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つながりの強いひと
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南解次次雄
新羅の第2代の王(在位:4年-24年)であり、姓は朴。二聖と称される新羅始祖赫居世居西干と閼英夫人との間の長子。王妃は雲帝夫人(または阿婁夫人)。紀元4年... |
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新羅王
秦氏と新羅王伝説 皆神山すさ/著 出版社名 : 彩流社 出版年月 : 2010年4月 ISBNコード : 978-4-7791-1527-1
( 4-7791-1527-2 ) 税込価格 : ... |
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儒理尼師今
新羅の第3代の王(在位:24年-57年)であり、姓は朴。先代の南解次次雄の長子であり、母は雲帝夫人(または阿婁夫人)。王妃は日知葛文王の娘(『三国史記』新... |
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百済
古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年-660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅... |
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金閼智
金閼智(きんあっち、65年?-没年不詳)は新羅の金氏王統の始祖とされる人物。第4代王脱解尼師今のときに神話的出生とともに見出された。7世孫に第13代王味鄒... |
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伐休尼師今
新羅の第9代の王(在位:184年-196年)であり、姓は昔。父は第4代の脱解尼師今の子の仇鄒角干、母は金氏の只珍内礼夫人。184年3月に先代の阿達羅尼師今が死去... |
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味鄒尼師今
新羅の第13代の王(在位:262年-284年)であり、姓は金氏。金閼智の7世孫であり、父は葛文王(金)仇道、母は葛文王(朴)伊柒の娘。王妃は第11代助賁尼師今の... |
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赫居世居西干
新羅の初代の王(在位:紀元前57年-4年)であり、姓を朴、名を赫居世とする。「居西干」は辰韓語で王もしくは貴人を意味する称号と記されているが、高句麗の官... |
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婆娑尼師今
新羅の第5代の王(在位:80年-112年)であり、第3代儒理尼師今の第二子。姓は朴。『三国史記』新羅本紀・婆娑尼師今紀の分注には儒理尼師今の弟・奈老の子とも... |
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にしきん
はは (3) 08/09 m9(^д^) (5) 08/06 参加サークル もっと見る 最近のつぶやき バンってしてないだろ! 更新日時 :2010/08/20 16:53 伝言板 もっと見る 違... |
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世祖
世祖(セジョ、せいそ、永楽15年9月29日(1417年11月7日)-成化4年9月8日(1468年9月24日)、在位:1455年閏6月11日-1468年9月7日)は李氏朝鮮の第7代国王。... |
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金富軾
高麗の官僚・儒学者であり、慶州金氏という新羅王室に連なる門閥貴族である。朝鮮に現存する最古の歴史書である『三国史記』を編纂し、後に楽浪郡開国侯を賜... |
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井上秀雄
愛知県生まれの歴史学者。東北大学、樟蔭女子短期大学名誉教授。専門は古代朝鮮史、日朝関係史。 |
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上垣外憲一
日本の比較文学・文化学者。大手前大学総合文化学部総合文化学科教授。古代からの日本と朝鮮半島との関係史などの論考が多い。 |
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逸聖尼師今
新羅の第7代の王(在位:134年-154年)。第3代儒理尼師今の長男であり、姓は朴。『三国史記』新羅本紀・逸聖尼師今紀には分注で日知葛文王の子とも記され、『... |
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阿達羅尼師今
新羅の第8代の王(在位:154年-184年)であり、先代の逸聖尼師今の長男。姓は朴。母は朴氏の支所礼王の娘、王妃は第6代の娘の内礼夫人。154年2月に先王が死去... |
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敬順王
敬順王に長女・楽浪公主(敬順王は自分が鸞のようだと言って楽浪公主の称号を神鸞公主に変える)を嫁して正承公に封じ、地位は太子の上とした。また慶州を食... |
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葛文王
新羅における王族の称号のひとつ。『三国史記』からは、王位にはつけなかった王の父や王の舅などに尊称として与えられたものと考えられている。発生の経緯や... |
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稲飯命
稻氷命、彦稲氷命。彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊と海神の娘である玉依姫の第二子(第三子とも)。兄に五瀬命、弟に御毛沼命、若御毛沼命(磐余彦尊)がいる。磐余... |
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多婁王
多婁王(たるおう、生年未詳-後77年)は百済の第2代の王(在位:28年-77年)であり、始祖の温祚王の嫡男。10年に太子となり、28年2月に温祚王の死去により王... |
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プロフィール
- 脱解尼師今とは
- 即位まで(誕生説話)
- 治世
- 参考文献
- 関連項目
- 関連サイト
脱解尼師今(だっかいにしきん、生年不詳-80年)は、新羅の第4代の王(在位:57年-80年)であり、姓は昔(ソク)、名は脱解(タレ)。吐解尼師今(とかいにしきん、、トヘ・イサグム)とも記される。第2代の 南解次次雄の娘の阿孝(アヒョ)夫人の婿。新羅の王族3姓(朴・昔・金)のうちの昔氏始祖。
即位まで(誕生説話)
| 『三国史記』新羅本紀・脱解尼師今紀は、誕生及び即位については以下のように記している。 |
| 倭国の東北一千里のところにある多婆那国昔脱解が船で渡来した人物であることを示す挿話などと併せて、日本列島内に所在すると見る向きが多く、丹波国、但馬国、肥後国玉名郡などに比定する説がある。 |
| また、上垣外憲一は、神話である以上、他系統の伝承が混ざっているだろうと述べた上で、脱解は丹波国で玉作りをしていた王で、交易ルート(紀元一世紀から朝鮮半島南部と日本列島沿岸部の交易は盛んで、朝鮮からは大量の鉄が、日本からは大量のガラス製や碧玉製の玉と奴隷が輸出されていた)を経て新羅にたどり着いたというのが脱解神話の骨子だと推測できるとした。 |
| 上垣外は脱解の出自を倭と断定することは出来ないが、昔氏は倭と交易していた氏族だと推測できるとした(以上、上垣外2003p.73より)。 |
| 井上秀雄は、新羅人の地理的知識の増加に伴って『三国志』に見える西域の小国の名を借りたか西域の楽神の乾達婆信仰に由来する国名に改めたものであり、倭国の東北とする文言も後世の挿入だと述べている(→井上訳注1980p.35)。 |
| なお『三国遺事』では脱解の出身地は多婆那国ではなく龍城国とされる。 |
| で、その王が女人国(不明)の王女を妻に迎えて王妃とし、妊娠してから7年の後に大きな卵を生んだ。 |
| 王は王妃に向かって、人でありながら卵を生むというのは不吉であり、卵を捨て去るように言った。 |
| しかし王妃は卵を捨てることに忍びず、卵を絹に包んで宝物と一緒に箱に入れて日本の古事記のヒルコの如く海に流した。 |
| 「初其國王娶女國王女爲妻有娠七年乃生大卵王曰人而生卵不祥也宜棄之其女不忍以帛裹卵並寶物置於(木へんに賣)中浮於海」やがて箱は金官国に流れ着いたが、その国の人々は怪しんで箱を引き上げようとはしなかった。 |
| 箱はさらに流れて、辰韓の阿珍浦(慶尚北道慶州市)の浜辺に打ち上げられた。 |
| そこで老婆の手で箱が開けられ、中から一人の男の子が出てきた。 |
| このとき、新羅の赫居世居西干の39年(紀元前19年)であったという。 |
| 老婆がその男の子を育てると、成長するにしたがって風格が優れ、知識が人並みならぬものになった。 |
| 姓名がわからなかったので、箱が流れ着いたときに鵲(カササギ)がそばにいたことから鵲の字を略して「昔」を姓とし、箱を開いて生まれ出てきたことから「脱解」を名とした、という。 |
| 長じて、第2代南解次次雄5年(8年)に南解次次雄の娘を娶り、10年には大輔の位について軍事・国政を委任された。 |
| 南解次次雄が死去したときに儒理尼師今に王位を譲られかけたが、「賢者は歯の数が多い」という当時の風説を元に餅を噛んで歯型の数を比べ、儒理尼師今に王位を継がせた。 |
| 儒理尼師今が57年10月に死去したときには、王(儒理尼師今)の遺命に従って脱解が王位についた。 |
治世
| 百済の多婁王と蛙山城(忠清北道報恩郡)をめぐって度々戦争があった。 |
| また73年、倭人が木出島慶尚南道蔚山広域市の目島と比定する説が有力。 |
| (→井上訳注1980)に進入してきたが、角干(1等官の伊伐飡の別名)の羽烏を派遣したが勝てず、羽烏は戦死した。 |
| 77年には伽耶と戦って大勝した阿飡(6等官)の吉門を波珍飡(4等官)に引き上げた。 |
| 65年には後の金氏王統の始祖となる金閼智(第13代味鄒尼師今の7世祖)を瓠公が発見し、跡継ぎとして養育することとなった。 |
| 実際には脱解尼師今の後は儒理尼師今の子が王位を継いで婆娑尼師今となり、儒理尼師今系の4人の王の後で脱解尼師今の孫が伐休尼師今が王位につくという複雑な継承となり、金氏の王統がただちに立てられたわけではなかった。 |
| 詳細は朝鮮の君主一覧#新羅の王系図参照。 |
| 在位24年にして80年8月に死去し、首都金城(慶州市)の北壌井丘に葬られた。 |
参考文献
| 『三国史記』第1巻金富軾撰井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫372〉、1980ISBN4-582-80372-5。 |
| 『三国遺事』一然撰 坪井九馬三・日下寛校訂<文科大学史誌叢書>東京、1904(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)。 |
| 上垣外憲一『倭人と韓人』講談社<講談社学術文庫>、2003ISBN4-06-159623-3(原著『天孫降臨の道』筑摩書房1986)。 |
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