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足利義輝
室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第13代征夷大将軍(在職:1546年-1565年)。父は第12代将軍の足利義晴。なお、第10代将軍足利義稙の養子となった阿波公方... |
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足利義昭
室町幕府第15代将軍。(在職:永禄11年(1568年)-天正16年(1588年))。父は室町幕府第12代将軍・足利義晴。母は近衛尚通の娘・慶寿院。第13代将軍・足利義... |
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足利義維
室町幕府第11代将軍・足利義澄の次男。第10代将軍・足利義稙の養子。第14代将軍・足利義栄の実父。堺公方・平島公方と呼ばれた。生母は斯波氏。 |
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松永久秀
戦国時代の武将。大和国の戦国大名。官位を合わせた松永弾正(まつながだんじょう)の別名でも知られている。出身地は山城国とも播磨国ともいわれる。父は不... |
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足利義晴
室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第12代将軍(在職:1521年-1546年)。第11代将軍足利義澄の長男。母は日野永俊の娘で日野富子の姪。 |
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足利義澄
室町幕府第11代将軍。在任:明応3年12月27日(1495年1月23日)-永正5年4月16日(1508年5月15日)。父は8代将軍足利義政の異母兄である堀越公方足利政知。はじ... |
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堺公方
大永7年(1527年)から享禄5年(1532年)にかけて、堺の顕本寺を本拠にして京都はじめ畿内を支配した政権。室町幕府12代将軍・足利義晴を擁しながら敗れた管... |
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足利義稙
室町幕府第10代将軍。将軍在職は2つの時期に分かれており、一度目は延徳2年7月5日(1490年7月22日)から明応3年12月27日(1495年1月23日)まで在職する。約13... |
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徳川家茂
江戸幕府第14代征夷大将軍である。実父は第12代将軍徳川家慶の実弟であり、第13代将軍家定の従兄弟にあたる。将軍就任の前は徳川御三家紀州藩第13代藩主。初... |
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三好長慶
戦国時代の武将。畿内・阿波国の戦国大名。室町幕府の摂津守護代、相伴衆。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系・河内源氏の傍系・甲斐源氏・小笠原氏の庶流... |
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源実朝
鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍である。鎌倉幕府を開いた源頼朝の子として生まれ、兄の源頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は始め執権... |
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足利尊氏
鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。室町幕府の初代征夷大将軍(在職:1338年-1358年)。足利将軍家の祖。 |
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足利義尚
室町時代後期の室町幕府第9代将軍(在職:1473年-1489年)。晩年に義煕と改名しているが、一般的には義尚の名で知られる。応仁の乱では、叔父の足利義視と将... |
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足利義持
室町幕府第4代将軍。父は3代将軍足利義満。母は安芸法眼の娘で側室の藤原慶子(ふじわらのよしこ)。 |
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細川晴元
室町時代末期(戦国時代)の武将・戦国大名。細川氏本家京兆家当主。父は細川澄元、母は清泰院。正室は三条公頼の長女であり、その縁から武田信玄・本願寺法... |
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足利義満
足利義満(あしかがよしみつ)は室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年-1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。封号は日本国王。... |
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足利義助
堺公方足利義維(義冬)の次男。14代将軍足利義栄の弟。(一説には義栄の子)。2代目平島公方。 |
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足利義政
室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年-1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟... |
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西光
平安時代後期の官人・僧。後白河院の近臣。阿波国の豪族麻植為光の子で、中納言藤原家成の養子。俗名は藤原師光(ふじわらのもろみつ)。子に師高、師経、師... |
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足利義勝
室町時代中期の室町幕府第7代将軍(在任:1442年-1443年)。6代将軍足利義教の嫡男。生まれてすぐに政所執事伊勢貞国の屋敷で養育されたが、嘉吉元年(1441年... |
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プロフィール
足利義栄(あしかがよしひで)は、室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第14代将軍(在職:永禄11年(1568年)2月-9月)。
生涯
| 天文7年(1538年)、足利将軍家の一族で元堺公方・足利義維(平島公方)の長男として阿波国平島荘で生まれる(生年には天文9年(1540年)説もある)。 |
| 初名は義親(または義勝)。 |
| 永禄8年(1565年)、永禄の変で従兄の13代将軍足利義輝が三好三人衆・松永久秀に殺害されると、三好三人衆や松永久秀らによって、中風で将軍の任に堪えられないであろうとされた父、義冬の代わりに、将軍候補として擁立された。 |
| しかし同年11月から三人衆と久秀が権力抗争を開始すると、義親は12月に三人衆に強要されて久秀討伐令を出すことを余儀なくされた。 |
| 翌永禄9年(1566年)6月、三人衆方の篠原長房・三好康長らに擁されて淡路国に渡海、9月23日には摂津越水城に入城する。 |
| そして冬の12月5日には摂津富田の総持寺に、7日には普門寺に入った。 |
| さらに24日には従五位下左馬頭に任官許可が出され、翌永禄10年(1567年)1月5日に正式に叙任され、それと同じくして、名を義親から義栄と改名した。 |
| 11月、朝廷に対して将軍宣下を申請したが、朝廷の要求した献金に応じられなかったために拒絶された。 |
| 翌永禄11年(1568年)2月8日、三人衆の推挙により朝廷から第14代将軍として将軍宣下がなされ、将軍に就任した。 |
| しかし、三人衆と久秀の抗争が止まず、義栄自身が背中に腫物を患っていたため将軍に就任しても入京することは無かった。 |
| 永禄11年(1568年)9月、足利義昭(義輝の次弟)を織田信長が擁立して上洛してきたため、三人衆は畿内で信長に抗戦したが、敗れて畿内の勢力を失ったため阿波国に逃れた。 |
| 久秀は信長に臣従、障害がなくなった義昭は15代将軍に就任した。 |
| その直後、以前から患っていた腫物が悪化して病死した。 |
| 享年29(または享年31)。 |
| 没した月日は9月13日・9月30日公卿補任・10月1日重編応仁記・10月8日・10月20日、10月22日平島記・嶋公方阿波公方譜など諸説ある。 |
| また死去した場所も阿波のほかに淡路、摂津の普門寺など諸説ある。 |
| 義輝とは仲が悪かったという。 |
人物
| 室町幕府歴代将軍の中で唯一、本拠地のある京都に一度も足を踏み入れずに終わっている。 |
| 日本史上本拠地に入ること無く終わった将軍は、彼と徳川慶喜(大坂城で将軍に就任し、大政奉還で職を解かれた後に江戸城に入った)の2人しかいない。 |
| 主体性が無く、三好三人衆と松永久秀による完全な傀儡将軍であった。 |
| 三人衆と久秀の抗争の一因には、義栄を誰が擁立するかという理由もあったとされている。 |
| 阿南市立阿波公方・民俗資料館所蔵の『嶋公方・阿波公方譜』によると、阿波公方義冬の次代の阿波公方として記載がある。 |
| 義栄の木像は鑁阿寺蔵。 |
| それを模造した像が、阿南市立阿波公方・民俗資料館に所蔵、常設展示されている。 |
経歴
| 永禄9年(1566年)12月28日、従五位下に叙す。 |
| 永禄10年(1567年)1月5日、左馬頭に任官。 |
| 永禄11年(1568年)2月8日、征夷大将軍宣下。 |
| 禁色賜り、昇殿を許される。 |
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1538年
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足利将軍家の一族で元堺公方・足利義維(平島... |
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1565年
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永禄の変で従兄の13代将軍足利義輝が三好三人... |
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