| 興宣大院君と関連の深い年表を示す。 |
| 1805年-安東金氏による権勢政治(→1863年まで)。 |
| 1820年-英祖の曾孫として出生。 |
| 1852年7月25日-驪興府大夫人閔氏との間に次男命福誕生(後の高宗)。 |
| 1862年-壬戌民乱(慶尚道晋州を中心にした大規模な民衆反乱)。 |
| 12月8日-哲宗が後嗣なく死去。 |
| 12月13日-先々代王憲宗の母で孝明世子嬪神貞王后趙大王大妃(趙大妃)とで、孝明世子の養子として自己の第2子李命福(当時11歳、後の高宗)を世子とし、自ら大院君となって摂政政治を開始。 |
| 景福宮の重建工事のために営建都監(国家的建設を担当した臨時官庁)を置く。 |
| 重建工事の費用捻出のため願納銭を広く大規模に集める。 |
| 2月-天主教を大弾圧開始(絶種断族の刑)→丙寅邪獄。 |
| 興宣大院君の夫人閔氏の推挙で閔妃を王妃とする。 |
| 9月-ゼネラル=シャーマン号事件→丙寅洋擾。 |
| ラ・ゲリエル号などフランス艦隊7隻、江華府城を約1カ月間占領→丙寅洋擾。 |
| 10月-丙寅教獄(ベルヌー司教等外国人宣教師10名処刑)→丙寅洋擾。 |
| 11月6日-景福宮の重建工事の費用のために当百銭(1867年6月17日に中止)鋳造(物価の急激な上昇)。 |
| 6月-蔚山などに外国船打ち払いの砲台砲軍をおく『高宗実録』高宗3年10月20日30日、高宗4年1月16日、『蔚山邑誌』宦蹟(『嶺南邑誌』)「蔚山府設砲射節目」等。 |
| 5月9日-軍布法を廃止して戸布法を実施従来常民からだけ徴収してきた軍布(兵役の代用として布を納める)を両班からも徴収する戸布法。 |
| 6月-米国ジェネラル・シャーマン号事件の報復として江華島侵攻(辛未洋擾)。 |
| 斥和碑(斥洋碑)を全国八道四都に設置。 |
| 11月3日-崔益鉉、大院君政治を批判する「上疏」。 |
| 高宗親政、大院君失脚(摂政の座を降りる)(癸酉政変)。 |
| 閔氏が政権を取る。 |
| 大院派の人々は追放・流配・処刑等で追放。 |
| 閔氏一族の官吏30数名高官に。 |
| 12月10日-閔妃の宮殿に仕掛けられた爆弾が爆発犯人として大院君の自宅に住む使用人が逮捕される。 |
| 3月-閔妃男子「坧」出産(後の純宗)。 |
| 宮女である李尚宮と高宗の長男「完和君」を世子とする大院君派と坧を世子としたい閔妃派で争い。 |
| 11月-閔氏一族の最高実力者である義兄・閔升鎬宅に爆弾、彼と母子が爆死。 |
| 8月-閔妃派、李裕元を世子冊封の奏請使として清へ。 |
| 王世子(世継ぎ)として認められる(翌年1月帰国)。 |
| 9月-江華島事件→日朝修好条規。 |
| 11月-大院君の兄・李最応の家に火が放たれる事件。 |
| 2月27日-日朝修好条規。 |
| 1877年-高宗第5男子平吉誕生(1891年義和君に封じられる)。 |
| 1880年-大院君が世子候補として推薦した「完和君」(高宗の長男)が変死。 |
| 1月-純宗、戴冠式。 |
| 閔一族の高官閔台鎬の娘が世子嬪(皇太子妃)と決まる(後の純明孝皇后閔氏)。 |
| 7月-壬午事変。 |
| 閔妃は昌徳宮から脱出し閔応植に匿われる。 |
| 承政院日記高宗19年9月22日前後にはその後の上訴等が記載日本公使館包囲、焼き討ち、堀本工兵少尉ら数十名が死傷、花房義質公使ら逃亡→済物浦条約(8月30日)。 |
| 8月26日-壬午事変の策動容疑で''大院君、清へ連行''花房公使ヨリ条約締結並清人馬建忠大院君ヲ諭シテ支那軍艦ニ搭シ天津ニ発航スルノ電報到達アジア歴史資料センターRef.A03023641400。 |
| 12月-甲申政変日本軍、王宮を占領。 |
| 閔一族の閔台鎬(純宗の妃純明皇后の父)、閔泳穆、趙寧夏らが殺され、閔泳翊は重傷を負う。 |
| 閔妃袁世凱に清軍の助けで政権奪回。 |
| 日本公使館焼失、居留民被害。 |
| (→漢城条約、天津条約)。 |
| 金玉均、朴泳孝、徐載弼らは3日間で失脚日本へ亡命(家族は服毒自殺、処刑等)。 |
| 1月9日-''日朝漢城条約(日本:井上馨、朝鮮:金弘集)''。 |
| 4月15日-巨文島事件(イギリスが巨文島を占拠)。 |
| 4月18日-''日清天津条約(日本:伊藤博文、清:李鴻章)''日清両軍の撤退。 |
| 日本清に大院君の帰還要請。 |
| 閔妃側大院君帰国の通達に難色。 |
| 10月3日-''大院君、清から帰国(仁川)''。 |
| 6月-閔妃の大院君殺害陰謀(大院君邸内爆弾による火災)梅泉野録及び『大院君邸内火薬爆発ノ件』アジア歴史資料センターRef.A04010006500。 |
| 3月28日-閔政権、上海に刺客洪鍾宇を送り、開化派の金玉均を暗殺。 |
| 金玉均の遺体は清の軍艦威靖により朝鮮に届けられた。 |
| (父は死刑、母は自殺、弟は獄死、妻の兪氏は、奴婢として売られる)。 |
| 清と日本は出兵''(甲午農民戦争→全州和約(6月))。 |
| 7月-日本軍が王宮包囲、開化派中心の政権成立。 |
| 金弘集を中心とする政権甲午改革。 |
| 8月1日-''日清戦争宣戦布告''。 |
| 5月4日-''三国干渉''受諾(閔妃、親露政策へ)。 |
| 7月6日-閔妃、ロシア公使ウェバーウエベルまたはヴェベールと記す。 |
| 7月10日-閔妃に関する謀議の風説の報告アジア歴史資料センターRef.B03050001800朴泳孝は閔妃殺害計画を謀議したとされと京城を脱出、釜山経由で亡命。 |
| 10月7日-閔妃派政権、訓錬隊の解散と武装解除を通告。 |
| 10月8日-閔妃暗殺される(乙未事変)『高宗実録乙未(三十二)年八月二十日』。 |
| 10月10日-大院君の提言で閔妃が王妃の身分を剥奪され平民とされる『高宗実録乙未(三十二)年八月二十二日』。 |
| 1897年-大韓帝国の成立とともに献懿大院王の尊号を受ける。 |