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プロフィール
襄宗(じょうそう、乾祐元年(1170年)-皇建2年(1211年)8月5日)は西夏の第7代皇帝(在位1206年-1211年)。諱は安全、廟号は襄宗、謚号は敬穆皇帝。父は第5代皇帝だった 仁宗の弟で越王の地位にあった李仁友である。1206年に従兄に当たる第6代皇帝の 桓宗を、その生母である羅太后や臣下の協力の元に廃位して自ら即位し、金から王に封ぜられた。1207年の秋に貢物の未納を理由としたモンゴル軍の2度目の侵入を受け、領土の一部が掠奪を受けた。1209年の秋、 チンギス・カンによるモンゴル軍の第3次侵攻が始まった。 ...
子女
| 襄宗には承禎という名の男子がいた『宋史』巻486、列伝245、外国2、夏国下。 |
| モンゴルに降嫁した皇女について、『金史』『宋史』『元史』のいずれにも名前は記録されていない。 |
| 『元朝秘史』は、タングートの王がチンギス・カンに臣従を誓った際にチャカという名前の皇女が多数の駱駝と共に献上されたことを伝える岩村忍『元朝秘史チンギス=ハン実録』(中公新書,中央公論新社,1963年6月)、169-170頁小澤重男『元朝秘史』下巻(岩波文庫,岩波書店,1997年)、165-166頁。 |
参考文献
| C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』1巻(佐口透訳注,東洋文庫(平凡社),平凡社,1968年3月)。 |
| 『金史』巻134、列伝72、外国上。 |
| 『宋史』巻486、列伝245、外国2、夏国下。 |
| 『元史』巻1、本紀1、太祖。 |
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1206年
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従兄に当たる第6代皇帝の桓宗を、その生母で... |
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1210年
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死去した |
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