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つながりの強いひと
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足利成氏
室町時代から戦国時代の武将。第5代鎌倉公方(1449年-1455年)、初代古河公方(1455年-1497年)。父は永享の乱で敗死した第4代鎌倉公方足利持氏。鎌倉公方就... |
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足利義政
室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年-1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟... |
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足利義教
親
室町時代中期の室町幕府第6代将軍(在職:1428年-1441年)。3代将軍足利義満の3男。母は側室の藤原慶子で、4代将軍足利義持の同母弟。僧侶時代は義円、還俗直... |
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古河公方
室町時代後期から戦国時代にかけて、下総国古河(茨城県古河市)を本拠とした関東足利氏。享徳4年(1455年)、第5代鎌倉公方足利成氏が、享徳の乱の際に鎌倉... |
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足利茶々丸
室町時代後期の武将。初代堀越公方の足利政知(8代将軍義政の異母兄)の子。11代将軍足利義澄の兄。没年については、延徳3年(1491年)や明応2年(1493年)説... |
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足利義澄
室町幕府第11代将軍。在任:明応3年12月27日(1495年1月23日)-永正5年4月16日(1508年5月15日)。父は8代将軍足利義政の異母兄である堀越公方足利政知。はじ... |
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北条早雲
室町時代中後期(戦国時代初期)の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖である。伊勢宗瑞(いせそうずい)とも呼ばれる。北条早雲は戦国大名の嚆矢であり、... |
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足利義勝
室町時代中期の室町幕府第7代将軍(在任:1442年-1443年)。6代将軍足利義教の嫡男。生まれてすぐに政所執事伊勢貞国の屋敷で養育されたが、嘉吉元年(1441年... |
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足利義視
室町時代中期から後期にかけての足利一族。一時的に将軍継嗣になったこともある。 |
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細川政元
室町時代後期から戦国時代前期の武将、守護大名、管領。足利氏の庶流・細川氏当主。幕臣ながら将軍をしのいで事実上の最高権力者となり、「半将軍」とも呼ば... |
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足利持氏
足利持氏(あしかがもちうじ)は室町時代の武将。第4代鎌倉公方(在位:1409年-1439年)。足利満兼の子。 |
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細川勝元
室町時代の武将・守護大名。管領、土佐・讃岐・丹波・摂津・伊予守護。足利氏の支流で三管領の1つである細川氏嫡流・京兆家の当主。細川持之の子、政元の父。... |
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上杉憲忠
室町時代中期の武将。上杉憲実の長男で房顕の兄。官位は右京亮。山内上杉家出身。幼名は竜忠。正室は上杉持朝の娘。関東管領に就任するが、鎌倉公方足利成氏... |
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渋川義鏡
室町時代後期の武将である。本姓は源氏で足利氏の一門渋川氏の出身。父は渋川義俊(または渋川満頼、その場合義俊とは兄弟になる)。子に斯波義廉、養子に渋... |
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足利潤童子
室町時代後期(戦国時代)の足利氏の一門。室町幕府11代将軍・足利義澄の実兄にあたる。8代将軍・足利義政の異母兄で堀越公方初代の足利政知の次男。母は武者... |
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足利義尚
室町時代後期の室町幕府第9代将軍(在職:1473年-1489年)。晩年に義煕と改名しているが、一般的には義尚の名で知られる。応仁の乱では、叔父の足利義視と将... |
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今川氏親
今川氏親(いまがわうじちか)は戦国時代の武将・守護大名・戦国大名である。足利氏の一門・吉良氏の庶流である駿河今川家7代当主。駿河守護。父は今川義忠。... |
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足利尊氏
鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。室町幕府の初代征夷大将軍(在職:1338年-1358年)。足利将軍家の祖。 |
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日野富子
室町時代後期から戦国時代前期の女性。室町幕府8代将軍足利義政の正室。父は蔵人右少弁・贈内大臣日野重政、母は従三位北小路苗子(北小路禅尼)。兄に勝光、... |
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足利基氏
南北朝時代の武将。初代鎌倉公方。後の古河公方の家系の祖でもある。室町幕府初代将軍足利尊氏の四男。母は正室の赤橋登子(登子の子としては次男)。 |
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プロフィール
足利政知(あしかがまさとも)は、室町時代後期の武将。足利将軍家の一族で、初代堀越公方である。第6代将軍 足利義教の次男。第7代将軍 足利義勝の異母弟で、第8代将軍義政の異母兄。第11代将軍 足利義澄の父であり、以後の将軍は政知の家系から続いた。室町幕府公認の鎌倉公方として下向するが、幕府権力の衰退と上杉氏の内紛などで鎌倉に入れず、伊豆の堀越に留まった。このため、堀越公方と称される。
略歴
| 永享7年(1435年)、第6代将軍足利義教の次男として生まれる。 |
| 義政や義視より年上であるが弟とされているのは、義政・義視の母親が幕府で権勢を誇っていた日野家だった。 |
| 幼少期から天龍寺香厳院の僧となったが、弟の義政の命により長禄元年(1457年)に還俗する。 |
| 幕府公認の鎌倉公方として派遣されるが、当時幕府と敵対状態にあった古河公方足利成氏の勢力が強大なため鎌倉に入ることができず、伊豆堀越に逗留した。 |
| 上杉氏が成氏と和睦して幕府もこれを認めたために、文明14年12月(1482年)に成氏と和睦した。 |
| 最終的に堀越公方は伊豆1国のみの支配者となった。 |
| 晩年には長男茶々丸の廃嫡を諌めた関東執事上杉政憲を自害させた。 |
| また管領細川政元と連携して第10代将軍足利義材の廃立を計画するが、延徳3年(1491年)4月に自身が伊豆で病死したことによって挫折した。 |
| 墓所は静岡県三島市の宝鏡院内の足利義詮塚の傍らにある。 |
| その死から3ヵ月後には、堀越公方の跡継ぎをめぐって子の茶々丸と潤童子の間で内紛が起こり、伊勢宗瑞の伊豆侵入を招いた。 |
官歴
| 1457年(長禄元年)12月19日、堀越公方就任。 |
| 12月26日、還俗し、政知を名乗る。 |
| 同日、従五位下に叙し、左馬頭に任官。 |
| 1470年(文明2年)11月26日、従四位下に昇叙する。 |
| 1475年(文明7年)9月9日、従三位に昇叙。 |
| 1485年(文明17年)左兵衛督を辞任。 |
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1435年
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第6代将軍足利義教の次男として生まれる |
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1461年
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死去) |
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投票数
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足利政知さんについてのひとこと紹介
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