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百済
古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年-660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅... |
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枕流王
枕流王(ちんりゅうおう、生年不詳-385年)は百済の第15代の王(在位:384年-385年)であり、先代の近仇首王の嫡子。母は阿爾夫人。384年4月に先王が死去し、... |
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百済王
百済王氏と古代日本 この本を 1 2 3 4 5 6 7 8 9 冊買う 10冊以上買う お困りの方 大坪 秀敏著 税込価格: (本体 : ) bk1ポイント倶楽部 : 60 ... |
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阿莘王
kotobank > 阿莘王とは 阿莘王 【あしんおう】 1件の用語解説(阿莘王で検索) Tweet デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説 阿莘王 あしん... |
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近仇首王
近仇首王(きんきゅうしゅおう、生年不詳-384年)は百済の第14代の王(在位:375年-384年)であり、諱は須。先代の近肖古王の子である。375年11月に先王の死... |
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応神天皇
第15代天皇(在位:応神天皇元年1月1日(270年2月8日)-同41年2月15日(310年3月31日))。諱は誉田別尊(ほむたわけのみこと)、大鞆和気命(おおともわけの... |
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東晋
中国の西晋王朝が劉淵の漢(前趙)より滅ぼされた後に、西晋の皇族であった司馬睿によって江南に建てられた王朝である(317年-420年)。西晋に対し史書では東... |
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神功皇后
仲哀天皇の皇后。『紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・『記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・大帯比売命(おおたらしひ... |
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故国壌王
高句麗の第18代の王(在位:384年-391年)。姓は高、諱は伊連(『三国遺事』王暦では伊速)、または於只支。『三国遺事』では国壌王と記される。先代の小獣林... |
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仁徳天皇
日本の第16代天皇(在位:仁徳天皇元年1月3日(313年2月14日)-同87年1月16日(399年2月7日))。古事記の干支崩年に従えば、応神天皇の崩御が西暦394年、仁... |
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奈勿王
コブスの中にあるコンテンツの単語とウィキペディアの中にある単語を結びつけるコンテンツです。リンクされたキーワードをクリックするとその意味を表示しま... |
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腆支王
腆支王(てんしおう、生年不詳-420年)は百済の第18代の王(在位:405年-420年)であり、先代の阿莘王の長子。『梁書』では余映(余は百済王の姓)、『日本書... |
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阿シン王
阿莘王(あしんおう、生年不詳-405年)は百済の第17代の王(在位:392年-405年)。『三国史記』百済本紀・阿莘王紀の分注には別名の阿芳王が伝えられ、『日本... |
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貴須王
kotobank > 貴須王とは 貴須王 【きすおう】 1件の用語解説(貴須王で検索) Tweet デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説 貴須王 きすおう... |
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金富軾
高麗の官僚・儒学者であり、慶州金氏という新羅王室に連なる門閥貴族である。朝鮮に現存する最古の歴史書である『三国史記』を編纂し、後に楽浪郡開国侯を賜... |
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孝武帝
孝武帝(こうぶてい)は東晋の第9代皇帝。簡文帝の第6子。372年、父の崩御により12歳で即位した。即位直後は年少であったことから重臣の謝安による補佐を受け... |
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肖古王
肖古王(しょうこおう、生年未詳-214年)は百済の第5代の王(在位:166年-214年)であり、先代の蓋婁王の子。『三国史記』百済本紀・肖古王紀の分注や『三国... |
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井上秀雄
愛知県生まれの歴史学者。東北大学、樟蔭女子短期大学名誉教授。専門は古代朝鮮史、日朝関係史。 |
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近肖古王
近肖古王(きんしょうこおう、生年不詳-375年)は百済の第13代の王(在位:346年-375年)であり、第11代の比流王の第2子。中国・日本の史書に初めて名の現れ... |
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奈勿尼師今
新羅の第17代の王(在位:356年-402年)であり、姓は金氏。『三国史記』に拠れば、分注に別名として那密(尼師今)を伝え、第13代味鄒尼師今の甥(父は仇道葛... |
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プロフィール
辰斯王(しんしおう、生年不詳-392年)は百済の第16代の王(在位:385年-392年)。第14代の 近仇首王の次男であり、先代の 枕流王の弟に当たる。諱・諡は『三国史記』には伝わらない。『三国史記』によれば、385年11月に先代の 枕流王が死去したときに太子(後の 阿莘王)が幼かったために、 辰斯王が王位についたとある。『日本書紀』には『百済記』の引用として「 枕流王の薨去の際に王子の阿花( 阿莘王)が年少であったので、叔父の辰斯が王位を簒奪した」 ...
治世
| 386年春には、15歳以上の国民を用いて関防(防衛用の長城)を築かせて北辺の高句麗に備えるとともに、同年夏4月には東晋から<使持節・都督・鎮東将軍・百済王>に封じられ、百済の伝統である「東晋~百済の連携で高句麗に対抗しようとする態勢」は整えられた。 |
| しかし、390年9月までは高句麗への侵略は成功しているものの、391年以降は高句麗・靺鞨の進入を受けて敗戦を続けた。 |
| 特に392年に高句麗の広開土王が4万の兵を率いて侵略してくると、漢水(漢江)以北の諸城はほとんど高句麗に奪われることとなった。 |
死
| 高句麗に漢水以北を奪われた後、在位8年にして392年11月に死去した。 |
| しかし、その死には不審な点が見られる。 |
| 『三国史記』百済本紀・辰斯王紀には、田猟に出たまま行方不明となって、翌月には薨去した(薨去したこととした?)『三国史記』百済本紀・辰斯王八年条:冬十月。 |
| 高句麗攻抜關彌城。 |
| と記し、『日本書紀』では百済の国臣が辰斯王を殺した『日本書紀』巻十・応神天皇三年(272年→392年)是歳条:百済辰斯王失礼於貴国天皇。 |
| 故遣紀角宿禰・羽田矢代宿禰・石川宿禰・木菟宿禰。 |
| 紀角宿禰等便立阿花為王而帰。 |
| と伝えている。 |
| また広開土王碑文には、辰斯王が死去した年の出来事として「百済、新羅はもともと高句麗の属民で、ずっと朝貢していた。 |
| しかるに、倭が辛卯の年(391年)以来海を渡ってやって来て、百済を破り、新羅を■■して臣民にしてしまった」『広開土王碑文』百残新羅舊是属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡(海)破百残■■新羅以為臣民(※碑文と『三国史記』の年紀には一年のズレがあることに留意)とあるのも併せて考えると、辰斯王の死には倭が何らかの圧力を加え関与した可能性が高いと考えられる。 |
参考文献
| 『三国史記』第2巻金富軾撰井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983ISBN4-582-80425-X。 |
| 『日本書紀』伴信友校訂岸田吟香他1883(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)。 |
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