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つながりの強いひと
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横山エンタツ
大正・昭和期の漫才師・俳優である。本名:石田正見(いしだまさみ)。花菱アチャコとのコンビ(エンタツ・アチャコ)で、それまでの古典的な舞台芸能である... |
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伴淳三郎
昭和期のコメディアン、俳優。息子はスタイリストの山本康一郎。 |
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斎藤寅次郎
映画監督。本名寅二郎。秋田県由利郡矢島町(現在の由利本荘市矢島町)出身。喜劇映画を非常に得意とし、しばしば喜劇の神様と称される。妻は自作のコメディエ... |
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浪花千栄子
共演
昭和初期から後期(1920年代後半〜1970年代前半)の女優。 |
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長谷川一夫
「東宝歌舞伎(かぶき)」を中心とする舞台活動に専念、かたわら「赤穂(あこう)浪士」「 半七捕物帳 」などのテレビ・シリーズでも活躍した。74年には宝塚... |
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清川虹子
日本を代表する喜劇女優。本名は関口はな(せきぐちはな)。千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市)出身。 |
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トニー谷
トニー谷(トニーたに、1917年10月14日-1987年7月16日)は東京都出身の舞台芸人(ボードビリアン)。本名、大谷正太郎(おおたにしょうたろう)。リズムに乗... |
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桂三枝
日本の落語家、タレント、司会者、社団法人上方落語協会会長。本名、河村静也(かわむらしずや)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。師匠は桂小... |
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山田五十鈴
日本の女優。大阪府大阪市中央区(旧大阪市南区千年町)出身。本名:山田美津。ニックネームは「ベルさん」。戦前から戦後にかけて活躍した、昭和期を代表す... |
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三浦光子
三浦光子(2) 【みうら-みつこ】 1件の用語解説(三浦光子(2)で検索) Tweet デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説 三浦光子(2) みうら-みつこ &nbs... |
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柳家金語楼
喜劇俳優、落語家、落語作家・脚本家(筆名・有崎勉)、発明家、陶芸家。本名・山下敬太郎(やましたけいたろう)。落語家時代の出囃子は『琉球節』。禿頭を... |
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香川京子
女優。茨城県行方郡麻生町(現行方市)生まれ。東京都立第十高等女学校卒業。身長160cm。 |
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九州男
九州男(くすお)は男性の日本人シンガーソングライター。九州の長崎県出身。血液型はB型。 |
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堺駿二
東京都出身のコメディアン、「喜劇の神様」と称された昭和の名喜劇俳優。実兄に浪曲師の初代港家小柳丸、実子にマルチタレントの堺正章がいる。 |
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冬島泰三
日本の映画監督、脚本家である。本名は前出小四郎(まえでこしろう)、脚本家デビュー時の筆名は前出胡四朗(読み同)。 |
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榎本健一
日本の俳優、歌手、コメディアンである。当初は浅草を拠点としていたが、エノケンの愛称で広く全国に知られていった。「日本の喜劇王」とも呼ばれ、第二次世... |
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鶴田浩二
日本の俳優、歌手。本名・小野榮一。静岡県浜松市出身。昭和を代表する映画スターとして数多くの映画やドラマに主演した。歌手としても多くのヒットを出し、... |
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三木のり平
昭和期のコメディアン、俳優、演出家。長男小林のり一はコメディアン。 |
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佐伯幸三
日本の映画監督、脚本家である。サイレント映画の時代からキャリアを持つ。 |
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ミヤコ蝶々
ミヤコ蝶々(ミヤコちょうちょう、女性、本名:日向鈴子(ひゅうがすずこ)、1920年7月6日-2000年10月12日)は女優、漫才師。東京市(現東京都中央区)出身、... |
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プロフィール
花菱アチャコ(はなびしあちゃこ、1897年7月10日-1974年7月25日)は、大正昭和期の漫才師、俳優である。本名:藤木徳郎。福井県出身。
来歴
| 1913年に15歳で新派の山田九州男(山田五十鈴の父)の一座に入り東明幸四郎と名乗り、千日前敷島倶楽部で初舞台を踏む。 |
| 1914年、神戸の「鬼笑会」一座に入り、漫才に転向し「花菱アチャコ」を名乗り菅原家千代丸と組む。 |
| 1919年に一度だけ横山エンタツと一座を組み、幕間に「しゃべくり漫才」を試演するが不評に終わり、客からはみかんの皮を投げられるほどであった。 |
| 1925年、吉本興業に入社し、浮世亭夢丸、千歳家今男とコンビを組む。 |
| 1930年、当時吉本興業で総支配人の座にあった林正之助の勧めに従い、横山エンタツとコンビを組む。 |
| 当時人気のあった東京六大学野球をネタにした『早慶戦』などの「しゃべくり漫才」で人気を博す。 |
| 1934年、中耳炎にかかり入院、その間にエンタツは林正之助等との相談で上でコンビを解消する。 |
| エンタツは杉浦エノスケと組む。 |
| 退院後は舞台では千歳家今男とのコンビを復活させたが、映画では引き続きエンタツ・アチャコのコンビを継続した。 |
| 一方で「アチャコ劇団」を旗揚げし、全国を巡業する。 |
| 第二次世界大戦終結後、吉本興業は一時演芸部門から撤退し全所属芸人との専属契約を解除するが、1939年の新興キネマによる吉本所属芸人の引き抜き騒動の際(アチャコも新興から契約金として当時としては大金である500円を既に受け取っていたが、林正之助に一喝されてそれを新興に返したという)、アチャコは吉本から「(吉本はアチャコの)面倒を一生みる」と一札取っていたため、唯一の例外として吉本興業との専属契約継続を認められた。 |
| 結局この契約はアチャコが亡くなるまで継続されることになる。 |
| 戦後間もない時期には、長谷川一夫の『銭形平次捕物帳』など、映画の時代劇等でバイプレーヤーとしても活躍している。 |
| 1952年に長沖一原作のラジオ番組『アチャコ青春手帖』が大ヒット作となり映画化された。 |
| 後番組で、引き続き浪花千栄子と共演した『お父さんはお人好し』も人気を博し、これも映画化された。 |
| 1959年に吉本興業が演芸部門を再開させると、アチャコは吉本の一枚看板として吉本バラエティの初期を支えた。 |
| テレビが日本の家庭に普及しつつあった高度成長期には、「滅茶苦茶でごじゃりまするがな」や「さいなもうー…」の台詞で一世を風靡した。 |
| 1963年にNHKで放映された「漫才の歴史」の番組「漫才繁盛記」(構成:小林信彦)において、エンタツと久しぶりにコンビを組んで漫才を披露したが、ブランクを感じさせない名コンビぶりを発揮した。 |
| 1974年7月25日、直腸癌のため死去。 |
| 戒名は阿茶好院花徳朗法大居士。 |
| 芸名の「花菱」は、生家の家紋が由来である。 |
| 「アチャコ」は、「鬼笑会」に所属してまだ無名だった頃、幕切れに先輩役者の「アッ!!」の合図で「チョン!!」と拍子木を打つ際に上手くいかず、先輩役者からつけられたあだ名「アチョンの子」が転じたものである。 |
弟子など
| 弟子には、粋曲漫談ののれん太郎、漫談の鶴乃一声、岡八朗、石川大介(付き人)、石川寿子(付き人)、西川花助(付き人)などがいる。 |
| かつて、実質の孫弟子(岡八朗の弟子)「オール阪神・巨人」に「二代目エンタツ・アチャコ」を継がせるという話があったが、オール阪神・巨人側が「おそれ多い」と断った。 |
| 孫のアチャマゴ久利(藤木久利)はミュージシャンで、「アチャコ一座」というバンドを結成して活動している。 |
| また、大阪市中央区高麗橋に、子孫が経営する居酒屋「ACHAKO」がある。 |
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1913年
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15歳で新派の山田九州男(山田五十鈴の父)の... |
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1925年
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吉本興業に入社し、浮世亭夢丸、千歳家今男と... |
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花菱アチャコさんについてのひとこと紹介
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