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つながりの強いひと
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高橋由一
高橋由一(たかはしゆいち、文政11年2月5日(1828年3月20日)-明治27年(1894年)7月6日)は江戸生まれの日本の洋画家。幼名は猪之助、名は浩、明治維新後に... |
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エドワード・S・モース
アメリカの動物学者。標本採集に来日し、請われて東京大学のお雇い教授を2学年勤め、大学の社会的・国際的姿勢の確立に尽力した。大森貝塚を発掘した。日本に... |
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加藤弘之
日本の政治学者、教育家、官僚。勲等は勲一等。爵位は男爵。学位は文学博士(1888年)、法学博士(1905年)。幼名は土代士(とよし)、のち弘蔵(こうぞう)... |
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木下直之
美術史家。東京大学教授(文学部思想文化学科および大学院人文社会系研究科文化資源学専攻)。専門は、博物館学、日本美術史、写真史、見世物史。 |
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上野彦馬
上野彦馬(うえのひこま、天保9年8月27日(1838年10月15日)-明治37年(1904年)5月22日)は幕末期から明治時代にかけて活動した日本の写真家(写真師)。日... |
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下岡蓮杖
日本の写真家(写真師)、画家。「蓮杖」は号で、通称は久之助。 |
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川上冬崖
幕末から明治前期にかけて活躍した南画家、洋風画家、図画教育者である。名は寛(ひろし)。字は子栗。通称は万之丞。 |
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浅井忠
明治期の洋画家。教育者としても貢献した。江戸の佐倉藩中屋敷に藩士・浅井常明の長男として生まれる。少年時代は現在の佐倉市将門町で1863年から1872年まで... |
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町田久成
幕末の薩摩藩士で明治時代の士族。島津氏庶流。実弟に小松清緝(改名前は町田申四郎実種)。小松清廉の妻の小松千賀は叔母。慶応元年、他の18名と共にイギリ... |
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外山正一
明治時代の教育家・文学者・社会学者。号は丶山(ちゅざん)。 |
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岩橋教章
幕末、明治の海軍軍人、地図制作者、西洋画家。 |
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高田屋嘉兵衛
江戸時代後期の廻船業者、海商である。幼名は菊弥。 |
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矢代幸雄
日本の美術史家、美術評論家である。音楽家矢代秋雄は子息。 |
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三浦正幸
日本の建築学者。広島大学大学院教授一級建築士、博士(工学)を取得。1999年より広島大学大学院文学研究科教授に就任。専攻は日本の古建築(社寺・城・民家... |
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宮本三郎
宮本三郎(みやもとさぶろう、1905年5月23日-1974年10月13日)は石川県能美郡末佐美村(現・小松市)生まれの洋画家である。 |
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サミュエル・ビング
サミュエル・ビング(SamuelBing,本名SiegfriedBing,1838年-1905年)はパリで美術商を営んだドイツ人。日本の美術・芸術を欧米諸国に広く紹介したことと、ア... |
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向井潤吉
向井潤吉(むかいじゅんきち、11月30日-11月14日)は日本の洋画家。戦前から戦後にかけて活躍、40年以上に渡り北海道から鹿児島までを旅し、生涯古い民家の絵... |
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小和田哲男
小和田哲男(おわだてつお) 1944年(昭和19年)静岡生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、静岡大学名誉教授。日本中世史を専攻。
主な... |
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プロフィール
蜷川式胤(にながわのりたね、1835年6月18日(天保6年5月23日)-1882年(明治15年)8月21日)は、明治初期の官僚、古美術研究家。博物館の開設に尽力し、また、日本の陶器を海外に紹介した。
生涯
| 子賢の長男として京都に生まれた。 |
| 幼名与三郎、また親胤。 |
| 祖先は丹波船井郡高屋村(現在の京都府船井郡京丹波町富田)の代官であったが、加勢した明智光秀の敗亡のため、京都に移って東寺の客(公人くにん)となり、代々、境内東北隅の屋敷に住んだ。 |
| 父に学び、また、若い頃から古美術を研究し、すでに1858年(安政4年)、正倉院の宝物模写図に奥書を残している |
| 1869年(明治2年)(35歳)7月、東京丸の内道三丁(現在の千代田区大手町2丁目)に家を与えられ、次の職歴を経た。 |
| 1869年7月、太政官制度取調御用掛、権少史から少史へ進み、従7位。 |
| 1871年、少史が廃官となり、外務省の外務大録として編輯課御用書類下調掛。 |
| 1872年、文部省博物局御用兼務を兼務して、八等出仕。 |
| 1875年、内務省博物館掛。 |
| 1877年、1月、病を理由に退職。 |
| 在任中の業績に、次があった。 |
| 1869年-1871年、民法編纂の会議に列して、フランス民法の翻訳に協同した。 |
| 海軍の軍艦旗と短剣、陸海軍の軍服の制定に関係した。 |
| 1871年、2月、太政官に許可を願い、3月、写真師横山松三郎・洋画家高橋由一と、『旧江戸城写真帖』を作った |
| 常設の博物館を上野と芝に開設するよう、町田久成らと建議した。 |
| 5月、田中芳男らと九段坂上で物産会を開いた |
| 10月の京都博覧会の開催に尽力した。 |
| 岩倉使節団のための、書類の準備に携わった。 |
| 1872年、3月-4月一杯、町田久成、当時オーストリア=ハンガリー帝国公使館勤めのハインリッヒ・フォン・シーボルトらと湯島聖堂大成殿で、文部省博物局主催の日本初の博覧会を開いた。 |
| 東京国立博物館の始まりとされている |
| これは翌年のウィーン万国博覧会の準備でもあった。 |
| 5月から10月まで、(太政官の前年5月の布告『古器旧物保存方』に基づき)、町田久成に従い、高橋由一・横山松三郎らと、伊勢・名古屋・奈良・京都の古社寺や華族の宝物を調査し、さらに正倉院の調査を行った。 |
| 『壬申検査』と呼ばれる |
| この調査のうちの正倉院開封の状況を、日記『奈良の筋道』に残した。 |
| 1875年、4月1日からの奈良博覧会に出展のため、再び正倉院へ出張した。 |
| 道三町の自宅には多くの陶器を所蔵した。 |
| 退職前の1876年1月、屋敷の一部を出版所『楽古舎』に改め、川端玉章、高橋由一らを雇い、『観古図説陶器之部』の第1-第5冊を、1876年から1878年にかけて刊行し、さらに1869年秋、関西へ調査の旅をした上で、第6冊を1879年に、第7冊を1880年に刊行した。 |
| 石版刷りに彩色を施した画集である。 |
| 京都玄々堂の松田敦朝が刷った |
| 仏文あるいは英文の解説も付けられ、殆どが輸出され、海外コレクターの指標になった。 |
| 『楽古舎』では、同好を集めて古陶器の「当てっこ」もした。 |
| ハインリッヒ・フォン・シーボルトやエドワード・S・モースも訪れた。 |
| 式胤は1879年初から、モースと繁く交わって日本の陶器の鑑識について教え、1000点以上と推測される古陶器を、贈り、或いは共に町に出て集めた。 |
| 今日ボストン美術館が所蔵する『モース日本陶器コレクション』の発祥である |
| 1882年(明治15年)8月21日、没した。 |
| 谷中の葬儀に参列したモースは、死因をコレラと記しているモース著、石川欽一訳、『日本その日その日3』、東洋文庫179(p.167-p.171)。 |
| 1902年(明治35年)、姉の辰子が、『観古図説陶器瓦之部』、『観古図説瓦之部』を刊行した。 |
| 正倉院の所蔵品の散逸に式胤が関わる、との推論が行われている由水常雄:『天皇のものさし』、麗澤大学出版会(2006)ISBN9784892054983。 |
おもな著述
| 『蜷川式胤日記』、(1869-1882)、蜷川家蔵。 |
| 『旧江戸城写真帖』、(1871)、東京国立博物館蔵、重要文化財。 |
| 『壬申検査社寺宝物図集』31冊のうちの第1-第7冊、および、『壬申検査古器物目録』5冊のうちの巻1&3、(「壬申検査」の共著)(1872)、東京国立博物館蔵、重要文化財 |
| 『観古図説陶器之部』第1-第7巻、(1876-1880)→蜷川親正編、中央公論美術出版(1990)。 |
| 『観古図説陶器之部』第8巻、未完、原稿はボストン美術館蔵。 |
| 『観古図説城郭之部』1巻、(1878)→新訂、中央公論美術出版(1990)ISBN9784805501856。 |
| 『観古図説瓦之部』1巻、(1902)。 |
| 『観古図説陶器瓦之部』1巻、(1902)。 |
| 『古器物記』、(1877-1882)、蜷川家蔵。 |
| 『徴古図説』4巻(未完)。 |
| 『好古図説』4巻(未完)。 |
| 米崎清実編、『奈良の筋道』、中央公論美術出版(2005)。 |
| 『服制に関する建言書案』、『服制に関する書状案』、『明治三年覚書』、『奈良之筋道』(1872)。 |
参考図書
| 脚注の記事のほか、。 |
| 蜷川第一編、『蜷川式胤追慕録』(1932)(没後50年の記念展観の冊子)。 |
| 「ドロシー・G・ウェイマン著、蜷川親正訳、『エドワード・シルベスター・モース』下、中央公論美術出版(1976)ISBN9784805501030」巻末の、『蜷川親正:あとがき』。 |
| 守屋毅編、『共同研究モースと日本』、小学館(1988)ISBN9784093580212。 |
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1835年
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蜷川 式胤(にながわのりたね、(天保6年5月2... |
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1869年
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太政官制度取調御用掛、権少史から少史へ進み... |
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