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つながりの強いひと
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小坂国継
小坂 国継( Kunitsugu KOSAKA )教授 日大研究情報データベースへ ■自己紹介 1943年生まれ。神奈川県出身。早稲田大学大学院文学研究科修了(文学博士)。日本... |
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上田閑照
日本の哲学者。京都大学名誉教授。専攻はドイツ哲学、宗教哲学。マイスター・エックハルトの研究、マルティン・ハイデッガーの研究、西田幾多郎、西谷啓治等... |
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鈴木大拙
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(西田左派を含めた上での)京都学派を代表する哲学者。兵庫県揖保郡平井村小神(後の龍野市、現・たつの市揖西町)出身。弟に中国文学者の三木克己がいる。 |
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[プロフィール] 小林 敏明 Toshiaki K... |
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田辺元 たなべはじめ ( 読書 ) 編集 注目の求人情報 [求人] 大信精機株式会社への正社員転職 募集内容:デンソーグループ会社【人事関連全般に関わるスタ... |
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京都学派
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上田久
感動ホームズ | 上田久ノート 感動ホームズ | 上田久ノート プロフィール
出身地 仙台市 趣味 アウトドア ゴルフ DIY 好きな言葉 希望 住まい 宮城郡利府町... |
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プロフィール
- 西田幾多郎とは
- 経歴
- 年表
- 思想
- 著作と主な論文
- 家族
- 関連項目
- 参考文献
- 関連サイト
西田幾多郎(にしだきたろう、1870年6月17日(明治3年5月19日)-1945年(昭和20年)6月7日)は日本を代表する哲学者。京都大学教授、名誉教授。 京都学派の 創始者。同郷の 鈴木大拙(本名:貞太郎)、 山本良吉、 藤岡作太郎とは石川県専門学校(第四高等中学校の前身、のちの第四高等学校)以来の友人であり、西田、鈴木、藤岡の三人は加賀の三太郎と称された。
経歴
| 現在の石川県かほく市森(旧宇ノ気町森)に、西田得登(やすのり)、寅三(とさ)の長男として生まれる。 |
| 西田家は江戸時代には十村(大庄屋)を務めた豪家だった。 |
| 若い時は、肉親の死、学歴での差別(東京大学における選科への待遇)、妻との一度の離縁など、多くの苦難を味わった。 |
| そのためか、大学を出た後は故郷に戻って中学の教師となり、同時に思索に耽った。 |
| その頃の思索が結晶となって、著名な『善の研究』(弘道館、1911年1月)となり、旧制高等学校の生徒にとって必読書となった。 |
| 鎌倉にて、尿毒症により急逝。 |
| 法名は曠然院明道寸心居士。 |
| 西田幾多郎が散策した琵琶湖疏水沿いの道は「哲学の道」と呼ばれ、日本の道百選にも選ばれている。 |
年表
| 1884年石川県師範学校予備科卒業。 |
| 1888年第四高等中学校予科修了。 |
| 1890年第四高等中学校中途退学。 |
| 1894年東京帝国大学文科大学哲学科選科修了。 |
| 1895年石川県能登尋常中学校七尾分校教諭(4月)、得田寿美と結婚(5月) 。 |
| 1896年第四高等学校講師。 |
| 1897年この頃から参禅への関心が高まり、雪門、滴水、広州、虎関の諸禅師に就く。 |
| 1899年山口高等学校(旧旧山高)教授(3月)、第四高等学校教授(7月。 |
| 心理、論理、倫理、ドイツ語を担当、臥龍山雪門老師に参禅。 |
| 1900年同僚の三竹、杉森とともに三々塾を作り、学生指導に当たる。 |
| 1901年雪門老師から寸心居士の号を受ける。 |
| 1903年京都大徳寺孤蓬庵広州老師に参じ、無字の公案透過。 |
| 1905年富山県国泰寺で瑞雲老師に参じる。 |
| 1909年学習院教授(7月)、日本大学講師(10月)。 |
| 1910年豊山大学(現・大正大学)講師(4月)、京都帝国大学文科大学助教授(8月・倫理学)。 |
| 1911年真宗大谷大学(現・大谷大学)講師。 |
| 1912年京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)講師。 |
| 1913年京都帝国大学文科大学教授8月。 |
| 宗教学)、文学博士(12月)。 |
| 1914年宗教学講座担当を免じ、哲学、哲学史第一講座担任を命じられる。 |
| 1925年妻寿美死去(1月)。 |
| 1927年帝国学士院会員。 |
| 1928年京都帝国大学停年退職。 |
| 1929年京都帝国大学名誉教授。 |
| 1931年山田琴と再婚(12月)。 |
| 1933年慶應義塾大学文学部講師。 |
| 1940年文化勲章受章。 |
| 興亜工業大学(現・千葉工業大学)の設立に参画。 |
思想
| 彼の哲学体系は西田哲学と呼ばれたが、このように体系にその名が付けられるのは日本の近代以降の哲学者の中では唯一と言って過言ではない。 |
| 郷里に近い国泰寺での参禅経験(居士号は寸心)と近代哲学を基礎に、仏教思想、西洋哲学をより根本的な地点から融合させようとした。 |
| その思索は禅仏教の「無の境地」を哲学論理化した純粋経験論から、その純粋経験を自覚する事によって自己発展していく自覚論、そして、その自覚など、意識の存在する場としての場の論理論、最終的にその場が宗教的・道徳的に統合される絶対矛盾的自己同一論へと展開していった。 |
| 一方で、一見するだけでは年代的に思想が展開されているように見えながら、西田は最初期から最晩年まで同じ地点を様々な角度で眺めていた、と解釈する見方もあり、現在では研究者(特に禅関係)の間でかなり広く受け入れられている。 |
| 最晩年に示された「絶対矛盾的自己同一」は、哲学用語と言うより宗教用語のように崇められたり、逆に厳しく批判されたりした。 |
| その要旨は「過去と未来とが現在において互いに否定しあいながらも結びついて、現在から現在へと働いていく」、あるいは、鈴木大拙の「即非の論理」(「Aは非Aであり、それによってまさにAである」という金剛経に通底する思想)を西洋哲学の中で捉え直した「場所的論理」(「自己は自己を否定するところにおいて真の自己である」)とも言われている。 |
| そこには、行動と思想とが言語道断で不可分だった西田哲学の真髄が現れている。 |
| 論文『場所的論理と宗教的世界観』で西田は「宗教は心霊上の事実である。 |
| 哲学者が自己の体系の上から宗教を捏造すべきではない。 |
| 哲学者はこの心霊上の事実を説明せなければならない。 |
| 」と記している。 |
| 西田は思想輸入的・文献学的なアプローチを取らず、先人らの思考法だけを学び独自に思想を展開させたがゆえに、彼の著作は一見すると独創的で難解である。 |
| しかし、禅の実践から抽出された独自の学風は文献学者、「哲学学者」への痛烈なアンチテーゼでもありえよう。 |
| 一方、田辺元や高橋里美などから西田哲学はあまりにも宗教的であり、実践的でないという批判がなされた。 |
著作と主な論文
| 新版 『西田幾多郎全集 〈全24巻〉』 岩波書店、2002年~2009年に刊行完結。 |
| 編集委員は小坂国継、竹田篤司、藤田正勝、クラウス・リーゼンフーバー。 |
| 旧版『西田幾多郎全集』(全19巻)は、1965年、1980年、1989年に刊行。 |
| 『善の研究』 岩波文庫 <下村寅太郎解説> 近年再改版された、ワイド版も刊。 |
| 講談社学術文庫 2006年 <小坂国継の語注.解説>。 |
| ;「西田幾多郎哲学論集」〈Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ、上田閑照編、岩波文庫〉下記を所収、1987-89年。 |
| ※同文庫は他に「思索と体験」(正・続)、「西田幾多郎随筆集」、「西田幾多郎歌集」がある。 |
| Ⅰは以下8編。 |
| 働くものから見るものへ。 |
| 直接に与えられるもの。 |
| 左右田博士に答う。 |
| 無の自覚的限定 。 |
| Ⅱは以下5編。 |
| 論理と生命 。 |
| 弁証法的一般者としての世界。 |
| 行為的自己の立場。 |
| Ⅲは以下5編。 |
| 絶対矛盾的自己同一。 |
| 歴史的形成作用としての芸術的創作。 |
| ;『西田哲学選集』<全7巻別巻2>、燈影舎、1998年、上田閑照監修、大橋良介・野家啓一編。 |
| 別巻1は伝記、2は研究、また灯影舎には「西田幾多郎哲学講演集」と「寸心日記」がある。 |
| 1巻 西田幾多郎による西田哲学入門。 |
| ;『西田幾多郎論文選』、書肆心水。 |
| 「師弟問答西田哲学」三木清共著 2007年。 |
| 「西田幾多郎キーワード論集」<エッセンシャル・ニシダ 即の巻> 2007年。 |
| 「西田幾多郎生命論集」 <エッセンシャル・ニシダ 命の巻> 2007年。 |
| 「種々の哲学に対する私の立場―西田幾多郎論文選」 2008年。 |
家族
| 西田外彦 甲南高等学校(旧制)教授 次男。 |
| 西田幾久彦 財団法人日本ゴルフ協会理事、元東京銀行常務、外彦の長男、正仁親王妃華子の義兄。 |
参考文献
| 中村雄二郎 『西田哲学の脱構築』 岩波書店、1987年。 |
| 新田義弘 『現代の問いとしての西田哲学』 岩波書店、1998年。 |
| 小坂国継 『西田幾多郎の思想』講談社〈講談社学術文庫〉、2002年。 |
| 藤田正勝 『現代思想としての西田幾多郎』 講談社〈講談社選書メチエ〉、1998年。 |
| 藤田正勝『西田幾多郎 生きることと哲学』 岩波新書、2008年。 |
| 平山洋 『西田哲学の再構築―その成立過程と比較思想』 ミネルヴァ書房、1997年。 |
| 大橋良介 『西田哲学の世界―あるいは哲学の転回』 筑摩書房、1995年。 |
| 『KAWADE道の手帖 西田幾多郎 永遠に読み返される哲学、没後六十年』河出書房新社2005年。 |
| 永井均 『西田幾多郎―「絶対無」とは何か』 NHK出版、2006年。 |
| 『上田閑照集』全11巻、『西田幾多郎とは誰か』 各岩波書店。 |
| 上田閑照監修,大橋良介・野家啓一編『西田哲学選集』別巻一.燈影舎,1998.9。 |
| PDFファイル: |
| DVD『学問と情熱西田幾多郎物来って我を照らす』紀田順一郎(総合監修)/平泉成(ナレ-タ-)紀伊國屋書店。 |
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1870年
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西田 幾多郎(にしだ きたろう、(明治3年5月... |
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1911年
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現在の石川県かほく市森(旧宇ノ気町森)に、... |
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