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つながりの強いひと
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左大臣
朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅(たいふ)」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」... |
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光源氏
紫式部の物語『源氏物語』の主人公である。京都に生まれる。『源氏物語』五十四帖中第一帖「桐壺」から第四十帖「幻」まで登場する。なお「光源氏」とは「光... |
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源重之
友達
平安時代中期の歌人。清和天皇皇子貞元親王の子である従五位下源兼信の子。子に有数・為清・為業・宗親・源重之女がいた。伯父の参議源兼忠の養子。官位は従... |
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藤原行成
平安時代中期の廷臣。藤原北家、右少将・藤原義孝の長男。官位は正二位・権大納言。一条朝四納言の一。世尊寺家の祖。当代の能書家として三蹟の一人に数えら... |
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一条天皇
平安時代中期の第66代天皇(在位:寛和2年6月23日(986年7月31日)-寛弘8年6月13日(1011年7月16日))。諱は懐仁(やすひと)。 |
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藤原義孝
平安時代中期の公家・歌人。摂政・太政大臣・藤原伊尹の三男(または四男)。子に三蹟の一人藤原行成がいる。中古三十六歌仙の一人。官位は正五位下・右少将... |
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藤原道信
友達
平安時代中期の公家・歌人。藤原北家、太政大臣・藤原為光の三男。官位は従四位上・左近衛中将。中古三十六歌仙の一人。 |
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藤原定
父
HOME > うんちく > 豆事典 > 藤原定 うんちく トップ WEBコラム 豆事典 福井トリビア 天文 アウトドア 日本酒 保育園・幼稚園 気象 観光... |
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藤原師尹
藤原師尹(ふじわらのもろただ、延喜20年6月2日(920年7月24日)-安和2年10月15日(969年12月1日))は平安時代中期の公卿。藤原北家、摂政関白太政大臣・藤... |
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藤原済時
藤原済時(ふじわらのなりとき、天慶4年(941年)-長徳元年4月23日(995年5月29日))は平安時代の公卿。藤原北家、左大臣・藤原師尹の次男。官位は正二位・... |
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源雅信
親 母
平安時代中期の貴族。宇多天皇の皇子である敦実親王の三男で宇多源氏の祖。従一位・左大臣。贈正一位。一条左大臣又は鷹司左大臣と号した。出家後の法名は覚実。 |
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菊池容斎
幕末から明治時代初期にかけての日本画家。旧姓は河原。本名は量平または武保。 |
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松尾芭蕉
江戸時代前期の俳諧師。現在の三重県伊賀市出身。幼名は金作。通称は藤七郎、忠右衛門、甚七郎。名は宗房。俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(... |
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清原元輔
清原元輔(きよはらのもとすけ、延喜8年(908年)-永祚2年(990年)6月)は平安時代の歌人・官人。内蔵允・清原深養父の孫で、下総守・清原春光の子。娘に清... |
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小野小町
平安前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙の1人。 |
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在原業平
平安時代初期の貴族・歌人。平城天皇の孫。三品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。六歌仙・三十六歌仙の一人。また『伊勢物語』の主... |
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赤染衛門
平安時代の女房・女流歌人。中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人。大隅守・赤染時用の娘。歌集は『赤染衛門集』。『栄花物語』の作者とも目される。 |
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藤原公任
友達
平安時代中期の公卿・歌人。藤原北家小野宮流、関白太政大臣藤原頼忠の長男。官位は正二位・権大納言。四条大納言と号す。 |
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小式部内侍
小式部内侍(こしきぶのないし、長保元年(999年)頃-万寿2年(1025年)11月)は平安時代の女流歌人。掌侍。父は橘道貞、母は和泉式部。母の和泉式部と共に一... |
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プロフィール
藤原実方(ふじわらのさねかた、生年不詳-長徳4年12月12日(999年1月2日))は、平安時代中期の貴族・歌人。藤原北家小一条流。 左大臣・ 藤原師尹の孫、 侍従・ 藤原定時の子。大納言・ 藤原済時の養子。官位は従四位上・左近衛中将。中古三十六歌仙の一人。
経歴
| 父・藤原定時が早逝したため、伯父の藤原済時の養子となる。 |
| 花山・一条両天皇に仕え、従四位上・左中将に至った。 |
| しかし、長徳元年(995年)に一条天皇の面前で藤原行成と歌について口論になり、怒った実方が行成の冠を奪って投げ捨てるという事件が発生する。 |
| 行成は取り乱さず、主殿司に冠を拾わせ事を荒立てなかった。 |
| これが原因で天皇の怒りをかい、「歌枕を見てまいれ」と命じられ『古事談』による。 |
| 陸奥国府・多賀城近辺を初め、陸奥国に歌枕が多くあるため、「歌枕」が陸奥国の代名詞となっている(『仙台市史』通史編2古代中世)。 |
| 、実方は陸奥守に左遷ただし、実方は陸奥下向の際に天皇から多大な餞別を受けた事が、当の口論相手の行成の日記『権記』に克明に記されている事から、左遷とは言えないとの説もある。 |
| され現地に下向。 |
| 一方の行成は蔵人頭に抜擢された実方が陸奥守に任ぜられたのは正月13日、一方で行成が蔵人頭に任ぜられたのは同年8月29日と任官時期に8ヶ月も開きがあり、さらにその任官理由は源俊賢の推挙によるものとされる(『大鏡』第3巻24)ことから、この行成との逸話については事実と相違する。 |
| 都人の間に辺境の地で客死した実方への同情があり、このような説話(後述の死後亡霊となった噂や、スズメに転生した話も含め)の形成につながったと考えられる。 |
| (竹鼻績『今鏡(下)』講談社学術文庫、1984年、530頁)。 |
| 『今昔物語集』『今昔物語集』巻第25第5にある、鎮守府将軍平維茂と藤原諸任との合戦は、実方が陸奥守在任中のこととされる『尊卑分脈』による。 |
| 長徳4年12月(999年1月)、任国で実方が馬に乗り笠島道祖神前を通った時、乗っていた馬が突然倒れ、下敷きになって没した(名取市愛島に墓がある)。 |
| 年齢は40歳ほどだったという。 |
| 『拾遺和歌集』(7首)以下の勅撰和歌集に64首が入集『勅撰作者部類』。 |
| 家集に『実方朝臣集』がある。 |
| 小倉百人一首。 |
| 51番 かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを(『後拾遺和歌集』恋一612)。 |
逸話・説話
| 藤原公任・源重之・藤原道信などと親しかった。 |
| 風流才子としての説話が残り、清少納言と交際関係があったとも伝えられる。 |
| 他にも20人以上の女性との交際があったと言われ、『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人とされることもある。 |
| 当時、五月の節句には菖蒲を葺く風習があった。 |
| 実方が陸奥守として下向した際、人々が節句にもかかわらず菖蒲を葺かないのを見て、国府の役人に理由を尋ねたところ、陸奥国にはそのような習慣はなく、菖蒲も生えていないとのことであった。 |
| すると実方は、浅香の沼岩代国安積郡にあった沼で、歌枕であった。 |
| の花かつみというものがあるのでそれを葺くように命じたことから、陸奥国では節句に菰を葺くようになったという『今鏡』第10363段、『無名抄』、『和歌童蒙抄』など。 |
| 死後、賀茂川の橋の下に実方の亡霊が出没するとの噂が流れたとされる『枕草子』。 |
| また、死後、蔵人頭になれないまま陸奥守として亡くなった怨念によりスズメへ転生し、殿上の間に置いてある台盤の上の物を食べたという『今鏡』第10364段、『古事談』第2臣説、『十訓抄』第8など。 |
系譜
| 母:源雅信の娘。 |
| 養父:藤原済時。 |
| 男子:藤原朝元(?-1031)。 |
| 以下については、各種系図に記載が見られるが、事実かどうかには疑問がある。 |
| 男子:泰救『熊野別当系図』による。 |
| 熊野別当家は熊野別当職を重代職とすることの正統性を示すため、熊野別当家を貴種につらなる家系である主張する「熊野別当代々次第」なる系譜図を作成した。 |
| しかし、そうした主張は同時代には受けいれられたわけではなかった(宮家準、1992、『熊野修験』〈吉川弘文館(日本歴史叢書)ISBN4642066497〉、pp.18-19)。 |
| 男子:長快。 |
| 女子:少将内侍-母は大中臣輔親の娘、白河院女房。 |
関連項目
| 伊吹山上述の百人一首収録の和歌に詠まれたとされる山。 |
| しかしこの伊吹山は、栃木県栃木市内の小山だとする説もある。 |
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藤原実方さんについてのひとこと紹介
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