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小弓公方
対立
関東における足利氏(基氏流)の公方家のひとつ。下総国千葉郡小弓(現在の千葉市中央区生実・同緑区おゆみ野の一帯)に本拠地があったことから、その名があ... |
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古河公方
対立
室町時代後期から戦国時代にかけて、下総国古河(茨城県古河市)を本拠とした関東足利氏。享徳4年(1455年)、第5代鎌倉公方足利成氏が、享徳の乱の際に鎌倉... |
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足利政氏
戦国時代の武将。2代目古河公方(在位:1489年-1512年)。父は足利成氏。母は簗田直助の娘(伝心院)。 |
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足利義昭
室町幕府第15代将軍。(在職:永禄11年(1568年)-天正16年(1588年))。父は室町幕府第12代将軍・足利義晴。母は近衛尚通の娘・慶寿院。第13代将軍・足利義... |
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足利成氏
室町時代から戦国時代の武将。第5代鎌倉公方(1449年-1455年)、初代古河公方(1455年-1497年)。父は永享の乱で敗死した第4代鎌倉公方足利持氏。鎌倉公方就... |
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里見義堯
戦国時代の武将、安房の戦国大名。里見氏の当主。父は里見実堯、母は佐久間盛氏(正木通綱の同族で、三浦・正木とも称したという)の娘。正室は土岐為頼の娘... |
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足利高基
戦国時代の武将。3代目古河公方(在位:1512年-1535年)。足利政氏の長男。 |
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北条氏綱
戦国時代の武将、相模の戦国大名。なお、当初は伊勢氏を称しており、北条氏を称するようになるのは父の死後の大永3年(1523年)頃である。父の北条早雲は生涯... |
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足利義教
室町時代中期の室町幕府第6代将軍(在職:1428年-1441年)。3代将軍足利義満の3男。母は側室の藤原慶子で、4代将軍足利義持の同母弟。僧侶時代は義円、還俗直... |
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足利義氏
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足利義政
室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年-1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟... |
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足利義晴
室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第12代将軍(在職:1521年-1546年)。第11代将軍足利義澄の長男。母は日野永俊の娘で日野富子の姪。 |
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上杉憲寛
戦国時代の武将。関東管領。古河公方足利高基の次男。母は宇都宮成綱の娘瑞雲院。養父は上杉憲房。名は憲広、足利晴直、宮原晴直とも。 |
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足利義栄
室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第14代将軍(在職:永禄11年(1568年)2月-9月)。 |
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足利義持
室町幕府第4代将軍。父は3代将軍足利義満。母は安芸法眼の娘で側室の藤原慶子(ふじわらのよしこ)。 |
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足利義尚
室町時代後期の室町幕府第9代将軍(在職:1473年-1489年)。晩年に義煕と改名しているが、一般的には義尚の名で知られる。応仁の乱では、叔父の足利義視と将... |
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里見義弘
里見義弘(さとみよしひろ)は安房国の戦国大名。里見氏の当主。 |
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足利国朝
戦国時代、安土桃山時代の武将。足利氏の一門。小弓公方・足利義明の次男・足利頼純(喜連川頼純)の嫡男。母は佐野晴綱の娘。喜連川藩初代藩主・喜連川頼氏... |
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足利尊氏
鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。室町幕府の初代征夷大将軍(在職:1338年-1358年)。足利将軍家の祖。 |
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高城胤吉
高城胤吉(たかぎたねよし、文明16年(1484年)または文亀元年(1501年)?-永禄8年3月12日(1565年4月22日))は戦国時代の千葉氏の家臣。下総国小金城(現... |
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プロフィール
生涯
| 早くから出家し、鶴岡八幡宮若宮別当(雪下殿)空然(こうねん)として僧籍にあった。 |
| 父と兄が対立すると(永正の乱)、下野に移って宗済と改名し、その後還俗して名を足利義明と改め、上総国真里谷城主の武田信清の支援のもと、下総国小弓城を攻撃して千葉氏家臣の原胤隆・原虎胤・高城胤吉らを破って同城を占拠する。 |
| そして「小弓公方」を自称して古河公方と対立した。 |
| その後、対外政策で信清と対立し、信清が没すると真里谷武田氏の内紛に介入し、武田信隆を追放し武田信応を当主とした。 |
| 一方で信隆は高基とその子晴氏、そして相模の後北条氏と結び義明と敵対する。 |
| 天文7年(1538年)、義明は大軍を起こして下総国国府台に出陣し、北条氏綱と決戦を行った(第一次国府台合戦)。 |
| 義明は武勇に優れ、自ら陣頭指揮をとる奮戦ぶりで、一時は晴氏・氏綱軍に優勢だったが、里見義堯が消極的で軍の士気が上がらず、氏綱の反攻に遭って戦死した。 |
| 義明の死で小弓公方は滅亡したが、その子足利頼淳(頼純)は初めは里見義堯・義弘(義弘の正室青岳尼は義明の娘)、後に豊臣秀吉の庇護を受けて存続することができた。 |
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1538年
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義明は大軍を起こして下総国国府台に出陣し、... |
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