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つながりの強いひと
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孝明天皇
江戸時代末期に在位した第121代天皇。在位は1846年3月10日(弘化3年2月13日)‐1867年1月30日(慶応2年12月25日)。幼称は煕宮(ひろのみや)。諱は統仁(おさ... |
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九条尚忠
父
江戸時代後期から明治時代の公家。官位は従一位・関白。 |
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後堀河天皇
鎌倉時代の第86代天皇(在位:承久3年7月9日(1221年7月29日)-貞永元年10月4日(1232年11月17日))。諱は茂仁(とよひと)。 |
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昭憲皇太后
明治天皇の皇后。旧名は、一条美子(いちじょうはるこ)。お印は若葉(わかば)。病弱で実子はなかったが、嫡妻として、夫の側室が生んだ嘉仁親王(大正天皇... |
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貞明皇后
大正天皇の皇后。旧名は、九条節子(くじょうさだこ)。お印は藤(ふじ)。 |
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大正天皇
日本の第123代天皇。諱は嘉仁(よしひと)。幼少時の御称号は明宮(はるのみや)。お印は壽(じゅ)。明治以降で初の一夫一妻制をとった天皇。 |
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仁孝天皇
第120代天皇(在位:文化14年9月21日(1817年10月31日)-弘化3年1月26日(1846年2月21日))。諱は恵仁(あやひと)。幼称は寛宮(ゆたのみや)。 |
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箕作麟祥
日本の官僚、法学者、教育者、啓蒙思想家。司法大書記官、太政官大書記官、元老院議官、司法次官、貴族院勅選議員、行政裁判所長官等を歴任。民法・商法編纂... |
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後水尾天皇
後水尾天皇(ごみずのおてんのう、慶長元年6月4日(1596年6月29日)-延宝8年8月19日(1680年9月11日))は第108代天皇(在位:慶長16年3月27日(1611年5月9日... |
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内田九一
役員やトップは任期が短く、その期間内で結果を残さないといけないというプレッシャーを日々掛けられているので、長い目で見た街の開発が出来なくなってしま... |
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徳川家茂
江戸幕府第14代征夷大将軍である。実父は第12代将軍徳川家慶の実弟であり、第13代将軍家定の従兄弟にあたる。将軍就任の前は徳川御三家紀州藩第13代藩主。初... |
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中山慶子
明治天皇の生母。孝明天皇の側室。号は中山一位局など。権大納言・中山忠能(1809年-1888年)の次女で、母は平戸藩主・松浦清(靜山)の十一女・愛子。侯爵を... |
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岩倉具視
贈太政大臣贈正一位大勲位。維新の十傑の1人。 |
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明治天皇
日本の第122代天皇。諱は睦仁(むつひと)。御称号は、祐宮(さちのみや)。お印は、永(えい)。倒幕・攘夷派の象徴として、また近代日本の指導者と仰がれた... |
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香淳皇后
昭和天皇の皇后。旧名は、良子女王(ながこじょおう)。お印は桃。 |
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子内親王
鎌倉時代 の皇族、 女院 。 後堀河天皇 准母 、 皇后 宮。 院号 は 安嘉門院 。法名は正如覚。父は後高倉院 守貞親王 、母は 持明院基家 の女持明院陳子(北... |
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井上馨
日本の武士・長州藩士、政治家、実業家。本姓は源氏。清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む安芸国人毛利氏家臣・井上氏。元老桂太郎陸軍大将とは義理の親子の... |
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華族
1869年から1947年まで存在した近代日本の貴族階級のことである。公家に由来する華族を公家華族、江戸時代の藩主に由来する華族を大名華族(諸侯華族)、国家... |
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徳川秀忠
安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。江戸幕府第2代征夷大将軍。 |
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仙洞御所
退位した天皇(上皇・法皇)の御所。仙洞とは本来仙人の住み処をいい「せんどう」とも読まれる。そこから転じて退位した天皇(上皇・法皇)の御所をいい、さ... |
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プロフィール
英照皇太后(えいしょうこうたいごう、天保5年12月13日(1835年1月11日)-1897年(明治30年)1月11日)は、 孝明天皇の女御にして 明治天皇の嫡母(※実母ではない)。旧名、九条夙子(くじょうあさこ)。
生涯
| 父は関白・左大臣九条尚忠(1798年-1871年)、母は賀茂神社氏人・南大路長尹の娘菅山。 |
| 左大臣道孝の実姉、貞明皇后の伯母にあたる。 |
| 名は初め「基君(のりきみ)」。 |
| 山城国愛宕郡下鴨村(現京都市左京区下鴨)の南大路家で誕生し、弘化2年(1845年)9月14日、12歳の時に、3歳年上の東宮統仁親王(のちの孝明天皇)の妃となる。 |
| 結婚翌年には孝明天皇が即位し、嘉永元年(1848年)12月7日従三位、同月15日入内して女御宣下を被る。 |
| 孝明天皇は夙子の立后を望んだが、先ず准三宮に叙すべしという幕府の反対にあい、嘉永6年(1853年)5月7日、夙子は正三位・准三宮に上る。 |
| 嘉永3年(1850年)に第一皇女:順子内親王(1850年-1852年)、安政5年(1858年)に第二皇女:富貴宮(1858年-1859年)を生んだが、いずれも幼児期に夭折したため、万延元年(1860年)7月10日、勅令により中山慶子の生んだ第二皇子:祐宮睦仁親王(当時9歳、後の明治天皇)を「実子」と称した。 |
| 33歳で夫孝明天皇の急逝に遭い、明治天皇即位後の慶応4年(1868年)3月18日、皇太后に冊立。 |
| 皇后を経ずして皇太后となった。 |
| 東京奠都後、明治5年(1872年)、赤坂離宮に遷御、明治7年に赤坂御用地に移る。 |
| 1888年(明治21年)11月1日、勲一等宝冠章。 |
| 1897年(明治30年)1月11日、崩御。 |
| 享年64(満62歳没)。 |
| 同月30日に「英照皇太后」の追号を奉られた。 |
| 同年に大喪の記録として和装本『英照皇太后大喪記事』、『英照皇太后之御盛徳』、『英照皇太后陛下御大葬写真帖』が出されている。 |
| 御陵は京都市東山区今熊野の後月輪東北陵(のちのつきのわのとうほくのみささぎ)で、孝明帝と同所である。 |
| なお、京都大宮御所は、皇太后夙子のために慶応3年(1867年)造営されたものである。 |
人物
| 孝明天皇の影響からか能を好み、1878年(明治11年)には青山御所に能舞台が建てられている古川久『明治能楽史序説』わんや書店、1969年、p.23。 |
| 1881年(明治14年)に誕生した日本最初の能楽堂「芝能楽堂」も、皇太后の鑑賞に供することが設立目的の一つだった池内信嘉『能楽盛衰記』(増補・復刻版)東京創元社、1992年(初版:1925〜1926年)、p.109。 |
| 皇太后からの注文は時に本職の能楽師をすらたじろがせるほど「渋い」もので池内信嘉『能楽盛衰記』(増補・復刻版)東京創元社、1992年(初版:1925〜1926年)、p.191、当時名人と併称された梅若実と宝生九郎の2人にそれぞれ同じ曲を舞わせ、その芸の違いを楽しんだこともあった古川久『明治能楽史序説』わんや書店、1969年、p.33。 |
関連項目
| 皇室用客車#霊柩車。 |
| 泉涌寺-皇室の菩提寺。 |
| 鷹司繋子-先帝仁孝天皇の皇后位を追贈された。 |
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1835年
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英照皇太后(えいしょう こうたいごう、天保5... |
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1845年
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12歳の時に、3歳年上の東宮統仁親王(のちの... |
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