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つながりの強いひと
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伊井蓉峰
発足間もない新派劇で活躍した俳優。二枚目俳優であり、芸名は「いい容貌」のもじりだという。俳優の伊井友三郎は娘婿。 |
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市川小文治
日本の俳優である。関西歌舞伎に始まり、サイレント映画時代の剣戟映画、時代劇に第二次世界大戦後まで映画出演した。本名は矢野正三郎(やのしょうざぶろう... |
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筑波雪子
対立
日本の女優。10代で映画にデビュー、サイレント映画時代のスターであった。本名佐藤ゆき子(さとうゆきこ、旧姓)。 |
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川田芳子
大正・昭和期の俳優である。日本映画創生期の人気女優である。 |
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片岡千恵蔵
大正・昭和期の俳優。本名は植木正義(うえきまさよし)。戦前・戦後の長期にわたり、時代劇人気を支えた剣戟スターである。 |
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岡田時彦
大正・昭和初期の俳優。無声映画時代を代表する二枚目俳優であった。愛称(本名に由来)英パン。満30歳で早世した。妻が宝塚歌劇団卒業生田鶴園子、娘が女優... |
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勝見庸太郎
日本の俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。本名は勝見国一(読み不明)、号の黙笑(もくしょう)は、脚本・原作執筆時に使用した。松竹蒲田... |
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岩田祐吉
明治・大正・昭和期の日本の俳優。サイレント映画時代の美男子スターである。岐阜県大垣市の呉服屋の息子として生まれるが、中学卒業時に生家の家業は倒産す... |
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大石内蔵助
1991年1月1日にNHKで放送されたテレビドラマ。 |
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小山内薫
明治末から大正・昭和初期に活躍した劇作家、演出家、批評家。日本の演劇界の革新にその半生を捧げた。 |
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エディ・コクラン
アメリカのロカビリー奏者。ロックンロール草創期に活躍した大スターの一人。通称はエディ・コクラン(EddieCochran)。代表曲は「サマータイム・ブルース」... |
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徳川頼貞
東京府出身の音楽学者、政治家、侯爵。楽譜や音楽文献、古楽器類の収集家として知られた。母方の祖父徳川茂承は紀州藩主。妻の為子は公爵島津忠義の十女。香... |
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徳川好敏
清水徳川家第8代当主で、日本陸軍の航空分野を主導した軍人である。陸軍中将。男爵。12月19日午前、軍公式の飛行試験で日本国内で初めて飛行機により空を飛ん... |
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衣笠貞之助
大正・昭和期の日本の俳優、映画監督。本名は小亀貞之助(こかめていのすけ)。 |
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野村芳亭
大正・昭和初期の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。日本映画の基礎を作った功労者の一人である。本名野村粂蔵(のむらくめぞう)。 |
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藤野秀夫
日本の俳優である。本名は島田卯平(しまだうへい)である。 |
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木匠久美子
飯野公子の盲目の女性と一緒に歌を歌う少女を演じ、木匠の明るいキャラは哀感漂う飯野とは対象的であった。また、映画の後半、帰還した伊豆肇が上野の地下道... |
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横山運平
日本で最初に製作された「劇映画」に出演した日本最古の映画俳優。 |
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プロフィール
- 諸口十九とは
- 人物・来歴
- おもなフィルモグラフィ
- 関連書籍
- 関連サイト
諸口十九(もろぐちつづや、1891年2月3日-1960年4月17日)は、日本映画草創期に活躍した二枚目俳優である。
人物・来歴
| 1891年(明治24年)2月3日、福井県大野郡大野町(現・同県大野市)に生まれる。 |
| 16歳の時に上京し、藤澤浅次郎の俳優学校を卒業し、19歳で初舞台を踏む。 |
| 新劇や歌劇に数多く出演していたが、1920年(大正9年)、松竹蒲田撮影所設立と同時に入社する。 |
| まもなくその美貌を生かし、白塗りの二枚目俳優として次々と主演作を撮る。 |
| 特に川田芳子とのコンビは大人気となり、初期の松竹を支えた。 |
| しかし、当時の若手スター筑波雪子と浮き名を流し、撮影所長城戸四郎と対立し、俳優をやめる。 |
| 1927年(昭和2年)、36歳を迎えるころ、21歳の筑波雪子とのラヴ・アフェアの末、筑波とともに蒲田を退社、独立プロダクション「諸口十九社」を設立する。 |
| 二川文太郎を起用して1作『美代吉殺し』を製作、マキノ・プロダクションが配給したが失敗、同社は解散する。 |
| 続いて「諸口十九・筑波雪子一座」を結成、同年12月京都座に出演するが、筑波は諸口との関係を清算して松竹蒲田に戻った『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報、1980年)の筑波雪子の項の記述(p.456-457)による。 |
| 同項執筆は盛内政志。 |
| 後に、45歳になる1936年(昭和11年)、廃業した。 |
| その後は、辻占い師に転じ、晩年には「現代五行易の祖」の一人にあげられた。 |
| 1960年(昭和35年)4月17日、満69歳で死去。 |
おもなフィルモグラフィ
| 新生(1920年)※松竹蒲田撮影所、デビュー作。 |
| 光に立つ女(女優伝)(1920年)。 |
| 奉仕の薔薇(1921年)。 |
| 山へ帰る(1921年)。 |
| 金色夜叉(1922年)。 |
| 不如帰(1922年)。 |
| 帰らぬ人形(1923年)。 |
| 女殺油地獄(1924年)。 |
| カラボタン(1926年)。 |
| 美代吉殺し(1927年)※諸口十九社製作。 |
| 忠魂義烈 実録忠臣蔵(1927年)-浅野内匠頭役※マキノ・プロダクション。 |
| 燃えろ!魂(1936年)※東京発声映画製作所、遺作。 |
関連書籍
| 「日本無声映画俳優名鑑」(無声映画鑑賞会/編、株式会社マツダ映画社/監修)。 |
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諸口十九さんについてのひとこと紹介
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