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つながりの強いひと
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鎌苅忠茂
貴闘力 忠茂
基礎情報
四股名貴闘力 忠茂
本名鎌苅忠茂→納谷忠茂→鎌苅忠茂
生年月日 1967年 9月28日 (43歳)
出身 兵庫県 神戸市
身長181cm
体重148kg(現役... |
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納谷忠茂
所属部屋 : 二子山 本名 : 納谷 忠茂 しこ名履歴 : 鎌苅→貴闘力 生年月日 : 昭和42年9月28日 出身地 : 兵庫県神戸市 身長 : 180.0cm ... |
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曙太郎
アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ワイマナロ出身で、東関部屋の元大相撲力士、チーム・ヨコヅナ所属の現役プロレスラー、タレント。大相撲時代の最高位は第64... |
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大嶽親方
大嶽親方、協会に「はめられた」! 簡易尿検査で陽性反応を示した元露鵬らについて... タグ: 大嶽親方 白露山 露鵬 伊勢ノ海委員長 元関脇藤ノ川 元露鵬 ヤク... |
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魁皇博之
福岡県直方市出身で友綱部屋所属の元大相撲力士。本名は古賀博之(こがひろゆき)、愛称はキンタ。身長185cm、体重173kg、血液型はA型。得意手は左四つ、寄り... |
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貴乃花光司
元大相撲力士であり、第65代横綱である。相撲部屋は、入門時には藤島部屋、後に二子山部屋所属。現在は、一代年寄・貴乃花として、貴乃花部屋(無所属、元は... |
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北勝海信芳
年寄・八角信芳(はっかくのぶよし)として八角部屋(高砂一門)の師匠。日本相撲協会監察委員・指導普及部委員。 |
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小西博之
和歌山県田辺市出身の日本の俳優。スタークコーポレーション所属。身長は180cm。体重は78kg。和歌山県立田辺商業高等学校(現和歌山県立神島高等学校)卒業、... |
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仙道敦子
日本の女優である。本名、緒形敦子(おがたのぶこ)。愛知県名古屋市出身。研音所属。夫は俳優の緒形直人。身長160cm。 |
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千代大海龍二
大分県大分市出身(出生地は北海道千歳市)で九重部屋所属の元大相撲力士。本名は須藤龍二(すどうりゅうじ)、旧姓は廣嶋(ひろしま)。現役時代の体格は身... |
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千代の富士貢
大相撲元力士で、第58代横綱。北海道松前郡福島町出身。身長183cm、体重127kg。現在は年寄・九重。現役時代の異名・愛称はウルフ、大将。血液型はA型。岳父は... |
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貴ノ浪貞博
青森県三沢市出身で二子山部屋(入門時は藤島部屋、引退時は貴乃花部屋)所属の元大相撲力士。最高位は大関。本名は浪岡貞博(なみおかただひろ)。現役時代... |
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武蔵丸光洋
アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島出身(生まれは東サモア)で武蔵川部屋所属の元大相撲力士、現振分親方・タレント。第67代横綱。旧名はフィアマル・ペニタニ... |
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内藤やす子
神奈川県横浜市出身の女性歌手。浪曲師の両親の間に生まれた。血液型A型、身長155cm、体重42kg。豊島岡女子学園高等学校中退。1975年の歌手デビュー以来、多... |
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大乃国康
大乃国康(おおのくにやすし、本名:青木康(あおきやすし)、1962年10月9日-)は大相撲の力士で、第62代横綱。北海道河西郡芽室町出身。身長189cm、体重は最... |
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朝青龍明徳
モンゴル国ウランバートル市出身の元大相撲力士、第68代横綱。現在は実業家、タレントとしてマルチに活躍している。本名はドルゴルスレンギーン・ダグワドル... |
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日昭
鎌倉時代中期から後期にかけての日蓮宗の僧。俗姓は印東氏。日昭門流・浜門流の祖。日蓮六老僧の一人。字は大成弁。弁阿闍梨とも称される。下総国の出身。生... |
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宮尾すすむ
日本のタレント。本名は山口進(やまぐちすすむ)。 |
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貴ノ花利彰
青森県弘前市出身の大相撲力士。現役時は二子山部屋所属であった。血液型はB型。本名は花田満(はなだみつる)。身長183cm、体重114kg。最高位は大関。名横綱... |
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大鵬幸喜
元大相撲力士。第48代横綱である。身長187cm。血液型はB型。樺太敷香郡敷香町出身で、北海道川上郡弟子屈町川湯温泉で育った。 |
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プロフィール
- 貴闘力忠茂とは
- 十両昇進まで
- 入幕以後
- 史上初の幕尻優勝
- 引退後大鵬部屋へ
- 野球賭博関与、解雇へ
- 第二の人生
- 気合い十分の仕切り、突っ張り
- 研究者の一面
- 鬼門の九州場所
- 曙を倒すのが仕事
- 主な成績
- 各段優勝
- 三賞・金星
- 関連サイト
貴闘力忠茂(たかとうりきただしげ、1967年9月28日-)は、兵庫県神戸市出身で二子山部屋(入門時は藤島部屋)所属の元大相撲力士。大嶽部屋所属の若闘力駿磁は甥。
十両昇進まで
| 幼い頃から相撲が好きで力士に憧れ、小学生の頃は既に自分は力士になると決めていた。 |
| 小学校を卒業後、一応面識のあった大関貴ノ花に入門を願った。 |
| しかし日本相撲協会の規定にて義務教育を終了しないと力士になれなかったため、とりあえず体験入門はさせたが「3年経ったらまたおいで」と1度は帰された。 |
| その後、地元に戻り、花畑中学2年時から柔道を始めた。 |
| 同中柔道部の一年先輩にプロレスラー佐々木健介がいる。 |
| 3年時には全国大会に出場し団体戦の準決勝に進出したが古賀稔彦のいた弦巻中学に敗れた。 |
| 中学校を卒業後、本当に元大関貴ノ花の藤島親方が師匠を務める藤島部屋(のちの二子山部屋)に入門した。 |
| 1983年3月場所で初土俵を踏み、1989年3月場所後に十両昇進が決まった。 |
| この時、名字をそのままに「鎌苅」としていた四股名を「貴闘力」と改名した。 |
入幕以後
| 1990年9月場所新入幕、11勝4敗で敢闘賞を獲得する。 |
| 1991年5月場所より小結に昇進し、以後三役から幕内上位に定着した。 |
| 1991年5月場所3日目には、千代の富士と二度目の対戦となったが、一度目の対戦だった1990年11月場所は敗戦となったが、この場所で新小結に昇進した貴闘力は取組で、千代の富士の腕をつかんで土俵外へ放り投げる「とったり」という決まり手で快勝。 |
| 勝利直後のインタビューでは「憧れの大横綱に勝てて嬉しいです」と語ったが、その日の夜千代の富士がこの一番を最後に現役引退を表明。 |
| 結果的に貴闘力が千代の富士に対して、引導を渡した格好となった。 |
| 千代の富士の引退報道に貴闘力は、「本当ですか!信じられません。 |
| まだ自分は大先輩に対して偉そうな事を言える立場では無いので...」と言葉少なにコメントを述べるに留まっている。 |
| その後貴闘力は、千代の富士から直接「俺の事は気にせずに頑張れ」と励まされたという。 |
| この場所の貴闘力はその後も好調を維持して9勝6敗と勝ち越し、敢闘賞を受賞している。 |
| 1993年2月に当時の二子山親方と藤島親方の名跡交換・両部屋の合併に伴い、師匠は二子山親方となった元大関貴ノ花のまま二子山部屋所属となる。 |
| 1994年3月場所は一度前頭12枚目まで落ちたが12勝3敗と好成績を上げ、横綱曙、それに同部屋の新大関の貴ノ浪との優勝決定巴戦に出場した。 |
| しかし、この巴戦ではまず貴ノ浪が曙に破れ、そして自身も曙に敗れたため、幕内優勝を果たすことが出来ず、初優勝までこれから6年の歳月を要することになる。 |
史上初の幕尻優勝
| 1994年以後、長らく三役から幕内上位に定着していたが、前頭2枚目として臨んだ1999年11月場所で2勝13敗と大幅に負け越すと、翌2000年1月場所でも前頭10枚目で5勝10敗と負け越し、2000年3月場所には幕尻の前頭14枚目まで落ちてしまった。 |
| すでに32歳になっており、衰えの見えてきた貴闘力に対して周囲は絶対に十両に落ちるという見方をしていた。 |
| ところが貴闘力は2000年3月場所が始まると初日からひとり12連勝を達成、優勝争いではトップで独走となった。 |
| その後13日目に武蔵丸、14日目に曙と両横綱に敗れはしたものの、千秋楽になっても未だに優勝争いに加わっていた、そして、千秋楽において当時関脇の雅山を下し、結果13勝2敗で史上初の幕尻優勝を達成した。 |
| なお、当時貴闘力の年齢は32歳5か月で、さらに幕内初優勝まで初土俵から実に所要102場所も掛かったが、これは年齢・場所数共に現在も歴代最長のスロー記録である。 |
| 初優勝が決まった瞬間、貴闘力は土俵下で男泣きしていた。 |
| それまで舅の大鵬が残した偉大な功績と自身の功績を息子からも比較されて困っていたそうだが、この優勝により貴闘力は「ようやく子供に『どうだ、父ちゃんだって強いんだぞ』と言える記録が作れました」と大喜びだった。 |
| また義父の大鵬も「私の32回の優勝よりも、今場所の貴闘力の優勝が一番嬉しいことだ」と嬉し涙を流しながらコメントした。 |
| 十両陥落後は幕内最高優勝を経験した力士として、十両優勝決定戦に参加するという珍しい記録を持っている。 |
| ちなみにその優勝決定戦は史上初の8力士によって争われ、この場所の十両に2桁勝利の力士はいなかった(9勝6敗)。 |
引退後大鵬部屋へ
| 2002年9月場所の12日目、十両での取組で最後の相撲となったベテランの寺尾戦で敗れて3勝9敗となり、幕下陥落が確定的になったことを機に引退。 |
| その後年寄・第16代大嶽を襲名し、大鵬部屋の部屋付き親方となった。 |
| その後部屋を継承した。 |
野球賭博関与、解雇へ
| 2010年6月、週刊誌に野球賭博に関与したと報じられ、警視庁の事情聴取で関与を認めた |
| 6月28日には日本相撲協会に退職届を提出したが、この時点では受理されなかった |
| 6月27日、一連の賭博問題を受けて設置された特別調査委員会から、除名もしくは解雇処分の勧告案が出され朝日新聞 2010年6月29日、翌日の臨時理事会と評議員会で勧告案が受け入れられ、7月4日の臨時理事会で処分が決定、大関琴光喜啓司と共に解雇処分となった。 |
| 当初、相撲協会は賭博関与を申告すれば厳重注意で済ませるとしていたが、琴光喜や大嶽親方は発覚時点で当初関与を否定していたことや、賭け金が他の力士に比べ多かった事などが解雇の理由となったとしている朝日新聞 2010年7月5日。 |
| なお大嶽の名跡は、15代大嶽親方だった元十両大竜忠博の二子山親方が再び継いでいる。 |
| その後、7月5日に大鵬幸喜の三女と離婚し、養子縁組も解消した為、本名が鎌苅忠茂に戻った |
第二の人生
| かつての自身の部屋から清洲橋通りを1.8kmほど進んだ、都バス「扇橋二丁目」停留所前店の前に止まるバス路線は、東京駅→東陽町駅→当バス停→錦糸町駅のルートのみ。 |
| 同バス停は他ルートの都バスも停車するが、その停留所は貴闘力の店からは少し離れている。 |
| ([扇橋二丁目交差点]清洲橋通りと四ツ目通りの交点近く)の焼肉店を居抜きで取得。 |
| 自身の店「焼肉本店ドラゴ(Drago:伊)」として、2010年10月1日に開店させ、焼肉店主として第二の人生を歩むことになった |
| 貴闘力の弟弟子であった協会理事・年寄貴乃花光司(第六十五代横綱貴乃花)は、この店のイタリア語の店名を命名し、看板を揮毫し上記「公式発表」参照。 |
| 「ドラゴ」の命名由来も公式発表参照。 |
| 看板には「裸の決心 僕は張り手の力キー(りっきー)焼肉本店ドラゴ 龍神守護」と書かれている。 |
| 、開店日にも、激励のため店を訪れている。 |
気合い十分の仕切り、突っ張り
| 平成に入って時間一杯になるまで立ち上がろうとしない力士が増えた(昭和50年代後半までは時間前に立つ力士も多かった)中で時間前の仕切も気合充分、いつでも立つぞという構えは仕切の本来あるべき姿に近いとされた。 |
| 実際、時間前に立つことも多く、そうした取り組みではしばしば激しい攻防を展開して土俵を沸かせた。 |
| そうでなくとも、しばしば張り手も飛び出す(張り手の応酬もする)回転の良い突き押しの相撲内容は見ごたえ十分で、1991年の琴椿との壮絶な突っ張りの応酬など名勝負の名に値する激闘は多い。 |
研究者の一面
| 力士としては小柄な部類に入る体躯だったが、古い書籍を読み漁って過去の名力士たちの逸話を参考にするなど、熱心な研究でこれを補った。 |
| 廻しを取られないようにするため、塩水を吹きかけて特にきつく締めていた。 |
| こうした廻し姿は力士の大型化にともなってゆるく締める力士が増えていた時代にあって評価された。 |
| 当時の人気番組「カルトQ」の大相撲がテーマの回には出場を希望し、実際筆記予選ではトップクラスの成績だったが、「現役力士にはご遠慮願いたい」とやんわりと出場を断られたという。 |
| 付き人を背負ってのすり足や、ゴムチューブを利用した筋力トレーニング(プロレス好きの影響)など、独特の稽古でアイデアマンとしても知られた。 |
| 幕内での珍しい決まり手としては、「二丁投げ」があり、貴闘力は都合3回、この決まり手で勝っている。 |
鬼門の九州場所
| なぜか11月場所に弱く、1992年から最後の11月場所となった2001年まで10年連続で11月場所は負け越した。 |
| 特に1996年11月場所は、同年7月に10勝、同年9月に11勝を挙げ大関昇進のチャンスだったが、場所中に尿管結石で入院するアクシデントも有って、結局6勝9敗に終わり大関昇進はならなかった。 |
曙を倒すのが仕事
| 横綱である曙に対して相性が良く、通算15勝(28敗・決定戦1敗)を挙げ金星だけでも7個もせしめた。 |
| これは、高見山(対輪島)と並ぶ、ひとりの横綱からの金星獲得の最多タイ記録である。 |
| こうした曙に対する強さから『優勝するのはうちの横綱(貴乃花)。 |
| 俺は曙を倒すのが仕事』と公言したことすらある。 |
| 逆に曙からすれば天敵と言える相手で、翌日の相手が貴闘力だと決まると「どちらが横綱かわからない」と言われるほどの気落ち、気負いぶりだった。 |
| 「立合い、最初の両手突きさえ外せば、曙は怖くない、ということを、全幕内力士に証明してみせたのが、彼の最大の功績」(小坂秀二)の評さえある。 |
| 一方、武蔵丸には8勝37敗で金星はなし。 |
| 曙を毎場所の様に苦しめながら、武蔵丸にはまるで歯が立たないので、合口の面白さの実例と言われた。 |
| 若乃花、貴乃花とは同部屋で対戦がなかったこともあって、曙以外からの金星は2個と少ない。 |
| 曙や武蔵丸との対戦では仕切の際に相手を挑発し態度が汚いと評されることもあった。 |
| 天覧相撲の曙戦で待ったを繰り返し、睨み合いを演じて、説明に窮し面目を失った当時の二子山理事長から叱責を受けたのはその好例である。 |
| 大関昇進を期待されたこともあったが、武蔵丸やライバル琴錦などに分が悪く、取り零しが多くて果たせなかった。 |
主な成績
| 三役在位:26場所(関脇15場所、小結11場所)。 |
三賞・金星
| 三賞:14回。 |
| 殊勲賞:3回(1991年3月場所、1997年7月場所、2000年3月場所)。 |
| 敢闘賞:10回(1990年9月場所、1991年5月場所、1991年7月場所、1994年3月場所、1994年5月場所、1994年7月場所、1996年1月場所、1996年7月場所、1996年9月場所、2000年3月場所)※同賞の最多受賞記録。 |
| 金星:9個(大乃国1個、旭富士1個、曙7個)。 |
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1967年
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貴闘力 忠茂(たかとうりき ただしげ)は、兵... |
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1989年
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幕下優勝:1回(場所) |
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投票数
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貴闘力忠茂さんについてのひとこと紹介
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