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つながりの強いひと
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源俊頼
平安時代後期の官人・歌人。宇多源氏。大納言・源経信の三男。官位は従四位上・木工頭。 |
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藤原俊成
平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。名は有職読みで「しゅんぜい」とも読む。藤原北家御子左流、権中納言・藤原俊忠の子。はじめ葉室家に養子に入り... |
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藤原道長
藤原道長(ふじわらのみちなが)は平安時代中期の公卿。従一位・摂政・太政大臣・准三后。京都生まれ。藤原兼家の五男(四男という説もある)で、母は摂津守... |
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小野小町
平安前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙の1人。 |
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在原業平
平安時代初期の貴族・歌人。平城天皇の孫。三品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。六歌仙・三十六歌仙の一人。また『伊勢物語』の主... |
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藤原忠通
平安時代後期の公卿。摂政関白太政大臣藤原忠実の長男。従一位・摂政・関白・太政大臣。法性寺殿と号す。同母姉に高陽院藤原泰子、異母弟に藤原頼長がいる。 |
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藤原俊家
父
藤原俊家(ふじわらのとしいえ、寛仁3年(1019年)-永保2年12月2日(1082年12月23日))は平安時代中期の公卿、歌人。右大臣藤原頼宗の子。正二位・右大臣。... |
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藤原敏行
延喜元年(901年))は、平安時代初期の歌人、書家。藤原南家、藤原巨勢麻呂の後裔。陸奥出羽按察使・藤原富士麻呂の子。官位は従四位上・右兵衛督。三十六歌... |
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左大臣
朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅(たいふ)」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」... |
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藤原清輔
平安時代末期の公家・歌人。藤原北家魚名流、左京大夫・藤原顕輔の次男。官位は正四位下・太皇太后宮大進。初名は隆長。六条を号す。 |
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山部赤人
奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。姓は宿禰。山部足島の子とする系図がある。官位は外従六位下・上総少目。後世、山邊(辺)赤人と表記されることもある。 |
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藤原定家
鎌倉時代初期の公家・歌人。諱は「ていか」と有職読みされることが多い。藤原北家御子左流で藤原俊成の二男。最終官位は正二位権中納言。京極殿または京極中... |
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藤原道信
平安時代中期の公家・歌人。藤原北家、太政大臣・藤原為光の三男。官位は従四位上・左近衛中将。中古三十六歌仙の一人。 |
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藤原義孝
平安時代中期の公家・歌人。摂政・太政大臣・藤原伊尹の三男(または四男)。子に三蹟の一人藤原行成がいる。中古三十六歌仙の一人。官位は正五位下・右少将... |
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寂蓮
平安時代末から鎌倉時代初期にかけての歌人、僧侶である。俗名は藤原定長。 |
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紀貫之
平安時代前期の歌人。『古今和歌集』の選者のひとり。また三十六歌仙のひとりでもある。紀友則は従兄弟にあたる。 |
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慈円
鎌倉時代の天台宗僧侶である。歴史書『愚管抄』を記した。諡号は慈鎮和尚で一般に吉水僧正とも呼ばれ、また『小倉百人一首』では、前大僧正慈円と称されてい... |
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式子内親王
平安時代末期の皇族。後白河天皇の第3皇女、母は藤原成子(藤原季成の女)で、守覚法親王・亮子内親王(殷富門院)・高倉宮以仁王は同母兄弟。高倉天皇は異母... |
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藤原公任
平安時代中期の公卿・歌人。藤原北家小野宮流、関白太政大臣藤原頼忠の長男。官位は正二位・権大納言。四条大納言と号す。 |
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阿倍仲麻呂
奈良時代の遣唐留学生。姓は朝臣。中務大輔・阿倍船守の子。弟に阿倍帯麻呂がいる。唐で科挙に合格し唐朝諸官を歴任して高官に登ったが、日本への帰国を果た... |
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プロフィール
藤原基俊(ふじわらのもととし、康平3年(1060年)-永治2年1月16日(1142年2月20日))は、平安時代後期の公家・歌人。父は右大臣 藤原俊家。藤原氏の主流である藤原北家の出身で 藤原道長の曾孫にあるが、官位には恵まれず従五位上左衛門佐にとどまった。1138年(保延4年)に出家し、覚舜(かくしゅん)と称した。
和歌
| 歌壇への登場も遅かったが、歌合では作者のほか、多くの判者もつとめ、源俊頼とともに院政期の歌壇の指導者として活躍した。 |
| 漢詩文にも通じ「新撰朗詠集」を撰集している。 |
| 「金葉和歌集」以下の勅撰和歌集に百余首入集。 |
| 家集に「基俊集」がある。 |
| 小倉百人一首。 |
| ちぎりおきしさせもが露をいのちにてあはれ今年の秋もいぬめり (「千載集」雑・1023)。 |
書家として
| 書家としても名があり、現存する書跡には次のものがある。 |
| 多賀切和漢朗詠集。 |
| 下巻末にあたる部分の断簡に、本文と同筆で「永久四年(1116年)孟冬二日、扶老眼点了、愚叟基俊」と二行の奥書きがあり、さらに別筆で「おなじとし月によみはてつ」と記されている。 |
| このように年代と筆者が明記された書跡は、現存するおびただしい平安時代の遺品の中でも稀である。 |
| 山名切新撰朗詠集。 |
系譜
| 父:藤原俊家。 |
| 母:高階順業の娘。 |
| 妻:藤原定成の娘。 |
| 男子:藤原基明。 |
| 妻:源隆国の娘-郁芳門院乳母。 |
参考文献
| 『日本と中国の書史』-社団法人日本書作家協会発行木村卜堂編著。 |
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藤原基俊さんについてのひとこと紹介
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