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裴休
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791年
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京都大学人文科学研究所
宣宗
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吉川忠夫
日本の東洋史学者。京都大学名誉教授、日本学士院会員、東方学会会長。専門は中国中世思想史。
宣宗
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日本の奈良時代の学者、政治家(公卿)。正二位・勲二等・右大臣。下道真備(しもつみちのまきび)、吉備下道真備(きびのしもつみちのまきび)などとも呼ば...
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武宗
武宗(ぶそう)は唐朝の第18代皇帝。初めは頴王に封爵。
プロフィール
裴休とは
略歴
著作リスト
伝記
参考文献
裴休(はいきゅう,791年-864年)は、中国・唐中期の政治家。孟州済源県(河南省済源市)の出身で、本籍地は河東の聞喜県(山西省聞喜県)である。字は公美。浙東観察使
裴粛
の次男に生まれる。長慶年間(821年-825年)科挙や賢良方正に合格して官僚となり、監察御史や地方の観察使を歴任し、849年に中央に復帰し、851年からは塩鉄転運使として漕米の法を改正し、また税茶の法を創設して財政を建て直し、その功で852年に同中書門下平章事(宰相)となった。宰相が自ら『時政記』を書くことは、彼が最初である。5年後、宰相のまま、地方に出され、暫くして再び中央に返り咲き、戸部尚書等を経て、 ...
略歴
791年孟州済源県(河南省済源市)にて誕生。
802年父の
裴粛
が死去。
822年科挙に進士及第。
828年賢良方正能直言極諫科に甲科(首席)合格、右補闕に就任。
830年監察御史に就任。
832年史館修撰に就任。
841年江西観察使へ転任。
843年湖南観察使へ転任。
847年宣歙観察使へ転任。
849年礼部侍郎として中央に復帰。
850年戸部侍郎へ転任。
851年兵部侍郎、塩鉄転運使、更に礼部尚書へ転任。
852年同中書門下平章事(宰相)へ昇進。
856年太子少保、分司東都、更に宣武軍節度使へ転任。
857年昭義節度使へ転任。
859年河東節度使へ転任。
860年
鳳翔
節度使へ転任。
861年戸部尚書として中央へ復帰。
862年荊南節度使へ転任。
864年任地で死去。
著作リスト
『観発菩提心』。
『黄檗伝心法要』(
黄檗希運
著、裴休編)。
『裴休拾遺問』(圭峯宗密と共著)。
伝記
『旧唐書』巻177。
『新唐書』巻182。
参考文献
吉川忠夫
「裴休傳」(『東方学報』64号、京都大学人文科学研究所、1992年)
『唐方鎮
年表
』(中華書局、1980年)。
裴休 - Wikipedia
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