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つながりの強いひと
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藤原百川
奈良時代の公卿。初名は雄田麻呂。藤原式家の祖である、参議・藤原宇合の八男。官位は従三位・参議、贈正一位・太政大臣。 |
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吉備真備
日本の奈良時代の学者、政治家(公卿)。正二位・勲二等・右大臣。下道真備(しもつみちのまきび)、吉備下道真備(きびのしもつみちのまきび)などとも呼ば... |
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藤原仲麻呂
奈良時代の公卿。名は仲麿または仲丸とも記される。淳仁朝以降は改姓・改名し藤原恵美押勝(ふじわらえみのおしかつ)。藤原南家の祖である左大臣・藤原武智... |
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道鏡
奈良時代の法相宗の僧。物部氏の一族の弓削氏の出自で、弓削櫛麻呂の子。俗姓が弓削連であることから、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)とも呼ばれる。兄弟に弓... |
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左大臣
朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅(たいふ)」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」... |
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光仁天皇
第49代天皇(在位:宝亀元年10月1日(770年10月23日)-天応元年4月3日(781年4月30日))。 |
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藤原広嗣
奈良時代の廷臣。藤原式家の祖、参議・藤原宇合の長男。母は石上麻呂(一説には蘇我倉山田石川麻呂)の女。官位は従五位下・大宰少弐。 |
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藤原永手
奈良時代の貴族。藤原北家の祖・参議藤原房前の次男。官位は正一位・左大臣、贈太政大臣。長岡大臣と称する。 |
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藤原不比等
飛鳥時代から奈良時代初期にかけての公卿。藤原鎌足の次男。文献によっては史(ふひと)と記されている場合もある。「興福寺縁起」、「大鏡」、「公卿補任」... |
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和気清麻呂
奈良時代末期から平安時代初期の貴族。磐梨別乎麻呂(または平麻呂)の子。氏姓は当初、磐梨別公(いわなしわけのきみ)、のち藤野(輔治能)真人、和気宿禰... |
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藤原宇合
親 父
奈良時代の公卿。初名は馬養。右大臣・藤原不比等の三男。藤原式家の祖。官位は正三位・参議。勲二等。 |
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藤原種継
奈良時代末期の公卿。藤原式家の祖、参議・宇合の孫。無位・藤原清成の長男。官位は正三位・中納言、贈正一位・太政大臣。 |
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藤原清成
生没年不詳)は、奈良時代の貴族。藤原式家の祖である参議・藤原宇合の三男(異説あり)。無官位。 |
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桓武天皇
日本の第50代天皇(在位:天応元年4月3日(781年4月30日)-延暦25年3月17日(806年4月9日))。 |
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藤原旅子
藤原旅子 【ふじわらのたびこ】 2件の用語解説(藤原旅子で検索) Tweet 朝日日本歴史人物事典 の解説 生年:天平宝字3(759) 没年:延暦7.... |
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石上宅嗣
奈良時代後期の公卿・文人。姓は石上朝臣、のち物部朝臣、石上大朝臣。左大臣石上麻呂の孫。中納言石上乙麻呂の子。子に継足・藤原雄友室がいる。官位は正三... |
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大伴家持
大伴家持(おおとものやかもち、養老2年(718年)頃-延暦4年8月28日(785年10月5日))は奈良時代の貴族・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言... |
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文室大市
奈良時代の皇族・公卿。はじめ大市王を名乗るが、文室真人姓を賜与され臣籍降下。名は邑知・邑珍とも記される。天武天皇の孫。一品・長皇子の七男。官位は正... |
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早良親王
奈良時代末期の皇族。光仁天皇の皇子。生母は高野新笠。桓武天皇、能登内親王の同母弟。母方が下級貴族であったために立太子は望まれておらず、天平宝字5年(... |
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藤原豊成
奈良時代の貴族。藤原南家、左大臣・藤原武智麻呂の長男。官位は従一位・右大臣。別名難波大臣、横佩大臣(よこはぎのおとど)。 |
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プロフィール
藤原良継(ふじわらのよしつぐ、霊亀2年(716年)-宝亀8年9月18日(777年10月27日))は奈良時代の貴族。藤原式家の祖である、参議・ 藤原宇合の次男。初名は宿奈麻呂(すくなまろ)。官位は従二位・内大臣、贈正一位・太政大臣。勲四等。平城・嵯峨両天皇の外祖父。
経歴
| 父・宇合の死後、天平12年(740年)に発生した兄・広嗣の反乱(藤原広嗣の乱)に連座して伊豆へと流罪となる。 |
| 天平14年(742年)に罪を赦され少判事に任ぜられ、天平18年(746年)正六位下から従五位下に叙せられる。 |
| その後、越前守・上総介・相模守・上野守と地方官や、民部少輔・右中弁・造宮大輔と京官を歴任するが実績を上げることができなかった。 |
| 加えて、南家・北家に比べると式家の衰退振りは著しく、宿奈麻呂は不遇の日々を送っていた。 |
| 当時は南家の藤原仲麻呂の絶頂期であり、天平宝字6年(762年)には仲麻呂の3人の息子(真先・訓儒麻呂・朝狩)が参議となる一方、宿奈麻呂は47歳にして未だに従五位上の位階に甘んじていた。 |
| そのような状況の中、宿奈麻呂は佐伯今毛人・石上宅嗣・大伴家持らと結託し仲麻呂暗殺計画を企図するも計画は仲麻呂側に漏洩。 |
| 天平宝字7年(763年)4人は逮捕されるが、宿奈麻呂は単独犯行を主張、八虐の一つである大不敬との罪により解官の上、姓も剥奪された他の3人は罪は問われなかったものの九州に左遷された(佐伯今毛人:大宰府営城監、石上宅嗣:大宰少弐、大伴家持:薩摩守)。 |
| 天平宝字8年(764年)9月に仲麻呂が反乱を起こすと(藤原仲麻呂の乱)、宿奈麻呂は詔勅を受け兵数百人を率いてこれを討ち、従五位上から従四位下に昇叙されるとともに勲四等を叙勲され、さらに同年10月には正四位上・大宰帥に叙任された。 |
| 天平神護2年(766年)には従三位に昇進。 |
| 参議に任ぜられた石上宅嗣とともに公卿に列す。 |
| 神護景雲4年(770年)参議に昇進してまもなく称徳天皇が崩御、皇嗣選定にあたっては藤原北家の永手らとももに白壁王(光仁天皇)の擁立に尽力し、正三位・中納言に叙任された。 |
| 同年良継に改名。 |
| 宝亀2年(771年)左大臣・藤原永手が死去すると光仁天皇擁立の功臣として藤原氏一門の中心的存在となり、中納言から一挙に内臣に任ぜられ、右大臣・大中臣清麻呂に次いで、太政官の次席の座を占める。 |
| この頃になると権力を一手に握って思いのままに政治を行い、官人の人事も自由にしたという。 |
| 宝亀8年(777年)内大臣に任ぜられるがまもなく没し、即日従一位の位階を贈られた。 |
| 『万葉集』に採られた和歌作品はないが、天平宝字元年(757年)12月18日、三形王邸の宴で伝誦された妻の歌「藤原宿奈麻呂妻石川女郎薄愛離別悲恨作歌」巻20・4491番がある。 |
系譜
| 母:石川国咸大刀自読みは「いしかわのくにみなのおおとじ」-石上麻呂の娘?。 |
| 妻:安倍古美奈(安倍粳虫の娘)-尚侍。 |
| 女子:藤原乙牟漏(760-790)-桓武天皇皇后。 |
| 平城天皇・嵯峨天皇母。 |
| 男子:能原長枝『公卿補任』による。 |
| 女子:藤原楓麻呂室-藤原園人母?。 |
| 女子:藤原人数(?-809)-藤原鷲取室、藤嗣母。 |
| 女子:藤原家依室。 |
| 女子:藤原永手室。 |
| 女子:藤原諸姉(?-786)-藤原百川室、旅子母。 |
| 阿倍古佐美との間に生まれた娘乙牟漏は山部王(桓武天皇)との間に安殿親王(平城天皇)・神野親王(嵯峨天皇)・高志内親王を儲け、平城天皇の即位に伴い、良継は正一位・太政大臣を追贈された。 |
| しかしながら、男子には恵まれず越前守などを務めた一人息子の託美が長岡京で賊に襲われて死亡すると家は断絶するに至った。 |
参考文献
| 中川収「藤原良継の変」(『奈良朝政治史の研究』、高科書店、1991年)。 |
| 中川収「藤原良継の境涯」(『北海道私学教育研究協会研究紀要』12号、1967年)。 |
| 木本好信「石上宅嗣と藤原良継・百川兄弟」(『律令貴族と政争』、塙書房、2001年)。 |
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