| 聖ドミニコ学園に小学校から高等学校まで在学して卒業。 |
| 4人兄弟の末っ子。 |
| 父は声楽家で元・岡山大学教育学部教授、藤村晃一。 |
| 母はピアノの先生。 |
| カトリックの家に生まれる。 |
| 幼少の頃に洗礼を受け、「マリア・ローザ」のクリスチャン・ネームを持つ。 |
| 音楽に関する特別な教育は受けていなかったが、自然と理論と歌唱の素養を身につけていった。 |
| 声質はハスキーボイスである。 |
| 公称身長156cm、体重40kgとスレンダーな体形である(1978年2月時点)。 |
| 踊りは、しっかりした体重移動によるキレを特徴とする。 |
| 以下、時系列で概説する。 |
| 1969年の夏に奥多摩のキャンプ場で偶然伊藤蘭、田中好子の二人と出会う(ただしこの出会いについては諸説あり)。 |
| 3人とも歌が好きということで意気が投合、その後も交流が続いた。 |
| その後伊藤と田中の二人は渡辺プロダクション傘下の東京音楽学院に入るが、藤村は両親に芸能界入りを反対されていた。 |
| しかし最終的には両親が熱意に負け、二人に1年遅れて1970年に学院に入り、スクールメイツに選抜される。 |
| 1972年(昭和47年)NHKの歌番組『歌謡グランドショー』のマスコットガールのオーディションに伊藤蘭、田中好子とともに合格。 |
| この3人組は「キャンディーズ」と命名され、マスコットガール兼アシスタント(椅子・マイク運び・代理音合わせ)として活動。 |
| 1972年の第23回NHK紅白歌合戦では橋幸夫(子連れ狼)のバックコーラスを務めている。 |
| 1973年(昭和48年)9月1日、キャンディーズとして「あなたに夢中」で歌手デビュー(ニックネームはミキちゃん)。 |
| キャンディーズの音楽面のリーダーを自負していた。 |
| このため歌うのが難しいパートを担当することが多く、コーラスパートは主にアルトを担当していた。 |
| しかし低音のみならず、地声でかなりの高音を出せる。 |
| これは例えば、「コットン・フィールズ」(アルバム『なみだの季節』収録)で聴くことができる。 |
| ミキのアルトパートの音量は、シングルレコードでは他の二人に比べて小さめに録音されていることが多いため、慣れないと聞き取りにくい。 |
| 逆に最も明瞭に録音されているのが「ハートのエースが出てこない」である。 |
| コーラスパートは前述のようにアルトであるが、曲によっては主旋律の上を歌うこともある。 |
| それは「危い土曜日」「春一番」「哀愁のシンフォニー」「やさしい悪魔」である。 |
| A面に関しては長らくメインボーカルをとることはなかったが、解散直前にランとスーの要望により、ミキがメインボーカルの「わな」が発表され、歌唱披露時はミキがセンターを務めていた。 |
| さらに事実上のラストシングルとなった「微笑がえし」でも、1番目の歌詞のサビ部分で、従来左位置のミキがランと入れ替わり、センターの位置で歌唱していた。 |
| 1977年(昭和52年)以降は、歌手としてだけではなく、作詞・作曲(共作含む)も行う。 |
| 作品に「素敵な魔法使い」「さよならの朝」「買い物ブギ」「エプロン姉さん~マキちゃんに捧げる唄~」「猫と兄貴」「おとうさんあなたへ」「FORFREEDOM」「IT'SVAINTRYTOLOVEYOUAGAIN」「あこがれ」「STOP!」「SEXY」がある。 |
| また藤美樹名義で「二人のラブトレイン」を作詞している。 |
| なお、作曲数11曲はキャンディーズオリジナル曲提供作曲数としては39曲の穂口雄右に続いて、森田公一とともに第2位タイである。 |
| 1978年(昭和53年)4月のキャンディーズ解散後は芸能活動を休止していたが、5年後の1983年(昭和58年)に一時的に復帰。 |
| BOURBONレーベル(徳間音工)から、シングル「夢・恋・人。 |
| 」、LPレコードをリリースした。 |
| 期間限定でソロの歌手活動をするが、間もなくして実業家だった尾身善一との結婚を機に芸能界を引退。 |
| その後4半世紀以上公の場には姿を現していなかったが、田中好子が2011年4月21日に亡くなったことにより、田中の通夜(同年4月24日)に参列のため姿を見せた。 |
| 告別式(同年4月25日)では、伊藤蘭と共に弔辞を読んだ。 |