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つながりの強いひと
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岩崎弥太郎
日本の実業家。三菱財閥の創業者で初代総帥。明治の動乱期に政商として巨利を得た最も有名な人物である。諱は敏(のち寛)、雅号は東山。別名を土佐屋善兵衛... |
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近藤廉平
近藤廉平【こんどう・れんぺい】日本郵船を世界最大級の海運企業に成長、日本郵船第3代社長、貴族院議員 更新日: 2010-01-25 ■ 近藤 廉平【こんどう... |
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荘田平五郎
荘田平五郎(しょうだへいごろう、弘化4年10月1日(1847年11月8日)-大正11年(1922年)4月30日)は日本の男性実業家。 |
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大隈重信
日本の武士(佐賀藩藩士)、政治家、教育者。位階は従一位。勲等は大勲位。爵位は侯爵。政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣(第3・4・11・14・29代)、農... |
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犬養毅
日本の政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は木堂。中国進歩党総裁、立憲国民党総裁、革新倶楽部総裁、立憲政友会総裁(第6代)、文部大臣... |
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渋沢栄一
幕末から大正初期に活躍した日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主... |
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小林正
日本の政治家・教育評論家。元参議院議員。日本教育再生機構代表委員。教科書改善の会賛同者。日本の教育改革を進める会理事。「日本の教育改革」有識者懇談... |
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安田善次郎
富山県富山市出身の実業家。幼名は岩次郎。安田財閥の祖。 |
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岩崎久弥
日本の実業家。三菱財閥3代目総帥。1893年男爵を授けられた。 |
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海援隊
武田鉄矢・中牟田俊男・千葉和臣の3人組(プロデビュー時)のフォークグループ。坂本龍馬の大ファンである武田鉄矢が海援隊から名付けた。 |
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岩崎小弥太
日本の男性実業家で、三菱財閥の4代目総帥。男爵。 |
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陳平
中国秦末から前漢初期にかけての政治家・軍師。当初は魏咎・項羽などに仕官するものの長続きせず、最終的には劉邦に仕え、項羽との戦い(楚漢戦争)の中で危... |
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岩崎弥之助
日本の実業家で、三菱財閥の2代目総帥。男爵。岩崎弥次郎・美和夫妻の三男として土佐国(現在の高知県安芸市)に生まれた。三菱の創業者・岩崎弥太郎の弟に当... |
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張良
秦末期から前漢初期の政治家・軍師。字は子房。諡は文成。劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、劉邦の覇業を大きく助けた。蕭何・韓信と共に漢の三傑とされる... |
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尾崎行雄
尾崎 行雄/おざき ゆきお
所属球団:東映 登録名:尾 崎 中卒 在籍年数:4年目 出身地:大阪府
顔の色:黄色 背番号:19 出身:国内 新人王権利:あり 生... |
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加藤高明
日本の外交官、政治家。外務大臣(第16・19・26・28代)、貴族院議員、内閣総理大臣(第24代)などを歴任した。位階は正二位。勲等は大勲位。爵位は伯爵。学... |
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吉田東洋
吉田東洋(よしだとうよう、文化13年(1816年)-文久2年4月8日(1862年5月6日))は日本の武士・土佐藩士。父は土佐藩士・吉田光四郎正清、母は吉田正幸の娘。... |
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童門冬二
日本の小説家。勲等は勲三等。本名は太田久行。 |
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斎藤実
日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。位階は従一位。勲位は大勲位。爵位は子爵。新字体で斎藤実(さいとうまこと)とも表記される。当初の名前は「富五... |
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プロフィール
- 豊川良平とは
- 学生時代まで
- 社会人以降
- 三菱への人物推挙
- 参考文献
- 関連サイト
豊川良平(とよかわりょうへい、嘉永5年1月16日(1852年2月5日)-1920年(大正9年)6月12日)は、近代日本の実業家、貴族院勅選議員。 荘田平五郎や 近藤廉平など三菱財閥に多くの人材を紹介し、いとこの 岩崎弥太郎を支えた。なお本名は小野春彌(おのはるや)だが、豊臣の豊、徳川の川、張良の良、 陳平の平をそれぞれ一字ずつ取って改名している。
学生時代まで
| 嘉永5年1月16日(1852年2月5日)、土佐藩の御殿医・小野篤治と母・録の長男として生まれる。 |
| 父・篤治は岩崎弥太郎の母・美和及び岡本寧浦の妻・ときと兄弟にあたる『岩崎彌太郎傳(下)』のp.623によると篤治は美和の兄となっているが(この場合篤治は弥太郎の伯父にあたる)、『岩崎彌太郎傳(上)』のp.103によると篤治は慶応元年(1865年)に48歳で病死しており、そこから生年を逆算すると没時の年齢が数え年・満年齢のいずれであっても篤治は美和の弟になる(この場合篤治は弥太郎の叔父にあたる)。 |
| また篤治とときの関係についてもときは篤治の姉としている文献と逆に妹としている文献の両方がある。 |
| 『岩崎彌太郎傳(上)』p.103に記述されている篤治の没年及び没年齢が正しければときは篤治の姉ということになる。 |
| 少年時代から史記や春秋左氏伝、資治通鑑を学んだ小林、P.40。 |
| 慶応3年(1867年)に篤治が亡くなると伯父(篤治の兄)・順吉を養父とした。 |
| 藩校の致道館の下塾に徳弘為章や従兄の岩崎弥之助らと通って漢学を学び、2年後の明治2年(1869年)に洋学に転じている。 |
| また、明治3年(1870年)に豊川良平に改名した。 |
| 明治3年に大阪の土佐藩邸にいる岩崎弥太郎のもとに移り、開成所(東京の開成所とは別)や岩崎英学塾で、弥之助や近藤廉平とともに英語を学んだ。 |
| 1873年(明治6年)に上京して明治6年に慶應義塾に入り、1875年(明治8年)4月に変則科第3期卒業生の一人として卒業した。 |
| 同級生に鎌田栄吉がいる。 |
| 卒業後、浪人しながら馬場辰猪の姪・屋寿と結婚した。 |
社会人以降
| 1878年(明治11年)に三菱商業学校が設立されると会計監督に就き、事実上の校主を務めた。 |
| 1881年(明治14年)には同校が廃されて明治義塾が設立され、その塾長となった。 |
| なお、馬場辰猪は両校で教師を務めている。 |
| 1884年(明治17年)に明治義塾は廃校となり、英吉利法律学校(現・中央大学)と東京英語学校(現・日本学園中学校・高等学校)に分かれた。 |
| この頃、学校経営の傍らでリスト学派の立場に立つ「東海経済新報」を犬養毅と発刊し、1880年(明治13年)8月20日の1号から1882年(明治15年)11月15日の78号まで続いた。 |
| 1885年(明治18年)2月7日、三菱の事業への参加を許可する遺言を残して弥太郎が逝去し、豊川はこれに従った。 |
| 1889年(明治22年)には第百十九国立銀行の頭取に就任し、1895年(明治28年)に三菱合資会社の本社副支配人および銀行部主任となる。 |
| 1897年(明治30年)には同支配人、1899年(明治32年)には三菱銀行部長となる。 |
| 1904年(明治37年)の日露戦争では戦時公債の募集に貢献し、戦後の1908年(明治41年)8月14日には公債発行の全面中止など国債の整理策を総理大臣の桂太郎に提言した小林、P.41。 |
| 1910年(明治43年)三菱合資会社の管事となり、1913年(大正2年)に同職を退いた。 |
| 1914年(大正3年)に東京市会議員、1916年(大正5年)には貴族院議員に勅選されている。 |
| 他日本工業倶楽部の初代会長に就任し、理事長に団琢磨を招聘した。 |
| 1920年(大正9年)6月12日に逝去。 |
| 妻の屋寿との間に6男3女を儲けており、長男の豊川順彌が後を継いだ。 |
| 次男の二郎は順彌の事業を手伝い、五男の斎は齋藤実の養子となった。 |
| また、次女は鹿村美久と結婚している。 |
三菱への人物推挙
| 良平は多くの人材を三菱財閥にスカウトし、岩崎弥太郎の創業や岩崎弥之助の事業継承を大きく支える働きをしたと評される鵜崎、P.39。 |
| 1875年(明治8年)に慶應義塾の講師・荘田平五郎を招いたのがその始まりとなり、荘田は湯川頼次郎とともに複式簿記を三菱に導入した。 |
| また妹・豊川従子の夫である近藤廉平と弥之助の間を取り持ち、山本達雄については三菱商業学校の学生時代から資金援助を行い、媒酌人もつとめている。 |
| 大阪時代に知り合った長谷川芳之助や朝吹英二も三菱に推挙し、荘清次郎には学資を援助して海外に留学させている。 |
| この他、同郷の井内彦四郎を三菱に入るよう勧めたが、井内は三菱は既に組織として成り立っていることなどからこれを断った。 |
| そのため知人を通じて井内を近江銀行へ入社させ、後に井内が経営再建中だった大阪電気軌道(現:近畿日本鉄道)に移ることになった際には、豊川は井内に「大阪から奈良、すなわち東方へ向かって路線を延ばしているのなら、そのまま名古屋・東京まで延伸し、第二の東海道線(東海道新線)を造れ」と言ったエピソードもある。 |
| 井内が入った大阪電気軌道は、系列会社や買収によって名古屋までの路線延伸を実現させている「東への鉄路―近鉄創世記」著:木本正次、1974年。 |
| ISBN4313830693(上巻)とISBN4313830707(下巻))。 |
参考文献
| 岩崎家傳記刊行会『岩崎彌太郎傳(上)』東京大学出版会、1967年。 |
| 岩崎家傳記刊行会『岩崎彌太郎傳(下)』東京大学出版会、1967年。 |
| 小林正彬『再考岩崎彌太郎・豊川良平:三菱創業者といとこの関係』「関東学院大学経済学会研究論集」、関東学院大学、231巻、P.33-51、2007年。 |
| 鵜崎熊吉『豊川良平』豊川良平伝編纂会、1922年。 |
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1852年
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豊川 良平(とよかわ りょうへい、嘉永5年1月... |
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1867年
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篤治が亡くなると伯父(篤治の兄)・順吉を養... |
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