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ところが、時の映画界は五社協定で俳優の引抜が禁じられており、移籍は極めて困難だった。
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また当時、藤岡は周囲に対する関係の構築などにコンプレックスを持っており、「世間そのものが
ショッカーのようだった」と後に語っている。
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悩んだ末、藤岡は新人奨励金を受け取らない代わりに、さまざまなオーディションに応募する許可を取り付ける。
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テレビ初主演作かつ代表作となる『
仮面ライダー』もそうして得た仕事の一つだった。
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1971年(昭和46年)、『仮面ライダー』の主役である
仮面ライダー1号・
本郷猛役を演じたことで、俳優・
藤岡弘の名は、当時子供たちの間で大流行した「ライダーごっこ」と共に全国的に認知されることになる。
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ちなみに、歴代の
仮面ライダーシリーズのレギュラーで、恒常的に変身後の
仮面ライダーの中に入りアクションをこなした(バイクで階段を登ったりもしている)のは藤岡ただ一人である(単発では他にも多数の役者がライダーの中に入っている)。
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なお藤岡によれば、当初のライダースーツはのぞき穴の問題で前はろくに見えない、レザースーツのため動きにくいと言う代物を、毎回現場で改善しながら撮影しており、彼自身が「ヒーローのスーツはどうあるべきかの実験台になった」と言う側面もあったそうである。
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視界の悪い被り物を着けてのこのアクションでは、武道の心得のある藤岡の突きや蹴りが、
ショッカー役の大野剣友会の俳優たちにモロに入り、歯を折ってしまったりすることもあったそうだが、彼らは笑って許してくれたという。
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藤岡は彼らのアクション魂に深く感じ入ることも多く、のちのハリウッドでの映画出演の際にも彼らを招こうとしたが、アメリカの組合問題などもあって果たせなかったと語っている。
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こうして心機一転取り組んだ『
仮面ライダー』だが、放送もまだ開始されていない時期に、単車に乗っての撮影中にスピードオーバーが原因でカーブを曲がりきれず、支線\(電柱支持ワイヤー\)に突っ込み、左大腿部を複雑骨折する事故を起こし、長らくこの番組を休むこととなってしまう。
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また、これ以降は同じ事態を回避するため、それまでも藤岡と一緒にライダーを演じていた大野剣友会の
岡田勝ら
スタントマンが起用されるようになった。
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武道の心得のある藤岡は、事故直後に反対側を向いている自分の脚を見て、咄嗟に位置を戻し、そのあと気を失ったそうである。
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のちにこのときの事故の瞬間のラッシュ・フィルムを見せて欲しいとスタッフに頼んだが、絶対に見せてくれなかったという。
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番組の存続に関わる一大事に、普通なら完全降板となるところで、緊急企画会議では毎日放送側からは
本郷猛を死亡させる案も出た。
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しかし、東映プロデューサーの
平山亨は「子供達の
オールマイティーの夢を壊すことは出来ない」としてこれに強硬に反対、代わりに2号ライダーのアイデアを取りまとめ番組を継続したと言う。
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やがて傷も癒えた彼は、子供達の大喝采の中、翌年春に番組に復帰、番組も社会現象となるほどの大ヒット作となった。
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藤岡もこのことを述懐して、平山Pを恩人として敬意を表している。
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また、「この事故で自省したことで今の自分がある。
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事故がなければ自分は、アクションができるということを鼻にかけ、もっと嫌な人間になっていたかもしれない」とも振り返っている。
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『
仮面ライダー』での復帰は、1971年末の九州・桜島、阿蘇山でのロケからとなるが、実はまだ骨折箇所には固定用のボルトが入っており、それを絆創膏と包帯で抑えた状態だった。
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主治医からは、「今ロケに行くなんてとんでもない、下手をすると、一生歩けなくなるかもしれない」と猛反対されたが、藤岡はこの舞台を用意してくれたスタッフのために、それでもかまわないとロケを強行。
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撮影時には、ボルトの部分から血が滲んでいたという。
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無事ロケを終えたあとに、主治医に言われた「大丈夫です。
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脚は異常ありません」との言葉は、一生忘れられないとのことである。
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ちなみに回復後の左足はわずかに長くなってしまい、長年の「腰痛の元になってしまった」と自伝の本にて白状している。
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こうしたアクシデントを乗り越えて、『
仮面ライダー』で全国的知名度が上がったものの、あまりの人気ぶりに、当初は自分自身がそのイメージで固定されてしまうのを藤岡が怖れたほどだった。
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1975年頃のアップダウンクイズにおいて、シルエットクイズのゲストとして出演した際に、トークの場面で司会者の
小池清に「変身ポーズをやって見せてくれませんか?」とリクエストされたが、照れ笑いをしつつ「忘れました」と答えてやんわりと拒否したこともあった。
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ただ、本人は自分の役者としての飛躍があの作品をきっかけにしたものであったことは当時から忘れておらず、俳優として地歩を築くことに成功した現在では、「『
仮面ライダー』は僕の青春でした」と語り、ゲームなどでも
本郷猛を演じてオールドファンを喜ばせている。
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また、「自分の代わりに怪我をしてくれたアクションチームの裏方のみんなを差し置いて、ヒーロー役だったということで今さら自分だけが表に出るわけにはいかないと思った」とものちに語っている。
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ちなみに、『
仮面ライダーアギト PROJECT G4』では直接に
本郷猛役と明示はないものの、警視総監役で出演し、主人公達に「現在の俺に出来ないことを君達がやってくれ」と激励するという、初代仮面ライダーからのメッセージとも取れるシーンがあり、話題となった。
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その後、本人曰く「最も信頼していた者達の裏切り」(恐らく海外映画への出資に関わるものと思われる)に遭い多額の負債を抱える。
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それが元で暫く活動を休止する時期があったが、セガサターンのイメージキャラクター・「
せがた三四郎」を演じたテレビコマーシャルが大きな話題となり本格的に復帰する。
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彼が出演する、このCMと翌年のオートレースのコマーシャルが、CM大賞を受賞する。
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(藤岡の復活、
せがた三四郎人気はNHK紅白歌合戦に応援出場するほどであった。
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その後はヒロインの父親や校長、ヤクザの組長など、年齢に応じて風格の加わった存在感のある演技を見せている。
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NHKには馴染みが深く大河ドラマ「おんな太閤記」など「
織田信長」を演じる事も多かった。
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近年放送された「サラリーマン空手」では奥田英二(「円盤戦争バンキッド」で主演)と藤岡(
仮面ライダー1号)の二大ヒーローの競演が観られた。
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2008年公開の映画『トミカヒーロー
レスキューフォース 爆裂MOVIE マッハトレインをレスキューせよ!』において、久方ぶりとなる変身ヒーロー役、刑部零次/R0を演じ「藤岡氏がライダー以外のヒーローに変身する」として話題となった。
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この役についても、藤岡自身より「謎の男っぽさや過去の出来事をイメージ」して顔の傷や衣装、「変身後は少し古いデザインのスーツに変えてもらえないか」などとスタッフにアイデアを出している(変身するスーツは「全員が同じスーツを着用する」と言う番組の決まりがあったためデザインの変更はされていない)。