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つながりの強いひと
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阿麻和利
阿麻和利(あまわり、?-1458年)は勝連半島を勢力下に置いた按司。北谷間切屋良村(現・嘉手納町字屋良)出身。史書によれば、悪政を強いる前城主の茂知附按... |
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第一尚氏
第一尚氏(だいいちしょうし)は尚思紹王を始祖とし、7代63年間(1406年(永楽4年)-1469年(成化5年))続いた琉球最初の統一王朝をつくりあげた王家および... |
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尚泰久王
尚泰久王(しょうたいきゅうおう、1415年-1460年)は琉球王国の第一尚氏王統・第六代国王。在位1453年-1460年。第五代琉球国王。第一尚氏王統第五代・尚金福... |
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尚徳王
尚徳王(しょうとくおう、1441年-1469年)は琉球王国の第一尚氏王統の第7代国王(在位1460年-1469年)。第6代琉球国王。第一尚氏王統最後の国王。尚泰久王の... |
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尚真王
琉球王国第二尚氏王朝の第3代国王(在位1477年(成化13年)-1526年(嘉靖5年))。第9代琉球国王。童名は真加戸樽金。神号:於義也嘉茂慧。琉球王国第二尚氏... |
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中山王尚
中山国の最後の君主。趙の武霊王により中山国は滅ぼされた。... Feペディア(出典:Wikipedia)で詳細を見る 「中山王尚」の検索結果 Yahoo!画像検索結果 -... |
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玉城朝薫
玉城朝薫(たまぐすくちょうくん、康熙23年8月2日(1684年9月11日)-雍正12年1月26日(1734年3月1日))は琉球王国第二尚氏王統の人。向氏十世で唐名は向受祐... |
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察度
大真物(うふまもの)。伝承では浦添間切謝名の奥間大親と伝説上の天女である飛衣(羽衣)の子とされる。生まれた家は極めて貧しかったが、当時強勢を誇って... |
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蔡温
蔡温(さいおん、1682年10月25日(康熙21年9月25日)-1762年1月23日(乾隆26年12月29日))は琉球王国の政治家。大和名は具志頭親方文若(ぐしちゃんウェーカ... |
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尚円王
尚円王(しょうえんおう、正しくは尚圓王、1415年(永楽13年)-1476年(成化12年)は琉球王国・第二尚氏王統の初代国王。在位は1469年(成化6年)-1476年(成... |
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第二尚氏
初代・尚円王から最後の尚泰王まで、19代続いた。 |
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尚寧王
尚寧王(しょうねいおう、1564年-1620年10月14日(万暦48年、泰昌元年9月19日))は琉球王国第二尚氏王朝第7代目の国王。在位1589年-1620年。第2代尚真王の曾... |
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鉄板
平面の金属版(通常アルミニウム、ステンレス鋼、鋳鉄)であるが、伝統文化ではグリドルは石板や煉瓦板でもある。鉄板は直火、または焜炉の上に乗せて、フラ... |
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尚敬王
尚敬王(しょうけいおう、1700年8月3日(康熙39年6月19日)-1752年3月14日(乾隆17年1月29日))は琉球第2尚氏王朝第13代国王(在位:1713年-1752年)。第12... |
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仲村渠
本名仲村渠到良(なかんだかりちりょう)。那覇市生まれ。県立一中から熊本鎮西中学に転校、明治学院入学。
「文章倶楽部」「詩神」「日本詩人」などに詩作を... |
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謝花昇
沖縄自由民権運動の父と称される人物である。沖縄県島尻郡東風平町(現在の八重瀬町)出身。東京帝国大学農科大学卒業。沖縄県最初の学士でもある。 |
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儀間真常
儀間真常(ぎましんじょう、嘉靖36年(1557年)-順治元年10月14日(1644年11月13日))は琉球王国第二尚氏王統の人。唐名は麻平衡(まへいこう)、童名を真市... |
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羽地朝秀
尚質王、尚貞王の摂政を務めた琉球王国の政治家。初位は按司、後に王子位に昇った。摂政の任期は1666年-1673年。 |
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金城次郎
陶芸家。国の重要無形文化財「琉球陶器」保持者(人間国宝)。沖縄県出身。 |
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プロフィール
- 護佐丸とは
- 北山征伐
- 護佐丸の乱
- 近年の評価
- 子孫
- 参考文献
- 関連項目
護佐丸(ごさまる、生年不詳-1458年)は、15世紀の琉球王国(中山)の按司。恩納村出身。唐名は毛国鼎(もうこくてい)、名乗は盛春(せいしゅん)。 第一尚氏王統建国の功臣で、尚氏6代の王に仕えながら晩年に謀反を疑われて自害し、忠節を全うしたと伝わるため、沖縄で今も人気が高い武人である。
北山征伐
| 生年は1390年、1391年、1393年など諸説ある。 |
| 曾祖父が先今帰仁城主で、1322年に北山王帕尼芝に滅ぼされた。 |
| 先今帰仁城主の子で、山田城主となった読谷山按司(山田按司)に嗣子がなく、兄弟の伊波按司の二男が養子となって読谷山按司を継いだ。 |
| その子が護佐丸と伝えられる。 |
| 尚巴志が1416年に北山征伐の軍を興すと、有力按司の1人として連合軍に合流した。 |
| 王府史書によると、20歳代にして第2軍800人の総大将に抜擢された護佐丸は、海路を通った尚巴志の本軍と分かれて陸路、今帰仁城に向かった。 |
| 本軍と北山王攀安知が城外で交戦し、城内の本部平原が寝返ると、呼応して今帰仁城に突入し、北山王国を滅ぼした。 |
| 尚巴志は、平定した北山の宣撫のため、先今帰仁城主の血筋を引く護佐丸を、北山守護職の要職に任じた。 |
| また山田城から南西に4㌔離れ、良港を備えた座喜味城の築城を命じたが、これは北山を監視する戦略上の要所でもあった。 |
| 城は赤土の軟弱な台地に建てられたが、護佐丸は旧居城の山田城を崩して石材を運び、石積みの工夫によって強度と曲線美を備えた城壁を築いて、築城家としての声価を高めた。 |
| 築城の際、北山守護職として影響力を拡大した奄美群島や慶良間諸島から、労働者を駆り出したと伝えられている。 |
| 尚巴志は護佐丸の叔母にあたる伊波按司の娘を妃とし、姻戚関係を強めた。 |
| 1422年、第一尚氏王統の第2代国王となった尚巴志は二男尚忠を北山監守に任じ、護佐丸を座喜味城に移して、北山の統治体制を堅固にした。 |
| これには、尚巴志が護佐丸の勢力の拡大を警戒して、北山から転封したとの見方もある。 |
| 護佐丸は座喜味城に18年間居城し、中国や東南アジアとの海外交易で、黎明期の第一尚氏王統の安定を経済的にも支えた。 |
護佐丸の乱
| 勝連城を根拠地とする茂知附按司が勢力を拡大すると、尚巴志は1430年、中城の地領を護佐丸に与え、築城を命じた。 |
| さらに息子の尚布里を江洲、尚泰久を越来に置き、勝連を牽制した。 |
| 護佐丸は、与勝半島を指呼に望む中城城の改築にかかり、1440年、尚忠が第3代国王となると、王命で同年に完成した中城城に居城を移した。 |
| 阿麻和利が茂知附按司を滅ぼし、対外交易で実力を蓄えた。 |
| 1454年、王位継承権をめぐる王族の内乱「志魯・布里の乱」が起きて尚布里が失脚、尚泰久が第6代国王として首里に入ると、勝連城の阿麻和利の掣肘は護佐丸の双肩にかかった。 |
| 護佐丸の娘を正室としていた尚泰久王は、長女百度踏揚を阿麻和利に降嫁させ、護佐丸・阿麻和利の有力按司との姻戚関係を後ろ盾に、内乱で失墜した王権の復興を図った。 |
| しかし1458年8月、「護佐丸・阿麻和利の乱」が勃発した。 |
| 王府史書によると、阿麻和利に対抗するため護佐丸が兵馬を整え、これを阿麻和利が護佐丸に謀反の動きがあると王府に讒言。 |
| 尚泰久王が阿麻和利を総大将に任じ、中城城を包囲すると、王府軍と聞いた護佐丸は反撃せず、妻子とともに自害した。 |
| 仇敵の護佐丸を除いた阿麻和利は首里を急襲するが、百度踏揚が勝連城を脱出して王府に変を伝え、阿麻和利は王府軍によって滅ぼされたと伝えられる。 |
近年の評価
| 護佐丸・阿麻和利の乱の経緯については、琉球王国の最初の正史である中山世鑑に記述がなく(欠本とも伝えられる)、中山世譜などの史書が護佐丸の末裔が繁栄した時代に編纂されていること、尚泰久王が警戒していた阿麻和利の讒訴を信じたこと、護佐丸が阿麻和利の謀略と看破しながら王に申し開きせずに自害したこと、阿麻和利が勝連に伝わるおもろで名君と讃えられていること、護佐丸の忠義が阿麻和利の乱で証明されたにもかかわらず、尚泰久王の正室の男児2人が王位を継承できず追放されたことなど、不可解な点がある。 |
| このため近年は、護佐丸が実際に反逆者であったとする説、2つの内乱が有力按司の排除を意図した金丸(尚円)の謀略であるとする説など、「忠臣護佐丸・逆臣阿麻和利」という構図の再評価が進んでいる。 |
子孫
| 護佐丸の遺児、盛親は尚円に登用され豊見城按司となっている。 |
| また、護佐丸の末裔には近世に三司官の役職に就く者も出ており、子孫を名乗る人々も繁栄している様だ。 |
参考文献
| 『中山世譜』(1701年)。 |
| 『毛氏先祖由来伝』。 |
| 与並岳生『新琉球王統史③思紹王・尚巴志王・尚泰王』、新星出版、2005年。 |
| 与並岳生『新琉球王統史④護佐丸・阿摩和利・鬼大城尚徳王』、新星出版、2005年。 |
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1390年
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1391年、1393年など諸説ある |
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1416年
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北山征伐の軍を興すと、有力按司の1人として... |
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