| 1933年4月13日、東京府東京市北豊島郡(現:東京都豊島区)に生まれる。 |
| 父親は無声映画時代のスター俳優だった藤間林太郎藤田によると、物心ついた時林太郎は俳優として落ち目になっていた。 |
| しかし「売れないことやお金がないことを苦にするふうでもなく、きれいに、美しく落ちて行った」という。 |
| 藤田は俳優として陰がある人物や必ずしも成功者とはいえないような人物を演じることを好んだが、かつては父親の生き様の影響かもしれないと述べている(藤田1991、40-43頁)。 |
| 1964年、藤田は梅田コマ劇場で上演された「てなもんや三度笠」の舞台で林太郎と共演した。 |
| これが親子の唯一の共演である(藤田2006、31-32頁)。 |
| この時林太郎は「俺から見てもおまえは絶対にうまい俳優じゃない。 |
| 人気だって急に出た人気だ。 |
| おまえから俺を見ても、うまい役者だとはとても思えないだろう」「親子揃って大根役者だ。 |
| そんな二人が客の前で恥をかくのはやめよう。 |
| 恥かくんなら別々に恥かこう」と述べ、自分が俳優を続けるとまた共演の話がくるという理由で廃業し、出版社で校正の仕事をするようになった(藤田1999、88-89頁)。 |
| 藤田は林太郎から「道の真ん中を歩くのはお客さん。 |
| 芸人は道の脇を歩け。 |
| 」と教えられ、終生その教えを守った(藤田2006、35頁)。 |
| で、母親は林太郎が大阪の帝国キネマに在籍していた時に身請けした芸妓であった藤田2006、7頁。 |
| 藤田は芸能人となった後、林太郎にしばしば「お前が生まれるのには金がかかっている。 |
| 芸人ならばお前の代で元を取れ」と言われたという藤田2006、7頁。 |
| 週刊文春(編)2001、209頁。 |
| 藤田の姉と兄が生まれた後、帝国キネマは撮影所の火災が原因で倒産したため林太郎は大都映画に移籍。 |
| そのため藤田は東京で生まれた週刊文春(編)2001、208-209頁。 |
| 母親は藤田を産んだ後伏せりがちとなり間もなく他界したため、藤田はほとんど記憶にないという藤田2006、6・8頁。 |
| 小学校時代に林太郎が再婚。 |
| 藤田は継母とそりが合わず藤田によると再婚した当初は特に反感は抱いておらず兄が反抗していたが、兄に影響されて反抗するようになった。 |
| やがて兄は反抗を止めるようになり、藤田だけが反抗するようになった藤田2006、9-10頁。 |
| 藤田は継母を決して「お母さん」とは呼ばず、兄と姉から「『お母さん』と言え」と殴られたこともあった藤田2006、11頁。 |
| 1943年、一家は関西へ移った。 |
| はじめは大阪府枚方市光善寺へ引っ越したが近くに兵器工場があったため空襲に遭う危険のあることが分かり、京都府京都市の四条堀川へ引っ越した藤田2006、10-11頁。 |
| 終戦後の1946年、かつて住んでいた光善寺の長屋の大家との養子縁組の話が持ち上がり、継母を嫌っていた藤田は承諾した。 |
| 藤田は養父母に馴染んだ藤田2006、15頁。 |
| が、間もなく志願兵として兵役についていた兄の戦死が判明(搭乗していた輸送船江龍丸がアメリカ軍の攻撃に遭い、沖縄の久米島沖で沈没)し、元の家族の下に戻ることになった藤田2006、16-17頁。 |
| 兄が家を出た後、藤田は姉から「お前がお母さんの言うことを聞かないので、家の中がめちゃめちゃになってしまった。 |
| だから、お兄ちゃんは居づらくなって戦争に行ったんだ」と言われた藤田2006、12頁。 |
| 後に藤田は兄からの葉書をコピーし、常に携帯するようになった2006年9月、藤田は著書『最期』で兄について執筆したのを機に沖縄を訪れ、那覇沖の海に白米のおにぎり、卵、花束、を投げ入れて冥福を祈った(藤田2006、216-220頁)。 |
| 藤田2006、5-6頁。 |
| 藤田は後年、継母について「いい人でした」、「大金持ちのところ藤田は継母の前夫について、「とある著名な文化人」と述べている藤田2006、9頁。 |
| から、惚れて貧乏役者のところに来たのに、子供が全くなつかなかったというのは辛いことだったでしょう。 |
| 彼女にも悪かった」と述べている藤田2006、17-18頁。 |
| 継母は4、5年で林太郎と離婚した。 |
| 藤田が元の家族のもとへ戻った時、姉は肺を患い伏せっていた間もなく死去藤田2006、35頁。 |
| 加えて林太郎は家庭を顧みない性格の人間だったため、藤田は「頼れるのは自分の才覚だけ」という心境に至り藤田2006、18頁。 |
| 、学校をサボって闇市を徘徊藤田2006、42頁。 |
| 、夜は京都市内のキャバレーや将校クラブの近くで進駐軍兵士の靴磨きや連絡係をして金を稼いだ藤田2006、19-20頁。 |
| 稼いだ金で買ったどぶろくが藤田が飲んだ最初の酒で、ヒロポンやエフェドリンにも手を出した藤田2006、22-23頁。 |
| 19歳の時に九州から大阪へ向かう夜行列車の中でヒロポンを使用していたところを警察官に見つかり、逮捕されたこともある藤田2006、23-26頁。 |
| 後年、藤田は『はぐれ刑事純情派』で刑事役を演じたことがきっかけである警察幹部と親しくなったが、ある時ヒロポン使用での逮捕歴を持ち出され、「藤田さん、若いころはやんちゃだったんですね」とからかわれた藤田2006、26頁。 |