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つながりの強いひと
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大隈重信
日本の武士(佐賀藩藩士)、政治家、教育者。位階は従一位。勲等は大勲位。爵位は侯爵。政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣(第3・4・11・14・29代)、農... |
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蜂須賀斉裕
親
江戸時代末期の大名。阿波国徳島藩の第13代藩主。11代将軍・徳川家斉の二十二男。母は家斉の側室・お八重の方(皆春院)。正室は鷹司政通の娘・鷹司標子。子... |
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華族
1869年から1947年まで存在した近代日本の貴族階級のことである。公家に由来する華族を公家華族、江戸時代の藩主に由来する華族を大名華族(諸侯華族)、国家... |
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蜂須賀正韶
蜂須賀正韶(はちすかまさあき、明治4年3月8日(1871年4月27日)-昭和7年(1932年)12月31日)は日本の政治家、侯爵、阿波蜂須賀家第17代当主。 |
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西園寺公望
日本の公家、政治家、元老。位階・勲等・爵位は贈従一位大勲位公爵。雅号は陶庵、不読、竹軒。 |
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須賀隆
須賀隆の出演番組情報ブログパーツを作成 須賀隆の関連ページ suchowan's Home Page 暦とリンク集を中心とするサイトです。暦の相互変換ができます。 ... H... |
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松平容保
江戸時代末期の大名・陸奥国会津藩9代目藩主であり、また最後の藩主でもある。血統的には水戸藩主徳川治保の子孫である。京都守護職。美濃国高須藩主・松平義... |
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徳川慶篤
江戸時代後期の大名。常陸水戸藩第10代藩主。諡号は順公。最後の将軍・徳川慶喜の同母・長兄。 |
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榎本武揚
江戸幕末~明治期の武士・幕臣、政治家。海軍中将正二位勲一等子爵。通称は釜次郎、号は梁川。名前は「えのもとぶよう」と有職読みされることもある。 |
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松方正義
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井上馨
日本の武士・長州藩士、政治家、実業家。本姓は源氏。清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む安芸国人毛利氏家臣・井上氏。元老桂太郎陸軍大将とは義理の親子の... |
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清浦奎吾
日本の司法官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。爵位は伯爵。幼名は普寂(ふじゃく)。旧姓は大久保(おおくぼ)。貴族院議員、司法大臣、農商務大臣... |
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高島鞆之助
幕末の薩摩藩士、明治・大正時代の陸軍軍人、政治家。薩摩藩士高島喜兵衛の四男。諱は昭光。栄典は陸軍中将正二位勲一等子爵。陸軍大臣・拓殖務大臣・枢密顧... |
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芳川顕正
日本の官僚、政治家。阿波国麻植郡山川町(後の徳島県吉野川市)出身。華族であり、子爵、のち伯爵である。官僚時代は、藩閥の後ろ盾がなく苦労するが、銀行... |
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樺山資紀
樺山資紀(かばやますけのり、天保8年11月2日(1837年12月9日)-1922年(大正11年)2月8日)は日本の幕末から明治・大正時代にかけて活躍した武士(薩摩藩士... |
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濱尾新
濱尾新(はまおあらた、1849年5月12日(嘉永2年4月20日)-1925年9月25日)は日本の教育行政官、政治家。子爵。文部大臣、東京帝国大学総長、内大臣、貴族院議... |
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黒田清隆
薩摩藩士、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍中将。位階はは従一位。勲等は大勲位。爵位は伯爵。通称は仲太郎、了介。新字体で黒田清隆(くろだきよたか)と表記... |
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三条実美
日本の公卿、政治家。位階は正一位。勲等は大勲位。爵位は公爵。号は梨堂(りどう)。新字体で三条実美(さんじょうさねとみ)と表記されることもある。右大... |
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徳川家茂
江戸幕府第14代征夷大将軍である。実父は第12代将軍徳川家慶の実弟であり、第13代将軍家定の従兄弟にあたる。将軍就任の前は徳川御三家紀州藩第13代藩主。初... |
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蜂須賀斉昌
阿波国徳島藩の第12代藩主。第11代藩主・蜂須賀治昭の次男。正室は井伊直中の娘・井伊穠、継室は鷹司政熙の娘・鷹司并子。官位は正四位上、阿波守、侍従。諱... |
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プロフィール
蜂須賀茂韶(はちすかもちあき)は、江戸時代末期の大名。阿波国徳島藩の第14代(最後)の藩主。文部大臣、東京府知事、貴族院議長を歴任した。第13代藩主・ 蜂須賀斉裕の次男。母は鷹司標子。正室は蜂須賀隆芳の娘、継室は 徳川慶篤の娘・随子。子は 蜂須賀正韶(長男)。官位は従四位上、阿波守。 侍従。 爵位は侯爵。幼名は氏太郎。
経歴
| 慶応4年(1868年)1月、父の急死により家督を継ぐ。 |
| しかし斉裕の死が鳥羽・伏見の戦いの最中であったことから、藩内は大混乱をきたした。 |
| その後の戊辰戦争では新政府側に与して奥羽にも兵を送ったが、相次ぐ藩内の混乱のため、新式のイギリス軍備を導入していたにもかかわらず少数の藩兵しか送れず、諸藩からの冷評を受けたとまで言われている。 |
| 明治維新後はオックスフォード大学に留学した。 |
| 明治15年(1882年)から同19年(1886年)まで駐フランス公使(スペイン・ベルギー・スイス・ポルトガル公使も兼務)。 |
| 帰国後、第11代東京府知事(1890年-1891年)、第2代貴族院議長(1891年-1896年)、文部大臣等を務め、麝香間祗候の待遇を受ける。 |
| また、京都東山の豊国神社の豊臣秀吉廟が修築された折には燈籠を寄進している(先祖の蜂須賀正勝は秀吉の恩によって大名になった)。 |
| 法号は大源院殿。 |
| 墓所は徳島市の万年山。 |
年譜
| 3月、従四位上に叙位。 |
| 侍従に任官し、淡路守を兼任。 |
| 4月、左近衛権少将に転任。 |
| 1月17日、家督を相続する。 |
| 3月4日、朝廷の議定に補任。 |
| 刑法官事務局輔を兼帯。 |
| 同月、左近衛権中将に転任。 |
| 淡路守の任替。 |
| 同月、従二位に昇叙し、権中納言に転任。 |
| 4月21日、刑法官事務局輔の兼帯を止む。 |
| 4月8日、明治政府の民部官知事を兼帯。 |
| 5月15日、議定・民武官知事を止め、麝香間祗候に異動。 |
| 6月24日、徳島藩知事に異動。 |
| 7月14日、廃藩。 |
| 8月20日、左院少議官に仕官。 |
| 10月18日、左院少議官辞任。 |
| 、イギリス・オックスフォード大学にて留学。 |
| 1月、大学卒業に伴い、帰国。 |
| 8月、外務省御用掛に任官。 |
| 4月10日、大蔵省関税局長(三等出仕)に異動。 |
| 5月24日、参事院議官に異動。 |
| この段階で勲三等に叙勲をしている。 |
| 5月25日、法制部勤務。 |
| 12月20日、駐フランス国特命全権公使として異動し赴任。 |
| 7月7日、侯爵を授爵。 |
| 9月、駐フランス国特命全権公使の任を終え、帰国。 |
| 6月7日、元老院議官(勅任官一等)に任官。 |
| 7月12日、高等法院予備裁判官を兼帯。 |
| 2月、侯爵議員を終身兼帯。 |
| 5月19日、東京府知事並びに東京市長を兼帯。 |
| 7月21日、貴族院議長に異動。 |
| 12月20日、正二位に昇叙。 |
| 3月12日、勲二等旭日重光章を受賞。 |
| 9月28日、第二次松方正義内閣の文部大臣を兼帯。 |
| 10月3日、貴族院議長辞任。 |
| 11月6日、枢密顧問官に異動(終身)。 |
| 4月13日、文官高等懲戒委員長を兼帯。 |
| 7月4日、会計検査官懲戒裁判所長官を兼帯。 |
| 10月10日、会計検査間懲戒裁判所長官を再度兼帯。 |
| 2月8日、議定官を兼帯。 |
| 7月6日、教育調査会総裁を兼帯。 |
| 2月10日、従一位に昇叙し、勲一等旭日桐花大綬章を受賞。 |
盗賊伝説について
| 司馬遼太郎の『街道をゆく43濃尾参州記』に、こんな記述がある。 |
| 茂韶が宮中に参内して応接室で待たされたとき、ふと卓上にあった紙巻タバコを一本失敬したところ、やってこられた明治天皇がそれに気づかれ、諧謔を以って「蜂須賀、先祖は争えんのう」と嬉しそうに茂韶をながめられたという。 |
| これは明治天皇が『太閤記』の記述に基づき阿波の徳島藩主蜂須賀氏の初代蜂須賀正勝が盗賊あがり(土豪あがり)だと思っていたためだろう。 |
| これがきっかけとなり、蜂須賀家では歴史学者の渡辺世祐に依頼して、正勝が盗賊ではないことを立証してもらったという。 |
| また、司馬の著書に先立つ河盛好蔵の『人とつき合う法』には、名前は伏せてあるが(H侯爵家となっているが、武家の侯爵家でイニシャルがHになるのは他に細川氏しかない)、明らかに蜂須賀家を指して、先祖が夜盗として有名であったが、何とか先祖の汚名をそそぎたく、夜盗ではなかったと立証してもらいたいと、喜田貞吉に依頼したという記述がある。 |
| しかし喜田は調査の結果、「H侯爵家の先祖はたしかに夜盗であった。 |
| しかし夜盗というものは、その時代には決して恥ずべき職業ではなかった、ということなら、歴史的に証明してみせます」と回答したため、それでは困ると沙汰やみになったという。 |
| 両方の記述が正しければ、蜂須賀家はまず喜田に依頼したあと、その回答に不満を持ち、渡辺に改めて依頼したことになると思われる。 |
| ただ、茂韶の父斉裕が11代将軍家斉と皆春院の間に生まれた子なので、茂韶に蜂須賀正勝の血は流れていない。 |
| また、明治天皇の祖父・仁孝天皇の生母・東京極院の母は池田仲庸の娘であり、池田仲庸の曽祖父池田光仲の母は蜂須賀至鎮(正勝の孫)の娘・三保姫である。 |
| 蜂須賀正勝━家政━至鎮━三保姫━池田光仲━仲澄━仲央━仲庸━数計子━勧修寺婧子━仁孝天皇━孝明天皇━明治天皇。 |
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