|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
五升庵
五升庵蝶夢 【ごしょうあん-ちょうむ】 1件の用語解説(五升庵蝶夢で検索) Tweet デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説 五升庵蝶夢 ご... |
|
|
松尾芭蕉
江戸時代前期の俳諧師。現在の三重県伊賀市出身。幼名は金作。通称は藤七郎、忠右衛門、甚七郎。名は宗房。俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(... |
|
|
内藤丈草
氏 名 よ み 略 伝 20011 内藤丈草 ないとう じょうそう 俳人・尾張犬山藩士。名は本常、通称林右衛門、号は仏幻... |
|
|
荘子
中国の戦国時代の宋国(現在の河南省)に産まれた思想家で、道教の始祖の一人とされる人物である。荘周(姓=荘、名=周)。字は子休とされるが、字について... |
|
|
千葉美加
日本の歌手、女優。岩手県釜石市出身、東京都世田谷区育ち。堀越高等学校卒業。パンチの効いたよく通るパワフルな歌声が特徴。 |
|
|
宗祇
室町時代の連歌師。号は自然斎、種玉庵。姓は飯尾(いのお/いいお)というが定かではない。生国は、紀伊とも近江とも言われている。 |
|
|
各務支考
江戸時代前期の俳諧師。蕉門十哲の一人。村瀬吉三郎の子。別号に東華房、西華房、獅子庵などがある。美濃国山県郡北野村西山(現在の岐阜市)出身。幼少より... |
|
|
高浜虚子
高浜虚子(たかはまきょし、1874年(明治7年)2月22日-1959年(昭和34年)4月8日)は明治・昭和期の俳人・小説家。本名・高濱清(たかはまきよし)。ホトトギ... |
|
|
木曽義仲
木曽義仲史学会は10、11日、創立10周年記念の総会と研修会を木曽町で開いた=写真。一般の聴講も目立ち、今井弘幸会長=木曽町日義=は「地道な取り組みを続... |
|
|
皆川淇園
江戸時代中期の儒学者。父は皆川成慶(春洞、白洲)で、実弟に国学者富士谷成章(層城、北辺)がいる。淇園は号で、名は愿(げん)。字は伯恭。通称は文蔵。... |
|
|
与謝蕪村
江戸時代中期の日本の俳人、画家。本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考... |
|
|
巴御前
平安時代末期の信濃国の武将とされる女性。字は鞆、鞆絵とも。『平家物語』によれば、源義仲の便女。『源平闘諍録』によれば、樋口兼光の娘。『源平盛衰記』... |
|
|
良寛
良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日〔1758年11月2日〕-天保2年1月6日〔1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。俗名、山本栄蔵... |
|
|
今井兼平
今井兼平(いまいかねひら)は平安時代末期の武将。正式な名のりは中原兼平(なかはらのかねひら)。父は中原兼遠。木曾義仲の乳母子で義仲四天王の一人。兄... |
|
|
落柿舎
嵯峨野(京都府京都市右京区)にある松尾芭蕉の弟子、向井去来の別荘として使用されていた草庵。去来がこの草庵について書いた「落柿舎ノ記」がある。古い家... |
|
|
伊藤若冲
近世日本の画家の一人。江戸時代中期の京にて活躍した絵師。名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。初めは春教(しゅんきょう)と号したという記事があ... |
|
|
朝日山
朝日山(あさひやま)は日本相撲協会の年寄名跡のひとつで、旧大阪相撲で由緒ある頭取名として受け継がれていた。初代・朝日山が四股名として名乗っていたも... |
|
|
大江丸
江戸時代中期の俳人。姓は安井(やすい)。名は、諱が政胤(まさたね)、幼名が利助(りすけ)、隠居名が宗二(そうじ)。通称は大和屋善右衛門(やまとやぜ... |
|
|
向井去来
江戸時代前期の俳諧師。蕉門十哲の一人。儒医向井元升の二男として肥前国(今の長崎市興善町)に生まれる。堂上家に仕え武芸に優れていたが、若くして武士の... |
|
|
源頼朝
平安時代末期、鎌倉時代初期の武将である。鎌倉幕府の初代征夷大将軍として知られる。平安時代末期に河内源氏の源義朝の三男として生まれ、父・義朝が平治の... |
|
|
プロフィール
蝶夢(ちょうむ、享保17年(1732年)-寛政7年12月24日(1796年2月2日))は、江戸時代中期の僧・俳人。名は九蔵。号を洛東・ 五升庵・泊庵と称した。京都の出身。
経歴
| 京都法国寺(時宗)に入り、其阿(きあ)に師事して9歳で得度。 |
| 13歳で俳諧を志し、初めは宗屋(そうおく)の門下であった。 |
| 1757年(宝暦9年)、敦賀に赴いたのをきっかけとして、支麦の系統の地方俳諧に接し、都市風の俳諧から地方風の俳諧に転じた。 |
| 俳人で行脚僧の既白や加賀国出身の二柳・麦水などと交流し、蕉風俳諧の復興を志した。 |
| 芭蕉70回忌法要に大津馬場の義仲寺(芭蕉墓所)を訪れ、その荒廃を嘆き再興を誓った。 |
| 35歳のとき法嗣某に帰白院を譲り、洛東岡崎に草庵「五升庵」を結ぶ。 |
| そして義仲寺翁堂などを再建し、1793年に芭蕉100回忌を盛大に成し遂げた。 |
| また松尾芭蕉の遺作を研究し刊行した『芭蕉翁発句集』『芭蕉翁文集』『芭蕉翁俳諧集』の三部作は、はじめて芭蕉の著作を集成したものである。 |
| 『芭蕉翁絵詞伝』は本格的な芭蕉伝として有名。 |
| ほかにもたくさんの著作を出版した。 |
| 俳書を収めるために義仲寺に設けた粟津文庫も蝶夢和尚の功績である。 |
| 宝暦年間(1751年-1763年)、阿弥陀寺(浄土宗)帰白院の住職となる。 |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
蝶夢さんについてのひとこと紹介
|
|
|