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つながりの強いひと
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正親町天皇
第106代天皇(在位:弘治3年10月27日(1557年11月17日)-天正14年11月7日(1586年12月17日))。諱は方仁(みちひと)。 |
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織田信忠
安土桃山時代の武将・大名。織田信長の嫡男で世子である。 |
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後陽成天皇
安土桃山時代から江戸時代初期の第107代天皇(在位:天正14年11月7日(1586年12月17日)-慶長16年3月27日(1611年5月9日))。諱を和仁(かずひと)といい後... |
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八条宮智仁親王
戦国時代から江戸時代前期にかけての皇族。八条宮(桂宮)家の初代。正親町天皇の皇子・誠仁親王の第六皇子。母は勧修寺晴右の娘・新上東門院(藤原晴子)。... |
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足利義昭
室町幕府第15代将軍。(在職:永禄11年(1568年)-天正16年(1588年))。父は室町幕府第12代将軍・足利義晴。母は近衛尚通の娘・慶寿院。第13代将軍・足利義... |
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近衛前久
戦国時代・安土桃山時代の公家。近衞家当主であり、動乱期に関白左大臣・太政大臣を務めた。初名は晴嗣。 |
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後水尾天皇
後水尾天皇(ごみずのおてんのう、慶長元年6月4日(1596年6月29日)-延宝8年8月19日(1680年9月11日))は第108代天皇(在位:慶長16年3月27日(1611年5月9日... |
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勧修寺晴豊
安土桃山時代の公家(公卿)。姓は「かんじゅじ」とも。堂上家(家格は名家、藤原北家高藤流甘露寺支流)である勧修寺家の14代当主。牌所である近江・高島の... |
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法親王
日本の男子皇族が出家して僧籍に入った後に親王宣下を受けた場合の身位・称号。 |
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足利義輝
室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第13代征夷大将軍(在職:1546年-1565年)。父は第12代将軍の足利義晴。なお、第10代将軍足利義稙の養子となった阿波公方... |
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後花園天皇
室町時代の第102代天皇である(在位:正長元年7月28日(1428年9月7日)-寛正5年7月19日(1464年8月21日))。諱を彦仁(ひこひと)という。 |
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光格天皇
江戸時代の第119代天皇(在位:安永8年11月25日(1780年1月1日)-文化14年3月22日(1817年5月7日))。幼名を祐宮(さちのみや)という。諱ははじめ師仁(も... |
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仁孝天皇
第120代天皇(在位:文化14年9月21日(1817年10月31日)-弘化3年1月26日(1846年2月21日))。諱は恵仁(あやひと)。幼称は寛宮(ゆたのみや)。 |
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桂宮宜仁親王
日本の皇族。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第二男子。今上天皇の従弟にあたる。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。お印は桂(かつら)。勲等は大勲位... |
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三笠宮崇仁親王
日本の皇族、歴史学者(古代オリエント史専攻)。大正天皇と貞明皇后の第四皇子。今上天皇の叔父にあたる。御称号は澄宮(すみのみや)。身位は親王。皇室典... |
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吉田兼見
吉田兼見(よしだかねみ、天文4年(1535年)-慶長15年8月20日(1610年10月6日))は堂上家(家格は半家、卜部氏)である吉田家の9代当主(卜部氏25代)である... |
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霊元天皇
江戸時代前期の第112代天皇(在位:寛文3年1月26日(1663年3月5日)-貞享4年3月21日(1687年5月6日))。幼名は高貴宮(あてのみや)、諱は識仁(さとひと)... |
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万里小路房子
母
万里小路房子(までのこうじふさこ、生年不詳-天正8年12月29日(1581年2月12日))は室町時代、安土桃山時代の女性。正親町天皇の典侍で、誠仁親王ら1男2女の... |
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東山天皇
東山天皇(ひがしやまてんのう、延宝3年9月3日(1675年10月21日)-宝永6年12月17日(1710年1月16日))は江戸時代の第113代天皇(在位:貞享4年3月25日(1687... |
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村井貞勝
織田政権下の京都所司代。通称は吉兵衛。出家して春長軒と号す。官位は民部少輔、長門守。 |
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プロフィール
誠仁親王(さねひとしんのう、天文21年4月23日(1552年5月16日)-天正14年7月24日(1586年9月7日))は、安土桃山時代の皇族。院号は陽光院。追尊として 陽光太上天皇が贈られた。
系譜
| 正親町天皇の第五皇子。 |
| 母は内大臣万里小路秀房の娘、准三宮藤原(万里小路)房子。 |
| 妃は勧修寺晴右の娘晴子。 |
| 妃:藤原(勧修寺)晴子(新上東門院)(1553年-1620年)-勧修寺晴右女。 |
| 第二王女:永邵女王(1569年-1580年)。 |
| 第一王子:和仁親王(後陽成天皇)(1571年-1617年)。 |
| 第二王子:空性法親王(定輔親王)(1573年-1650年)-四天王寺別当。 |
| 第三王子:良恕法親王(勝輔親王)(1574年-1643年)-天台座主。 |
| 第四王子:某(1575年)-夭逝。 |
| 第五王子:興意法親王(邦慶親王)(1576年-1620年)-織田信長猶子。 |
| 王女:某(1577年-?)。 |
| 第六王子:智仁親王(初代八条宮)(1579年-1629年)-豊臣秀吉猶子。 |
| 王女:某(1580年-?)。 |
| 王女:某(1581年-1584年)。 |
| 王女:某(1583年-?)。 |
| 王女:某(1585年-?)。 |
| 王女:某(?-?)※生没年不詳。 |
| 典侍:藤原氏(新典侍)-冷泉為益女、後に興正寺顕尊に嫁ぐ。 |
| 第一王女:某(安禅寺宮)-(?-1579年)-安禅寺。 |
| 第三王女:心月女王(1580年-1590年)-安禅寺。 |
略歴
| 永禄11年(1568年)12月に親王宣下され元服、天正12年(1584年)1月三品に叙せられる。 |
| 織田信長と親密な関係であり、信長は誠仁親王との関係を通して朝廷との関係を優位にしようとしていた。 |
| 誠仁親王は信長から献上された二条新御所(二条城の前身)で正親町天皇に代わって、織田家中の者より「主上」「今上皇帝」と称されていた。 |
| 本能寺の変の際も当然二条新御所にいたが、突然織田信忠が移動してきた。 |
| 明智光秀軍に二条新御所が包囲されるが、明智光秀と織田信忠との話し合いがまとまり、誠仁親王は御所へ移動することができたため難を逃れた。 |
| 立太子から譲位する間際に病没し、その遺子である和仁親王(後陽成天皇)を正親町天皇は猶子として譲位した。 |
| 後陽成天皇は後に病没した父(誠仁親王)へ陽光太上天皇の尊号を贈った。 |
| なお、子である邦慶親王は織田信長の、智仁親王は羽柴秀吉の猶子となっている(なお、誠仁親王が信長の猶子となったという説があるが、これは誠仁親王も邦慶親王もいずれも「五宮」と呼ばれていたことから来た誤伝である)。 |
陵墓・霊廟
| 親王の墓所は太上天皇号が追尊されたため「陵」を名乗っている。 |
| 御陵は月輪陵といい、京都東山泉涌寺山内にある。 |
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1568年
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親王宣下され元服、天正12年1584年1月三品に... |
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投票数
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誠仁親王さんについてのひとこと紹介
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