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つながりの強いひと
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藤原定家
父
鎌倉時代初期の公家・歌人。諱は「ていか」と有職読みされることが多い。藤原北家御子左流で藤原俊成の二男。最終官位は正二位権中納言。京極殿または京極中... |
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阿仏尼
熱愛 妻
右衛門佐(うえもんのすけ)。実父母は不明。武士である平度繁(たいらののりしげ)の養女となる(ただし平度繁の養女ではなく実の娘であるとする見解もある)。 |
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佐藤恒雄
国文学者、香川大学名誉教授、広島女学院大学教授。目次 1 来歴 2 著書 3 編著 4 参考 [編集] 来歴愛媛県生まれ。1965年東京教育大学国文科卒、1971年同... |
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藤原俊成
平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。名は有職読みで「しゅんぜい」とも読む。藤原北家御子左流、権中納言・藤原俊忠の子。はじめ葉室家に養子に入り... |
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冷泉為相
鎌倉時代中期から後期にかけての公卿、歌人。父は藤原為家。母は阿仏尼。異母兄に二条為氏(二条派の祖)、京極為教(京極派の祖)が、同母弟に冷泉為守がい... |
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二条為氏
鎌倉時代中期の公卿・歌人。藤原北家御子左家の嫡流で、権大納言藤原為家の長男。官位は正二位・権大納言。藤原為氏ともいう。和歌の家である二条家(二条派... |
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順徳天皇
鎌倉時代の第84代天皇(在位:承元4年11月25日(1210年12月12日)-承久3年4月20日(1221年5月13日))。諱は守成(もりなり)。 |
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二条為世
鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての歌人。父は歌道二条家の祖二条為氏。母は飛鳥井教定の娘。子に為道・為藤・為宗・為躬・為冬・為子(後醍醐天皇宮... |
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藤原実宗
親 母
平安時代後期から鎌倉時代前期の公卿。西園寺家の第三代に数えられる人物。権大納言藤原公通の長男。近衛天皇(76代)から土御門天皇(83代)に至る動乱期の... |
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宇都宮頼綱
妻 親
平安時代末期から鎌倉時代前期の武将。藤原姓宇都宮氏第5代当主。宇都宮成綱の子。鎌倉幕府の御家人。歌人としても知られる。 |
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紀貫之
平安時代前期の歌人。『古今和歌集』の選者のひとり。また三十六歌仙のひとりでもある。紀友則は従兄弟にあたる。 |
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西園寺公経
鎌倉時代の公卿・歌人。内大臣藤原実宗の子。西園寺家の実質的な祖とされている。従一位・太政大臣。一条入道太相国、西園寺を号す。鎌倉幕府4代将軍藤原頼経... |
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静御前
平安時代末期、鎌倉時代初期の女性。白拍子(遊女)。母は白拍子の磯禅師。源義経の愛妾。 |
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光源氏
紫式部の物語『源氏物語』の主人公である。京都に生まれる。『源氏物語』五十四帖中第一帖「桐壺」から第四十帖「幻」まで登場する。なお「光源氏」とは「光... |
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侍従
広義では(しばしば高貴な立場の)ある人物に付き従い、身の回りの世話などをする行為、または従う者そのものを指す。日本においては、特に天皇に側近奉仕す... |
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慈円
鎌倉時代の天台宗僧侶である。歴史書『愚管抄』を記した。諡号は慈鎮和尚で一般に吉水僧正とも呼ばれ、また『小倉百人一首』では、前大僧正慈円と称されてい... |
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玉葉
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて執筆された、日本の公家九条兼実の日記。 |
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藤原道長
藤原道長(ふじわらのみちなが)は平安時代中期の公卿。従一位・摂政・太政大臣・准三后。京都生まれ。藤原兼家の五男(四男という説もある)で、母は摂津守... |
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岩佐美代子
日本の国文学者。法学者・穂積重遠の娘で、渋沢栄一の血を引いている。母方の祖父は児玉源太郎。 |
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寂蓮
平安時代末から鎌倉時代初期にかけての歌人、僧侶である。俗名は藤原定長。 |
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プロフィール
藤原為家(ふじわらのためいえ、建久9年(1198年)-建治元年5月1日(1275年5月27日))は、鎌倉時代中期の公家・歌人。父は 藤原定家。官位は正二位・ 権大納言。別称は中院禅師・冷泉禅門・民部卿入道。
経歴
| 1205年(元久2年)、母方の祖父藤原実宗邸で元服を行い、伯父西園寺公経の猶子となる。 |
| 若い頃は蹴鞠に熱中し、同好の順徳天皇に目を掛けられた。 |
| ところが承久3年(1221年)に発生した承久の乱に際して、順徳天皇の佐渡遷幸―配流の供奉者として召されたが、応じなかったという(『承久記』ほか)。 |
| 彼の子孫、特に二条家(御子左嫡流)は和歌とともに鞠道においても重きをなし、飛鳥井流にならぶ御子左流を形成したが、その始まりは為家に求められる。 |
| 承久の乱の後、鎌倉幕府と親しい養父西園寺公経が朝廷の実権を握ったことで、為家も順調に昇進する。 |
| 1226年(嘉禄2年)に参議として公卿に列すると、1236年(嘉禎2年)権中納言に、1241年(仁治2年)には、父定家を越える権大納言にまで昇進した。 |
| 為家は後嵯峨院歌壇の中心的な歌人としても活躍。 |
| 「宝治百首」に参加し、1251年(建長3年)には『続後撰和歌集』を単独で撰出している。 |
| 1256年(康元元年)に出家し、法号を融覚・静真と称した。 |
| 1265年(文永2年)には藤原基家など4人で『続古今和歌集』を撰進している。 |
| 晩年は『十六夜日記』を記した阿仏尼と同棲してその子冷泉為相を溺愛し、遺領相続に関して問題を残した。 |
| 『新勅撰和歌集』以下の勅撰和歌集に入集。 |
| 家集に『為家集』『中院詠集』『為家卿千首』、歌論集に『詠歌一体』がある。 |
系譜
| 母:藤原実宗の娘。 |
| 妻:宇都宮頼綱の娘。 |
| 男子:二条為氏(1222-1286)-御子左流二条家祖(摂家二条家とは別、和歌の流派二条派)。 |
| 男子:京極為教(1227-1279)。 |
| 男子:藤原為顕。 |
| 妻:安嘉門院四条(阿仏尼)-平度繁の養女。 |
| 男子:冷泉為相(1263-1328)-冷泉家祖。 |
| 男子:冷泉為守(1265-1328)。 |
| 女子:二条道良室。 |
| 猶子:承遍-兼遍の子。 |
| 猶子:覚源-頼全の子。 |
| 猶子:憲家-信承の子。 |
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1221年
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発生した承久の乱に際して、順徳天皇の佐渡遷... |
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