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当然、掌は腫れっ放しであった。
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それを見た東尾修は、そっと手袋を置いていったという。
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日本球界復帰の前にメジャーリーグ昇格の話があった。
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もしそのままメッツに昇格していれば、日本人初の野手メジャーリーガーとなっていた。
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横浜大洋では、同じく阪神から移籍した加藤博一とともに「甲子園では活躍しよう」と誓う。
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しかし、当時の関西スポーツ紙によって「若菜は自ら望んで阪神を退団した」と報道されたため、多くの阪神ファンの不興を買うことになる(これは、江本の阪神退団直後という微妙な時期の発言であったことにもよる)。
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1980年代後半はよくクロマティ(巨人)とのかけひきも有名で、英語が堪能な若菜とよく言い合っていた。
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遠藤一彦(大洋)がクロマティを三振にとってチェンジになる際に遠藤と若菜の2人で頭を人差し指で指し"頭脳の差"というアピールをし、クロマティの怒りを誘っていた。
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よくこのプレーは珍プレーで再現されていた。
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ただし本当の「犬猿の仲」というわけではなく、OBオールスター戦で若菜とクロマティが同じチームでプレイすることもよくあった。
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横浜大洋では当時流行していた乱数表による冗長なサイン交換を否定して、遠藤などの一線級投手とノーサインに近いプレイを行った。
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座り位置からの強肩送球と相まって、観せる捕手と記憶されている。
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1987年8月4日の巨人戦では、返球されてきたボールを脇にはさんだままランナー中畑清とクロスプレーとなり、あたかもちゃんとタッチしたような芝居で見事アウトを取った。
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この「若菜の空タッチ」はプロ野球珍プレー・好プレー大賞でも何度も題材となった「くせ者」若菜を象徴するプレーである。
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評論家、解説者としては多少、毒舌な部分もある。
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王監督の意思に反して、タフィ・ローズの本塁打新記録達成阻止のため、敬遠策を指示したコーチ(バッテリーコーチ)としても知られる。
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そのことが発覚したことで、退団を余儀なくされた。
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しかし、若菜は退団後も「偉大な王さんの記録を破ってはいけない」という発言をしばしばしている。
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在籍した球団の中で「一番好きなのは阪神だ」とラジオ番組で発言した。
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横浜大洋時代の1988年オフ、市川和正との併用から首脳陣批判を展開し、「俺は加藤さんのように世渡り上手じゃない」と発言し、舌禍事件を起こす。
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1989年から日本ハムの監督に就任した近藤貞雄が救いの手を差し伸べ、トレードされることになった。
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オールスターゲームにもたびたび出場し、山内一弘に続いて史上2人目のセ・パ両リーグ本塁打を記録している。
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阪神と福岡ダイエーの対戦となった2003年の日本シリーズで第7戦の解説を、阪神と南海(福岡ダイエーの前身)OBの江夏豊と担当。
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放送中、城島への指導の話を終始続けていた。
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それに対して江夏は「あなた、どちらのOBですか?」という主旨のコメントを行った。
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小学校6年生まで習っていた書道では全国大会で入選し、文部大臣賞を受賞している。
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また、実用英語技能検定1級を所持している。
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『ベースボールアルバムNo.15 若菜嘉晴』(恒文社、1980年)。
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愛称の「菜っぱ」の由来は、入団3年目に貧血症のため1ヵ月ほど入院し、退院後、和田博実コーチが彼の青白い顔とやせ細った体を「しょぼくれた菜っぱみたい」と評したから。
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『ベースボールアルバムNo.15 若菜嘉晴』(恒文社、1980年)。
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福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督が、2008年9月の埼玉西武ライオンズとの試合で引き分けだった際、選手に拍手し、労いの言葉をかける姿を見て「あの人は『試合というのは勝たなければならない』というのが信条で、引き分けというのを潔しとしなかった。
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それなのにああいう姿を見せたのは、王さん御自身が監督業に心の中で区切りを付けていたのではないでしょうか」と、王の行動について語っている。
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現役引退後は、メディア出演の中で「自分が指導者としてプロに戻ることはない」とよく語っていたが、福岡ダイエーのコーチに就任したことに関しては「王監督の下でやりたいというのもあったし、城島の育成で呼ばれた、というのもあったかな」と語っている。
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福岡ダイエーのコーチ時代には、なかなか成長しない城島を巡って王貞治監督とたびたび衝突。
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就任1年目の1997年のオールスター期間中に王から城島の捕手としてのリードと捕球のまずさを叱責され、一塁手か三塁手へのコンバート案が浮上し、若菜のコーチ責任をも問われたことから、球団に辞任を申し出た。
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最終的に東京の自宅に戻っていた王監督に電話を入れたところ、電話に出た恭子夫人はあえて王と代わらずに「主人から話は聞いています。
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お仕事に口を挟むようで申し訳ないのですが、今あなたと主人との板ばさみになって困るのは城島君ではないでしょうか。
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お電話のことは主人に私からお伝えしておくので、もう一度考えてみてください」と上手くとりなした。
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王にも若菜が謝罪していると伝え、これにより両者は和解することができた。
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事の真相を若菜が恭子夫人から聞かされたのは、福岡ダイエーが初優勝した1999年のハワイへの優勝旅行の時だったという。
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斉藤直隆著『プロ野球 最後のサムライ』(コアマガジン、2005年)。
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今もホークス戦の解説で城島健司の話をすることがある。