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プロフィール
谷村唯一郎(たにむらただいちろう、1887年4月5日-1982年5月29日)は最高裁判所裁判官。 会計検査院の書記をしながら、1914年に中央大学法律科を卒業。1917年に弁護士となり、戦前には東京弁護士会会長を務める。戦後は法曹一元化に一環として司法省入りし、司法次官として数々の法改正を手がける。また、GHQの公職追放解除を審査する公職資格訴願審査委員会委員長を歴任。1951年4月、最高裁判所裁判官となる。定年前の1956年11月に依願退官。退官後は日本法律化協会会長を歴任。
参考書籍
| 野村二郎「日本の裁判史を読む事典」(自由国民社)。 |
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1914年
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中央大学法律科を卒業 |
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1951年
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最高裁判所裁判官となる |
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