| 本人によれば、従順しくてまじめで体が弱かった藤本は、小学校時代過酷ないじめに遭い、番長格の少年に似顔絵を評価されるまでずっと抜け出せなかったそうである。 |
| その時の気持ちがドラえもん、のび太に活かされているという。 |
| また、藤子不二雄の作品『まんが道』にも、その時の描写がある。 |
| ベレー帽とパイプがトレードマークであり、作中に登場する本人の似顔絵にも描かれている。 |
| 野球好きで、近鉄バファローズファンであった(『小学四年生』1971年1月号で読者の質問に回答)。 |
| また鉄道ファンでもあり、鉄道模型が趣味の一つ。 |
| 1983年にはテレビ番組『ドラえもんヨーロッパ鉄道の旅』にキャラクターと共演している。 |
| また鉄道、鉄道模型、SL等を題材にした作品も多数存在する事からも情熱の程が伺える(SF短編『四畳半SL旅行』、『ドラえもん』「SLえんとつ」「のび太の模型鉄道」「天の川鉄道乗車券」、『ポコニャン』「ダイナミックもけい鉄道」など)。 |
| 恐竜についての造詣の深さでも知られ、仕事机には始祖鳥の化石のレプリカやティラノサウルスのプラモデル、果てには本物のディプロドクスの尾の骨までが飾られていたという。 |
| 恐竜に関する関心の強さは作品の各所にも現れ、ドラえもん大長編第1作『のび太の恐竜』、第8作『のび太と竜の騎士』や本編の各所、SF短編と『T・Pぼん』などでも恐竜をモチーフにしたエピソードは数多い。 |
| 西部劇やガンマンにも関心が強く、それに関した話も少なくない。 |
| のび太には射撃の才能があるエピソードが多く描かれており、またドラミとタッグを組んだ後期の話(単行本24巻「ガンファイターのび太」)や『T・Pぼん』やSF短編集(『休日のガンマン』)などで本格的なスタイルのガンマンたちを描いている。 |
| 藤子不二雄・鈴木伸一・つのだじろうと共に8mmカメラで西部劇を撮影したこともある。 |
| 第二次世界大戦中に小学校時代を過ごした世代であり、大戦終結当時は国民学校(小学校)6年生であった。 |
| 従って、兵器、軍事、クーデター、革命などに関する作品も多くある(『まんが道』では戦艦の三面図を描いていたり飛行機の模型がある場面)。 |
| 作品としてはドラえもんでのスネ夫の戦艦「大和」乗っ取りから潜水艦攻撃までのシーン、大長編『のび太の宇宙小戦争』など。 |
| 兵器に関しては子供が憧れる格好いいものと描いている描写(スネ夫のセリフなど)があるが、戦争自体への考えは世代に関係なく一貫して虚しい物や恐るべきものとして描いている戦争に対する価値観が表出している作品としては『のび太の海底鬼岩城』でのポセイドンに関する描写、「ラジコン大海戦」でのスネ吉の「戦争とは金ばかりかかってむなしいものだなあ」、「ご先祖さまがんばれ」でのドラえもんの「お互いどっちも正義と思っているよ。 |
| 戦争ってそんなもんだよ」というセリフ、『のび太の創世日記』における宗教戦争の否定、SF短編では『マイシェルター』や『ある日…』など。 |
| また、ドラえもん初期には、第二次世界大戦に関するエピソードが幾つか見受けられる(疎開先での児童生活の辛さを描いた「白ゆりのような女の子」、上野動物園での動物の殺処分について触れた「ぞうとおじさん」など)。 |
| 『T・Pぼん』では主役達が特攻隊員に歴史干渉を実施している。 |
| 『ドラえもん』など、SF色(特にタイムトラベルを描いた内容)の強い作品の多さなどから解る通り、SFに対しての関心も強かった。 |
| SF短編などには、名作SFからの影響や引用が散見できる。 |
| 『スター・ウォーズ』が大ブームになった時期には、『ドラえもん』の各所に『スター・ウォーズ』にちなんだネタを数多く登場させた(パロディとして描いた「天井うらの宇宙戦争」(姫はアーレ・オッカナ、ロボットはR3-D3、敵はアカンベーダー)の話のほかにも、リザーブマシンで取った映画の席が『スター・ジョーズ』であるなど。 |
| SF短編では『ある日…』と『裏町裏通り名画館』に『スター・ウォーズ』のパロディ劇中劇がある。 |
| 初の専属アシスタントとして、『まいっちんぐマチコ先生』で知られるえびはら武司がいる。 |
| むぎわらしんたろう(萩原伸一)もアシスタントとして晩年の藤本を支え、一緒に劇を見たり途中で蕎麦を食べるなどとかなり親密な関係だった。 |
| 又、むぎわらが描いた漫画に細かい部分まで指導を行ったり、『ドラえもん』単行本の表紙を任せるなど、後進としても目をかけていた。 |
| 幾つかの作品に登場するキャラクター小池さんと同様に、「好きな食べ物はインスタントラーメン(特にチキンラーメン)」であると語っていた。 |
| 小池さんのモデルである鈴木伸一は、自分よりも藤本の方がずっとラーメン好きだったと語っている。 |
| お湯をかけるだけで食べられるという点が「魔法のよう」であると言い、旧スタジオ・ゼロの屋上でインスタントラーメンを食べているグラフが撮影されたこともある。 |
| アニメ版の制作は畑違いということもあり、細かいチェックや要望などは特に行わなかったとされている。 |
| ただしずかについてだけは特別な拘りを持っていたらしく、絵や性格などに注文を出す時があり、『ドラえもん大全集』にて大長編のエンディングテーマで武田鉄矢の降板が持ち掛けられた時、敢然と拒絶したことが武田本人により明かされている。 |
| また、最初の映画『のび太の恐竜』に客が入るのか不安で、公開前日に映画館の向かいのホテルに宿を取った。 |
| 封切り同時に多くの子供が駆け付け満員になったのを見て安心したという大山のぶ代著「ぼく、ドラえもんでした。 |
| 藤子Aと同様、手塚治虫を子供の頃から生涯を通じての最大の師と尊敬し続けた。 |
| 作風の面においてはハッピーエンドが多い藤子の作品と、重いテーマをシリアスに描くことの多い手塚の作品は対照的な部分もあるが、藤子Fは漫画の描き方の本や自伝などで頻繁に手塚作品への特別な思いを述べており、「いつか手塚先生のような壮大な作風にも挑戦してみたい気持ちもある」とも語っていた。 |
| 手塚を信奉するあまり、『コロコロ』初代編集長の千葉和治が手塚への批判を漏らしたところ、火が出るほど怒り、千葉を1週間近く事務所に出入りさせなかったという。 |
| 3人の娘がおり、末娘はかつてテレビ東京に勤務していた。 |
| 晩年、小学館の児童向け学習雑誌や『コロコロコミック』などに作品が掲載される際には、「マンガの王様」というクレジットがあった。 |