| 高知県で5人姉弟(姉が3人)の末っ子として生まれたが、父親が事業に手を出し失敗したことから大阪府に転居した。 |
| 家計は苦しく、10歳のときから八百屋、牛乳配達、新聞配達(毎日新聞)などのアルバイトをするなどして家計を支えた。 |
| 中学時代はサッカーに傾倒。 |
| 高校でもサッカー部に所属することを希望していた。 |
| しかし、タクシー運転手だった父親が十二指腸肝炎で倒れたことから高校進学を断念しやむなく就職するこの頃きよしの実の姉が朝日放送の「おやじバンザイ」(西条凡児司会)への出演を応募し、一家揃って出演している。 |
| この時の放送テープが残っており、16歳当時のきよしの声も聴く事が出来る。 |
| 自動車修理工に就職も手のやけどで退社、会社の先輩から「陽気で頓智がきくから」と芸の道を勧められる。 |
| 17歳の時にミヤコ蝶々、藤田まこと、白木みのる、佐々十郎に弟子入り志願も尽く断られ、ようやく喜劇俳優の石井均に入門。 |
| 1年後に白木から、人手が足りないからと吉本新喜劇に誘われ、研究生として入団。 |
| 最初秋山たか志の付き人をしていたが、白木の付き人が辞めたために人手が足りなくなり白木の付き人となる、のちになんば花月で熊役で初舞台を踏み、以降端役ながら舞台に出演。 |
| しかし、マドンナ役であったヘレン杉本との交際が知れ渡る。 |
| 1967年9月に結婚し、ヘレン杉本は引退。 |
| きよしは会社・劇団から冷遇されてしまう当時部長だった中邨秀雄は、人気女優だったヘレン杉本と無名のきよしとの結婚に反対し、ヘレンときよし、どちらか一方の引退を迫ったという。 |
| 低迷時代、きよし、坂田利夫はヘレンに食べさせてもらっており、3人で暮らしていた。 |
| また、同時期に共に苦労したレツゴー三匹のじゅんとも親友として知られており、きよしは「坂田くんとじゅんちゃんは、いつも自分のことを心配してくれる大事な人」とコメントしている。 |
| 1966年に中山礼子が間に入り横山やすし(きよしと同じ高知県生まれの大阪府育ち)と漫才コンビを結成し6月に京都花月で初舞台。 |
| 第一次演芸ブーム(1965年~1970年)の折、東京ぼん太の後釜として起用されたフジテレビ「お茶の間寄席」司会や、朝日放送系列の全国ネット番組「てなもんや三度笠」のレギュラー出演等で東京にも進出。 |
| 1970年の暴行事件をはじめとした相方のやすしの不祥事でコンビ活動自粛の際も、「素人名人会」(MBSテレビ)「爆笑寄席」、「ナイトパンチ」、「パンチDEデート」(以上、関西テレビ)、「仁鶴・きよしのただいま恋愛中」、「プロポーズ大作戦」(以上、ABCテレビ)、「料理天国」(TBSテレビ)、「スター誕生!」(日本テレビ)などテレビ司会者として活路を見いだすきよし本人は解散を申し出た、との話もある。 |
| どちらにしても、司会業が彼に合ったことで、やすきよ伝説は生まれている。 |
| また、この間芽生えた桂三枝との友情は、彼のキャリアに大きく影響している。 |
| さらに漫才ブーム(1980年~1982年ごろ)では人気が頂点に達する。 |
| 1986年、参議院議員選挙に大阪選挙区から無所属で立候補し当選。 |
| 義母の介護経験から福祉関連に力を入れ、3期18年間に渡る議員生活を展開してきた。 |
| 参議院会派第二院クラブに所属し、政治姿勢は全体的に保守系与党寄りであった。 |
| 1994年6月の参議院首班指名投票では村山富市と海部俊樹に票が分散するなか、当時、衆議院議長であった土井たか子に唯一の票を投じている。 |
| 議員生活を通して政党に所属することはなく会派としての第二院クラブ消滅後は無所属の会、国会改革連絡会に所属。 |
| 2003年には国会等移転特別委員長に就任した。 |
| 2004年1月、同年7月の参議院選挙に立候補をせず、政界から身を引きタレントとしての活動に専念しつつ、福祉関係の仕事に従事すると発表した。 |
| 最近は大平サブローとの「新やすし・きよし」での活動も行っている。 |
| また、1979年に「子供が三人おりますねん」というタイトルのシングル・レコードを出している(B面はヘレンの「約束」)。 |
| 2006年8月29日に日本テレビ系で自身の半生を描いた「ヘレンときよしの物語」が『ドラマコンプレックス』にて放送された。 |
| きよし役は実息の忠志。 |
| 近年は漫談でひとりでNGK等の舞台に立つ。 |
| またオール阪神・巨人の漫才中に上手から下手(また下手から上手)をパンツ、シャツ姿で走って横切るのが恒例になっている。 |
| 舞台に上がる時は眼の下にペンでくまを書くのが恒例。 |