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つながりの強いひと
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聖武天皇
聖武天皇(しょうむてんのう、大宝元年(701年)-天平勝宝8年5月2日(756年6月4日)、在位:神亀元年2月4日(724年3月3日)-天平勝宝元年7月2日(749年8月19... |
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道昭
河内国(現・大阪府)丹比郡船連(ふねのむらじ)出身の法相宗の僧侶である。 |
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薬師如来
大乗仏教における如来の一尊。大医王仏とも称する。三昧耶形は薬壷または丸薬の入った鉢。種子(種字)は尊名のイニシャルのバイ(bhai)。 |
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鑑真
奈良時代の帰化僧。日本における律宗の開祖。俗姓は淳于。 |
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天智天皇
同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号で、「中大兄」は「二番目の大兄」を意味する語。諱(実名)は葛城(かづらき/かつらぎ)。漢風諡号で... |
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百済
先祖
古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年-660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅... |
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林寺
林寺小学校 講堂前の桜 くすのき
校長 松本 行弘 郵便番号 544-0023 住所 生野区林寺2-14-3 電話番号 教育目標 明るくたくまし... |
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慶雲
原田慶雲作品 略歴 大正11年4月17日 静岡市二番町に生まれる 平成22年5月3日逝去(行年89歳)
家具職人として腕を研き、後にポーラ化粧品草薙工場に勤務し... |
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南北朝時代
日本の歴史で、皇室が南北2つに分裂した時代である。 |
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王仁
先祖
記紀に記述される百済から日本に渡来し、漢字と儒教を伝えたとされる人物。『日本書紀』では王仁、『古事記』では和邇吉師(わにきし)と表記されている。高... |
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高志才智
父
高志才智 【こしの-さいち】 1件の用語解説(高志才智で検索) Tweet デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説 高志才智 こしの-さいち  ... |
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伊能忠敬
江戸時代の商人・測量家である。1800年(寛政12年)から1816年(文化13年)まで、足かけ17年をかけて全国を測量し大日本沿海輿地全図を完成させ、日本国の歴... |
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帰依
仏教用語で、拠り所にするという意味。「三宝」に「帰依」、つまり仏教徒になるという意味で最も多く使われる。アブラハム系のキリスト教、ユダヤ教、イスラ... |
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義淵
奈良時代の法相宗の僧。『続日本紀』によると俗姓は市往氏であるが、『扶桑略記』では大和国高市郡の出身で俗姓を阿刀氏とする。父母が長年観音菩薩に祈願し... |
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智光
奈良時代の三論宗の僧。俗性は鋤田連(すきたのむらじ)。河内国安宿郡の出身。頼光とともに元興寺の智蔵に師事して三論を学び、聖教を周覧して「般若心経述... |
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元興
東晋、安帝司馬徳宗の治世に行われた2番目の年号。402年-404年。元興元年は3月に一旦、隆安6年に戻された上で大亨元年とされた。後に再び元興に戻された。『... |
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長久保赤水
江戸時代中期の地理学者、漢学者である。常陸国多賀郡赤浜村(現在の茨城県高萩市)出身。農民出身であるが、遠祖は大友親頼の三男長久保親政である。学問を... |
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千手観音
仏教における信仰対象である菩薩の一尊。「サハスラブジャ」とは文字通り「千の手」の意味である。この名はヒンドゥー教のヴィシュヌ神やシヴァ神、女神ドゥ... |
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千利休
戦国時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人。わび茶(草庵の茶)の完成者として知られる。茶聖とも称せられる。また、今井宗久・津田宗及と共に茶湯の天... |
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国平
白い巨塔の登場人物で、架空の人物。弁護士。大阪府医師会顧問弁護士。2003年のドラマでは「学文(まなぶ)」の名前を与えられている。 |
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プロフィール
- 行基とは
- 出自
- 生涯
- 行基に縁の有る地
- 行基開基の寺院と比定地
- 行基が掘削指導した貯水池
- 摂播五泊
- 行基による開湯伝説がある温泉
- 行基が拓いた滝
- 参考文献
- 関連サイト
行基(ぎょうき/ぎょうぎ、 天智天皇7年(668年)-天平21年2月2日(749年2月23日))は、日本の奈良時代の僧。677年4月に生まれたという説もある。僧侶を国家機関と朝廷が定め仏教の一般民衆への布教を禁じた時代に、禁を破り畿内を中心に民衆や豪族層を問わず広く仏法の教えを説き人々より篤く崇敬された。また、道場・寺を多く建てたのみならず、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所を、困窮者のための布施屋9ヶ所等の設立など社会事業を各地で行った。朝廷からは度々弾圧されたが、民衆の圧倒的な支持を背景に後に大僧正として 聖武天皇により 奈良の大仏(東大寺ほか)建立の ...
出自
| 父高志才智、母蜂田古爾比売の長子として、河内国(のち和泉国)大鳥郡に生まれた『大僧正舎利瓶記』。 |
| 生家は後に行基によって家原寺に改められた所で、現在の大阪府堺市にあった『行基年譜』。 |
| 吉田靖雄『行基と律令国家』83頁。 |
| 高志氏はもと越氏(越史)と称し本貫は越後国であったが、高志才智は和泉国に移住した一族であるという太田亮『姓氏家系大辞典』角。 |
| 川書店、1963年。 |
| 越氏は百済国から来朝した漢系渡来人王仁の子孫である西文氏の一族とされるが、行基の出自を百済系渡来人の子孫『明匠略伝』、特に百済王家の子孫とする文献『元亨釈書』もある。 |
生涯
| 河内国大鳥郡(現在の大阪府堺市)に生まれる。 |
| 681年に出家、官大寺で法相宗などの教学を学び、集団を形成して関西地方を中心に貧民救済・治水・架橋などの社会事業に活動した。 |
| 704年に生家を家原寺としてそこに居住した。 |
| その師とされる道昭は、入唐して玄奘の教えをうけたことで有名である。 |
| 民衆を煽動する人物であり寺外の活動が僧尼令に違反するとし、養老元年4月23日詔をもって糾弾されて弾圧を受けた。 |
| だが、行基の指導により墾田開発や社会事業が進展したこと、地方豪族や民衆らを中心とした教団の拡大を抑えきれなかったこと、行基の活動が政府が恐れていた「反政府」的な意図を有したものではないことから、731年(天平3年)弾圧を緩め、翌年河内国の狭山下池の築造に行基の技術力や農民動員の力量を利用した。 |
| 736年(天平8年)に、インド出身の僧菩提僊那がチャンパ王国出身の僧仏哲・唐の僧道璿とともに来日した。 |
| 彼らは、九州の大宰府に赴き、行基に迎えられて平城京に入京し大安寺に住し、時服を与えられている。 |
| 738年(天平10年)に朝廷より行基大徳の称号が下された。 |
| 民衆のために活躍した行基は740年(天平12年)から大仏建立に協力する。 |
| このため「行基転向論」(民衆のため活動した行基が朝廷側の僧侶になったとする説)があるが、一般的には権力側が行基の民衆に対する影響力を利用したのであり、行基が権力者の側についたのではないと考えられている。 |
| 741年(天平13年)3月に聖武天皇が恭仁京郊外の泉橋院で行基と会見し、同15年東大寺の大仏造造営の勧進に起用されている。 |
| 勧進の効果は大きく、745年(天平17年)に朝廷より日本最初の大僧正の位を贈られた。 |
| 行基の活動と国家からの弾圧に関しては、奈良時代において具体的な僧尼令違反を理由に処分されたのは行基のみと言われている。 |
| そのため、それぞれに対して、同時代の中国で席捲していた三階教教団の活動と唐朝の弾圧との関連や影響関係が指摘されている。 |
| 三世一身法が施行されると灌漑事業などをはじめ、前述の東大寺大仏造立にも関わっている。 |
| 大仏造営中の749年(天平21年)、菅原寺で81歳で入滅し、生駒市の往生院で火葬後竹林寺に遺骨が奉納された。 |
| また、菅原寺から往生院までの道則を行基の弟子が彼の輿をかついで運搬したことから、往生院周辺の墓地地帯は別名、輿山とも呼ばれている。 |
| また、朝廷より菩薩の称号が下され、行基菩薩と言われる。 |
| なお、行基が迎えた菩提僊那は、752年、聖武天皇(749年に退位し当時は、太上天皇)の命により、東大寺大仏開眼供養の導師を勤めた。 |
| 他、行基は古式の日本地図である行基図を作成したとされ、日本全国を歩き回り、橋を作ったり用水路などの治水工事を行ったとされ、全国に行基が開基したとされる寺院なども多く存在する。 |
行基に縁の有る地
| left|thumb|200px|家原寺にある銅像。 |
| 行基は畿内を中心とした各地で布教活動を行っていたことから、近畿地方を中心として各地に縁の地とされる土地が存在している。 |
| 生家跡は知恵の文殊菩薩を本尊とすることから合格祈願で有名な家原寺となっている。 |
| 大阪府高石市高師浜3丁目付近で生まれたと言う説もあり、「行基生誕の地」の石碑が建てられている。 |
| その石碑には、「行基に連なる大工集団が千歯扱きを考案した、その大工集団は徳川末期まで京都御所の御用大工となった、高度な大工技術を駆使して高石地区の住宅建設を請け負っていた」と刻まれている。 |
| なお、これらの功績により、この付近が「匠」と呼ばれており、行基生誕伝承のある地に建てられた自治会館が「匠会館(八区会館)」と呼ばれている。 |
| 近鉄奈良駅前の広場には行基のブロンズ像があり、東大寺の方角を向いている。 |
| 広場も「行基広場」と呼ばれ、奈良ではよく知られた待ち合わせ場所になっている。 |
| 大阪府岸和田市の八木だんじり祭では、久米田寺開山堂(行基堂)前に周辺地区のだんじりが集結する。 |
| これは、久米田寺の前に位置する久米田池を行基が掘削指導し、田畑の開墾や周辺住民の生活向上へ寄与し、その他の遺徳を顕彰する「行基参り」と呼ばれている。 |
| 兵庫県伊丹市の昆陽池公園の園内施設には行基の偉業や胸像が設置されている。 |
| 昆陽池の南南東1キロほどの場所に行基の開基した昆陽寺がある。 |
| 市内には行基町(ぎょうぎちょう)という地名がある( |
行基開基の寺院と比定地
| 大修恵院高蔵(大阪府堺市南区高倉台)。 |
| 枚方院(大阪府枚方市伊加賀)。 |
| 檜尾池院(大阪府堺市南区檜尾)。 |
| 大庭院(大阪府堺市南区大庭寺)。 |
| 家原寺(大阪府堺市西区家原寺町)。 |
| 龍王寺(雪野寺)(滋賀県蒲生郡竜王町川守41)。 |
| 神鳳寺(大阪府堺市西区鳳北町)。 |
| 鶴田池院(大阪府堺市西区草部)。 |
| 大野寺、大野尼院(大阪府堺市中区土塔町)。 |
| 深井尼院香琳寺(大阪府堺市中区深井)。 |
| 清浄土院(大阪府堺市堺区湊、大阪府高石市)。 |
| 萩原寺(大阪府堺市東区日置荘原寺町、萩原神社の神宮寺としてかつて存在した)。 |
| 愛染院(大阪府堺市北区蔵前町1578)。 |
| 善言院川堀、善言尼院(大阪府大阪市西成区)。 |
| 難波度院、枚松院、作蓋部院(大阪府大阪市西成区)。 |
| 沙田院(大阪府大阪市住吉区)。 |
| 呉坂院(大阪府大阪市住吉区長狭町)。 |
| 高瀬橋院、高瀬橋尼院(大阪府大阪市東淀川区)。 |
| 大福院御津、大福尼院(大阪府大阪市中央区御津寺町)。 |
| 久修園院山崎(大阪府枚方市楠葉中之芝2丁目)。 |
| 薦田院(大阪府枚方市伊賀)。 |
| 報恩院(大阪府枚方市樟葉)。 |
| 狭山池院、狭山池尼院(大阪府大阪狭山市)。 |
| 極楽寺(大阪府泉大津市昭和町6番地付近)。 |
| 石凝院(大阪府東大阪市日下町)。 |
| 山崎院(大阪府三島郡島本町)。 |
| 久米田寺(大阪府岸和田市池尻町)。 |
| 生馬仙房(奈良県生駒市有里町)。 |
| 隆福院、隆福尼院(奈良県奈良市大和田町)。 |
| 菅原寺喜光寺(奈良県奈良市菅原町)。 |
| 頭陀院菩提、頭陀尼院(奈良県大和郡山市矢田町)。 |
| 法禅院檜尾(京都府京都市伏見区深草)。 |
| 大井院(京都府京都市右京区)。 |
| 吉田院(京都府京都市左京区吉田神楽岡町)。 |
| 発菩提寺泉橋院(京都府相楽郡山城町上狛村)。 |
| 泉福院、布施院、布施尼院(京都府京都市伏見区)。 |
| 極楽寺(滋賀県彦根市極楽寺町)。 |
| 円通寺(愛知県大府市共和町)。 |
| 普門寺(愛知県豊橋市雲谷(うのや)町)。 |
| 船息院船、船息尼院(兵庫県神戸市兵庫区)。 |
| 揚津院(兵庫県川辺郡猪名川町)。 |
| 昆陽施院(兵庫県伊丹市寺本)。 |
| 大聖寺(岡山県美作市大聖寺)。 |
| 仁比山地蔵院(佐賀県神埼市神埼町的1688)。 |
行基が掘削指導した貯水池
| 昆陽池(昆陽池公園内)(兵庫県伊丹市)。 |
| 久米田池(大阪府岸和田市)-久米田寺と隣接する。 |
| 狭山池(大阪府大阪狭山市)-日本最古のダム式貯水池を改修。 |
摂播五泊
| 摂津から播磨にかけて、五つの港を整備したとされている。 |
| 大輪田泊-神戸市兵庫区(神戸港)。 |
| 室生泊-たつの市御津町室津。 |
行基による開湯伝説がある温泉
| 他にも、仁西、豊臣秀吉らとともに「有馬の三恩人」と語り継がれている有馬温泉や湯河原温泉などにも行基にまつわる伝承が残っている。 |
行基が拓いた滝
| 能勢の本瀧(本瀧寺内)(大阪府豊能郡能勢町野間中718)。 |
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