| 『芝浜』を演じた噺家は多いが、「芝浜の三木助」と謳われた3代目桂三木助が1950年代に演じたバージョンは特に高名である。 |
| というよりは「ぞろっぺい」の3代目桂三木助をして名人たらしめたのは芝浜といっても過言ではない。 |
| この演出には、落語評論家として知られ3代目桂三木助と親しかった作家の安藤鶴夫がブレーンとして携わったと言われている読売新聞連載記事「名作聞書」には3代目桂三木助の「芝浜」が注釈つきで収録されている。 |
| 3代目桂三木助の「芝浜」の魅力は二つある。 |
| ひとつは絵画のように情景を写し出す描写力である。 |
| 3代目桂三木助は「落語とは何か」と問われて、「落語とは絵だ」と答えている。 |
| つまり、演者が丁寧に描写する絵(映像)を、聴き手に鮮明に見せる事こそが重要だ、と主張したのである。 |
| 3代目桂三木助の理論に従えば、魚屋が市場にやってきた場面に於いて、夜が明けて朝日に照らされた真白い浜、静かに揺れる穏やかな波、周囲に建物も何も無い美しい芝浜を聴き手に見せる事ができるか否か、が本作の真髄であり醍醐味と言うことになる。 |
| 『芝浜』と言う題名ながら、実際に芝浜が描かれるのはこの場面だけであり、非常に重要な見せ場と言えよう。 |
| これには極めて高レベルの実力が噺家にも聴き手にも要求される。 |
| 芝浜は現在の東京都港区東部の田町駅のJR線路沿い(浜松町側)である。 |
| 2006年に高級マンションカテリーナ三田タワースイートが建てられた。 |
| 隣接する鹿島神社は現存。 |
| 元々、新橋-横浜の鉄道は海岸線沿いに敷設されたことはよく知られている。 |
| つまり、線路がある場所が浜なのであった。 |
| 実際には海岸線に堤防を作りその上を線路としたものである。 |
| 3代目桂三木助が現役で芝浜を演じはじめているころは当地に浜や海岸線の痕跡がまだあった。 |
| 東京オリンピック以降に埋め立てが加速度的に進み、痕跡が完全に消えたのだ。 |
| 3代目桂三木助ファンは消え行くその光景をも懐かしがっていたのだといえる。 |
| 芝浜の近辺に限ると、海が食い込み、海が残っていた。 |
| つまり、線路の内陸側にも海が残り、その上を跨ぐように線路が橋のようにして作られていた。 |
| JR(国鉄)はこの橋を雑魚場架道橋と呼んだ。 |
| 内陸側に残っていた海は、1968年に埋立てられ陸地となり、港区立本芝公園(芝公園とは無関係で全く別の場所にある)となった。 |
| その中に魚市場(雑魚場)旧跡を示す碑がある。 |
| 3代目桂三木助は、暉峻康隆の助言により、冒頭に「明ぼのや しら魚しろきこと一寸」という句を挟むという独自演出をした。 |
| 松尾芭蕉の句である。 |
| 物語は、実力がありながら仕事に身を入れず、酒でいったん身を持ち崩した男が、一念発起し仕事に身を入れて見事に立ち直る、というストーリーとなっている。 |
| これは3代目桂三木助の実像とオーバーラップする。 |
| もっとも3代目桂三木助の場合は酒でなく、博打であるが。 |
| 三代目三木助はこの演目で、1954年の文部省芸術祭奨励賞を受賞した。 |
| なお、3代目桂三木助の実演はCD(レコード)の形で複数遺されているが、「録音に残っているものは短縮型の不充分な口演で、(録音を前提としない)実演は数段上であったように思う」という評がある(京須偕充『芝居と寄席と』)。 |
| 本作・芝浜は長時間を要する話だが、ラジオ番組には時間の制約がある。 |
| 3代目桂三木助はNHKの専属落語家だった。 |
| 残されている録音の多くはラジオ放送用の収録をもとにしたものだった。 |