上海に向け神戸港を出港する。 |
| 1899年(明治32年)8月、大谷大学教授の寺本婉雅とともに、四川省の巴塘(パタン)からのチベット入りを試みるも、身の危険のため断念する。 |
| 1900年(明治33年)8月、新疆省(現在の新疆ウイグル自治区)からのチベット入りを試みるが、やはり、難路と危険によって引き返す。 |
| 1901年(明治34年)4月18日、今度は雲南省の大理府から「今からチベットに入るため音信不通となる」という内容の手紙を発信した後、消息を絶つ。 |
| その後、伊東忠太一行がミャオ族の建築物研究に雲南省のチベット国境付近に赴いた際の調査により、能海は1903年(明治36年)ごろに同地で土賊に襲われ死去したらしいということが判明した長沢和俊『日本人の冒険と探検』、白水社、1973年、306頁。 |
| ただ、『金剛般若経』や『金光明経』などの蔵本(チベット語経典)や仏像類などの資料を日本に送っている。 |
| それらの資料は、大谷大学と金城町歴史民俗資料館に所蔵されている。 |
| 1982年(昭和57年)、生家浄蓮寺の境内に顕彰碑が建立されている。 |
| また、1986年(昭和61年)以降、浄蓮寺から、自筆の地図、スケッチや、日記などを含む多くの新出資料が発見された。 |
著書
| 『能海寛遺稿』五月書房1998年ISBN4772702156。 |
参考文献
| 隅田正三『チベット探検の先駆者・求道の師能海寛』波佐文化協会1989年。 |
| 江本嘉伸『能海寛チベットに消えた旅人』求龍堂1990年ISBN4763099086。 |
| 江本嘉伸『西蔵漂泊―チベットに魅せられた十人の日本人〈上〉』山と溪谷社1993年ISBN4635280233。 |
| 江本嘉伸『西蔵漂泊―チベットに魅せられた十人の日本人〈下〉』山と溪谷社1994年ISBN4635280241。 |
| 江本嘉伸(原作・シナリオ)南一平(画)『まんが 西蔵探検家 能海寛』波佐文化協会2002年。 |
| 日本人チベット行百年記念フォーラム実行委員会(編)『チベットと日本の百年―十人は、なぜチベットをめざしたか』新宿書房2003年ISBN4880082821。 |
| 長沢和俊『日本人の冒険と探検』、白水社、1973年、304-307頁。 |
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