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プロフィール

  • 辰野金吾 - Wikipedia

    辰野 金吾 (たつの きんご、1854年10月13日〈嘉永7年8月22日〉- 1919年3月25日) は、日本の武士、建築家である。工部大学校(のちの帝国大学工科大学、現在の東京大学工学部)卒業。工学博士、帝国大学工科大学学長、建築学会会長。設計の頑丈さから「辰野堅固」と呼ばれた。帝国大学では後進の指導にも励み、伊東忠太、長野宇平治、武田五一、中條精一郎、塚本靖、野口孫市、大沢三之助、関野貞らの人材を輩出した。帝国大学総長渡邉洪基(渡辺洪基) の意向を受け、工手学校 (工学院大学) の創立(明治20年)を推進し、運営にも尽力した。東大仏文科で小林秀雄、三好達治らを育てたフランス文学者・辰野隆は息子である。
    引用元: 辰野金吾 - Wikipedia

  • 辰野金吾

    辰野金吾 たつの きんご TATSUNO Kingo 1854-1919 肥前国唐津の裏坊主町(現在の佐賀県唐津市)に生まれる。 日本の建築学の基礎を築き、社会に信頼される建築を目指した、日本人最初の建築家。 経歴と業績 唐津藩の下級武士・姫松家の次男に生まれ、1868年父の実弟の辰野家の養子となる。1870年藩が新設した英語学校に入り、高橋是清に師事。1879年工部大学校造家学科卒業。同学科ではイギリス人のJ. コンドルらに師事。翌年イギリスに官費留学を命ぜられ、ロンドン大学やW. バージェスの設計事務所で学ぶ。1883年帰国し、工部省営繕課勤務。1884年工部大学校教授就任。1886年辰野建築事務所を開設。同年帝国大学工科大学設立とともに、同教授就任。同年造家学会設立、副会長。1898年工科大学長就任。1902年工科大学を辞し、翌年辰野葛西建築事...
    引用元: 辰野金吾

  • 辰野金吾

    辰野金吾 たつの きんご TATSUNO Kingo 1854-1919 肥前国唐津の裏坊主町(現在の佐賀県唐津市)に生まれる。 日本の建築学の基礎を築き、社会に信頼される建築を目指した、日本人最初の建築家。 経歴と業績 唐津藩の下級武士・姫松家の次男に生まれ、1868年父の実弟の辰野家の養子となる。1870年藩が新設した英語学校に入り、高橋是清に師事。1879年工部大学校造家学科卒業。同学科ではイギリス人のJ. コンドルらに師事。翌年イギリスに官費留学を命ぜられ、ロンドン大学やW. バージェスの設計事務所で学ぶ。1883年帰国し、工部省営繕課勤務。1884年工部大学校教授就任。1886年辰野建築事務所を開設。同年帝国大学工科大学設立とともに、同教授就任。同年造家学会設立、副会長。1898年工科大学長就任。1902年工科大学を辞し、翌年辰野葛西建築事...
    引用元: 辰野金吾

  • 辰野金吾 - Yahoo!百科事典

    辰野金吾(たつのきんご) [ 日本大百科全書 ( 小学館 ) ] (全2件) (1854―1919) 明治・大正時代の 日本建築 界の 元勲 とされる。安政(あんせい)元年 8月 22日、唐津(からつ)藩(佐賀県)に下級武士の次男として生まれる。 工学 寮を経て1879年(明治12) 工部大学校 造家学科(現 東京大学 建築学科)第1回生として首席で卒業。翌年、 イギリス 留学を命じられ1883年帰国、1884年から工部大学校に日本建築の講座を設けて担当する。以来、近代日本の建築界を指導し、数多くの建築家を育成したほか、教育界、建設界にも業績を残している。1898年 帝国大学 工科大学長となり1902年(明治35)退官。建築 学会 会長、 議院 建築調査会委員を歴任したほか、辰野葛西(かさい)建築事務所(東京)、辰野 片岡 建築事務所(大阪)を開設、日本銀行本店、 東京駅 、旧両国 国技館...
    引用元: 辰野金吾 - Yahoo!百科事典

  • 安田工業株式会社-辰野金吾-

    辰野金吾博士は東京駅や日本銀行本店など日本を代表する建築物を数多く手掛け、明治期を中心に活躍した建築家です。博士は1854年、佐賀に生まれ、現在の東京大学の前身にあたる、工部大学校でコンドルに師事しました。卒業後イギリスに留学、帰国した後の1884年(明治17年)東京大学の教授になりました。 博士が初期の頃の建物はヨーロッパそのものの古典主義様式が多く、1896年(明治29年)に完成された日本銀行本店は、その代表作と言われています。 その後、東京大学工科大学長を経て、1902年に退官、その後辰野葛西設計事務所を設立しました。"民"の立場から活躍を始め、矢継ぎ早に明治期を代表する建物を建て、全盛期を迎えています。 その後、博士は1909年に両国国技館、1911年に浅草国技館、1913年に百三十銀行小倉支店など多くの建築物を手掛けてゆき、1914年(大正3年)、中央停車場(現、東京駅)を...
    引用元: 安田工業株式会社-辰野金吾-

  • 辰野金吾

    辰野金吾 (たつのきんご) 建築家 1854〜1919 唐津市出身 近代日本建築界の進歩・発展に貢献した。 嘉永7年(1854)8月22日 唐津藩士姫松家の第2子として出生 明治元年(1868) 藩校「志道館」、唐津藩英語学校入学 辰野家へ養子入り 明治6年(1873) 上京 工部省工学寮(現東大工学部)入学 明治12年(1879) 工部大学校造家学科卒業 工学博士 明治13〜16年(1880-1883) ロンドン留学及びフランス、イタリアで研修 明治17年(1884) 工部大学校教授 明治31年(1898) 東京帝国大学工科大学長 明治36年(1903) 東京に建築事務所開設 明治38年(1905) 大阪に建築事務所開設 大正8年(1919) 逝去 享年65歳 主な建築物 日本銀行本店 東京駅 日本銀行大阪支店 大阪中央公会堂 日本生命九州支店 武...
    引用元: 辰野金吾

  • 辰野金吾 | 近代日本人の肖像

    辰野金吾 たつの きんご 安政元年8月22日〜大正8年3月25日(1854〜1919) 写真1:工学博士辰野金吾伝 白黒 ; 16.3×11.3cm 佐賀生まれ。建築家。父は唐津藩士。明治12年(1879)に工部大学校造家学科第1期生として卒業、翌年イギリスに留学しロイヤル=アカデミー=アーツなどで建築設計を学ぶ。16年(1883)帰国、翌17年(1884)工部大学校(後に東京大学工科大学)教授となり、35年(1902)まで建築設計の教育にあたる。退官後は36年(1903)葛西万司と辰野葛西建築事務所、38年(1905)片岡安と辰野片岡建築事務所を創立し、もっぱら民間の建築家として活動。現存する代表作に日本銀行本店、東京駅などがある。 キーワード 学者 著作等(近代デジタルライブラリー収載) 用器画法. [ 1 ], [ 2 ], [ 3 ], [ 4 ] / ...
    引用元: 辰野金吾 | 近代日本人の肖像

  • 辰野金吾

    辰野金吾 たつのきんご [辰野金吾] 1854年~1919年 唐津藩士(佐賀県)の次男として生まれ,工部大学校(現・東京大学工学部)を第一回生として卒業した後,ロンドン大学で学んだ明治・大正期の建築家。代表作として日本銀行本店,旧国技館,東京駅,奈良ホテルなどがあるが,辰野が得意とした赤煉瓦に白い石を帯状に巡らせるデザインは,ヴィクトリアン・ゴシックに影響を受けたもので,「辰野式」とも称される。工学博士,東京帝国大学工科大学学長,建築学会々長。 Amazon.co.jpの商品一覧 東京駅の建築家 辰野金吾伝 (2310円 Used: 1200 円~) 大阪今昔散歩 (中経の文庫) (690円 Used: 400 円~) 現代建築家99 (新書館ハンドブック・シリーズ) (2100円 ) さらに商品を検索する
    引用元: 辰野金吾

  • 辰野金吾とは - はてなキーワード

    辰野金吾 たつのきんご ( アート ) 編集 注目の求人情報 [求人] 住友不動産販売株式会社への正社員転職 募集内容:営業職(不動産の売買仲介業務) [求人] 株式会社メイジンへの正社員転職 募集内容:【被災者のための求人】施工管理(建築、空調/衛生/電気設備) 転職ならリクナビNEXT 言及数のトレンド 今週の言及数: 1 件 (27,719位) 今週のPV: 78 (30,794位) グラフで詳しく見る 目次 辰野金吾とは 主な作品 含むブログ 新着エントリー 含むキーワード 注目キーワード 震度5弱 松井大輔 津波注意報 不要 実用 カルパッチョ 特産 もっと見る 明治 ・大正期の 建築家 。 安政 元年8月22日(西暦1854年10月13日)生まれ、 大正8年( 1919年 )3月25日没。 建築家 。 明治...
    引用元: 辰野金吾とは - はてなキーワード

  • 辰野金吾 - 辞書すべて - goo辞書

    「辰野金吾」で始まる言葉 - 辞書すべての検索結果 すべて 国語 類語 英和 和英 中日 日中 国語辞書 の検索結果 1~1 / 全1件 たつの‐きんご【辰野金吾】 [1854~1919]建築家。佐賀の生まれ。英国に留学。明治から大正の建築界に指導的役割を果たし、日本建築学会会長などを歴任。作品に日本銀行本店旧館・東京駅などがある。 Wikipedia記事検索 の検索結果 1~1 / 全1件 辰野金吾 辰野 金吾 (たつの きんご、1854年10月13日〈嘉永7年8月22日〉- 1919年3月25日) は、日本の建築家である。 「辰野金吾」の使用例を検索する ソーシャルブックマークに追加:
    引用元: 辰野金吾 - 辞書すべて - goo辞書

  • 辰野金吾とは - 近代日本人の肖像 Weblio辞書

    辰野金吾 たつの きんご 写真 1: 工学博士 辰野金吾伝 白黒 ; 16.3×11.3cm 安政元年 8月22日 ~ 大正8年 3月25日 ( 1854 ~ 1919 ) 佐賀 生まれ 。 建築家 。父は 唐津藩 士。 明治12年 (1879)に 工部大学校 造 家学 科第 1期生として 卒業 、 翌年 イギリス に 留学 し ロイヤル=アカデミー = アーツ などで 建築 設計 を学ぶ。 16年 (1883) 帰国 、翌 17年 (1884) 工部大学校 (後に 東京大学 工科大学 ) 教授 となり、 35年 (1902)まで 建築 設計 の 教育 にあたる。 退官 後は 36年 (1903) 葛西万司 と 辰野 葛西 建築 事務所 、 38年 (1905) 片岡安 と 辰野 片岡建 築 事務所 を 創立 し、 もっぱら 民間 の 建築家 として 活動 。 現存 する 代表作 ...
    引用元: 辰野金吾とは - 近代日本人の肖像 Weblio辞書

  • ふるさとの先人たち 辰野金吾

    辰野金吾は1854(嘉永7)年8月22日、唐津藩の下級武士・姫松家の次男に生まれた。1868(明治元)年父の実弟の辰野家の養子となる。1870年、藩の英語学校に入学。教師は高橋是清で、1872年に高橋が帰京すると辰野も東京へ出た。 1873年、工部省工学寮へ入学。1877年、工学寮は工部大学校と改称し、25歳のジョサイア・コンドルが教授として着任すると、構造や材料学中心の講義にデザインなどが加えられ、芸術教育へと転換した。辰野は1879年11月、工部大学校造家学科を首席で卒業。首席卒業者は官費留学が約束されており、翌年2月8日には辰野を含む各科の首席卒業生10名が、横浜から出航した。 ロンドンでは、ロンドン大学の建築過程および美術過程で学ぶ傍ら、キューピッド建築会社に5ヶ月、ついで建築家ウイリアム・バージェスの事務所の研修生として建築の実務を学ぶ。1882年にはロンドンを発ち、フラン...
    引用元: ふるさとの先人たち 辰野金吾

  • 建築・インテリア 専門学校 | 日本工学院北海道専門学校

    日銀小樽支店 の 設計者 である 辰野金吾氏 について述べます… 日銀小樽支店に展示されている辰野金吾の紹介と、小樽支店の図面です。 辰野金吾はジョサイア・コンドル先生から学んだ東大工学部の前身・工部大学校造家学科 (建築学科) 第1期卒業生4人のうちの1人です。彼は、明治・大正期の代表的な建築家であり、帝国大学工科大学学長、建築学会会長を歴任しています。 彼の設計の特徴である建物の頑丈さから「辰野堅固」とも呼ばれていたようです。また彼は帝国大学 (現:東京大学) で後進の指導にも励み、多くの弟子たちを育てています。 建築家としては、日銀本店を設計するなど、各地の日銀の建物を設計しています。辰野は日銀本店を造る前、モデル探しにヨーロッパを旅行しています。その時に最も気に入ったのがベルギー・ブリュッセルの中央銀行だったようです。この建物は外国軍の攻撃を想定したという堅牢 (けんろう) な要...
    引用元: 建築・インテリア 専門学校 | 日本工学院北海道専門学校

  • FABRICA: 辰野金吾

    辰野金吾は上京する前に唐津藩で英語を学んでいますが、 そのときの教師が高橋是清(ちなみに同級生は曽禰達蔵)。 上京した2人は高橋是清の勧めあり、工学寮(後の工部大学校)に入学。 その後、銀山で失敗した高橋是清は、日銀総裁、川田小一郎の勧めで 日銀本館プロジェクトの事務員として入社。 かつての教え子、辰野の元で働くことになる。 総石造りを主張する川田総裁に対し、2、3階部分を煉瓦造りにし、 花崗岩を貼り付けるという案を出したのも高橋是清だという。 また、慣れない花崗岩に時間がかかっていたところ、 石工の親方4人を東西南北にふりわけ、早くできた組に報奨金を出す と言って競争させたのも高橋是清だった。 その後、高橋是清は日銀総裁、大蔵大臣に就任、二・二六事件で暗殺されます。
    引用元: FABRICA: 辰野金吾

  • 辰野金吾 建築で国家を変えようとした男 〜近代化建築探訪 WPO.jpn

    辰野金吾(たつの・きんご) ●現存する建築 日本銀行本店 日本銀行大阪支店 日本銀行京都支店 山口銀行京都支店 奈良ホテル 日本生命九州支店 唐津銀行本店 加島銀行池田支店 ●現存しない主な建築 唐津出身の明治を代表する建築家。曾禰達蔵・片山東熊・佐立七次郎とともにジョサイア・コンドルのもと建築を学ぶ。工科大学を主席で卒業する。その後,多くの建築家を育てる。西に辰野片岡設計事務所,東に辰野葛西設計事務所を開設し多くの建築物を手がけた。赤レンガに花崗岩の独特な建築様式は辰野式と呼ばれている。西洋に追いつけと時代の中,翻弄されながらも頑固な意志で
    引用元: 辰野金吾 建築で国家を変えようとした男 〜近代化建築探訪 WPO.jpn

  • 辰野金吾

    辰野 金吾 (たつの きんご、 1854年 10月13日 ( 嘉永 7年 8月22日 ) - 1919年 3月25日 ) は明治・大正期の 建築家 である。 工部大学校 (のちの帝国大学工科大学、現在の 東京大学 工学部 )卒業。工学博士、帝国大学工科大学学長、 建築学会 会長。設計の頑丈さから「辰野堅固」と呼ばれた。帝国大学では後進の指導にも励み、 伊東忠太 、 長野宇平治 、 武田五一 、 中條精一郎 、 塚本靖 、 野口孫市 、大沢三之助、 関野貞 らの人材を輩出した。
    引用元: 辰野金吾

  • 幕末・明治の肥前 こぼれ話:辰野金吾

    辰野金吾 2006年07月13日 武雄の建造物 東京駅の設計で知られる辰野金吾は(安政元)唐津に生まれ、1870年(明治3)には藩の英語学校に学んだそうです。 唐津は佐賀県なので、佐賀藩の英語学校致遠館かと思いましたが、1871年(明治4年)に開校された、唐津藩藩校『英学寮耐恒寮』のようです。ここの英語教師には高橋是清を迎えています。 ここで学んだ後、辰野金吾は上京し、工部大学校(後の東京大学工学部)の1期生となります。 卒業後はイギリスに留学し、工学博士となります。 代表作の東京駅は大正3年(1914)に竣工です。 佐賀にはほぼ同じ時期に辰野金吾によって設計された武雄温泉楼門及び新館があります。 武雄温泉も、もっと曲線的な重厚な感じの設計だったそうですが、現在の形のように妥協されたのだそうです。 当初、楼門は3つ作る予定だったのですが、結局1つだけ建てられています。 ところで、東京駅はコ...
    引用元: 幕末・明治の肥前 こぼれ話:辰野金吾

  • 天見温泉 南天苑 南天苑本館建物『辰野金吾設計説』

    南天苑本館建物『辰野金吾設計説』 辰野金吾(たつの・きんご) 〔1854(安政1)〜1919(大正8)〕明治・大正期の建築家。辰野隆の父。肥前(佐賀県)出身。工部大学校(東大)卒。英人コンドルに学び、イギリスに留学後、1884(明治17)東大に日本建築の講座を設け、'98東大工科大学長。1902退官し、翌年、辰野葛西建築事務所を創立。'05大阪辰野片岡建築事務所を創立。建築学会会長もつとめた。明治期建築界の開拓者・指導者である。主建築に1896日本銀行本店、1914(大正3)東京駅がある。 【コンサイス日本人名事典】 私自身… 南天苑の建物に関する来歴は、昔を知る一部の方々からの、口頭による伝承でしか聞き及んでいなかったのです。私が記憶するところでは、先代である父親から、「堺大浜の汐(潮)湯が昭和9年(1934)の室戸台風で倒壊したため、その材料を使い、そっくりそのままの形で、翌、昭和10...
    引用元: 天見温泉 南天苑 南天苑本館建物『辰野金吾設計説』

  • 安田工業株式会社-辰野金吾について(西村文利氏のコメント)-

    ■ 日本のレンガ造の開拓者"辰野金吾"博士ついて 辰野金吾氏は1854年、佐賀県に生まれ、東京大学の前身にあたる、工部大学高に学びコンドルに師事しました。卒業後イギリスに留学。帰国後の1884年(明治17年)東京大学の教授になりました。 初期の頃の氏は、ヨーロッパそのものの古典主義様式の建物が多く、1896年(明治29年)に完成された日本銀行本店は、その代表作と言われています。 その後、東京大学工科大学長を経て、1902年退官後、辰野葛西建設事務所を設立し、"民"の立場から活躍を始め、矢継ぎ早に明治期を代表する建物を建て、最盛期を迎えています。 この当時から、"日本のレンガ積造"を模索し始め、ヨーロッパ流の壁の厚さに頼る、"壁中心構造"から、柱を多用し、壁厚を薄くする"柱中心構造"に変化しています。 そして、この建物を造った1912年頃には、構造用の壁厚は、レンガを二丁半使っ...
    引用元: 安田工業株式会社-辰野金吾について(西村文利氏のコメント)-

  • 辰野 金吾

    辰野 金吾 (たつの きんご) 1854年(安政元年) - 1919年(大正8年) 明治・大正期の建築家。 工部大学校(現・東京大学工学部)卒業。 工学博士、東京帝国大学工科大学学長、建築学会会長。 設計の頑丈さから「辰野堅固」と呼ばれた。 東京帝国大学では後進の指導にも励み、伊東忠太、長野宇平治、武田五一、中条精一郎、塚本靖、野口孫市、大沢三之助、関野貞らの人材を輩出した。 略歴 1854年(安政元年) 肥前国(現在の佐賀県)唐津藩の下級藩士、姫松蔵右衛門 オマシの次男として生まれる。 姫松家は足軽よりも低い家格であった。 1868年(明治元年) 叔父の辰野宗安の養子となる 1873年(明治6年) 工部省工学寮(のち工部大学校、現在の東大工学部)に第一回生として入学 2年終了後、造船から造家(建築)に転じる 1877年(明治10年) ロンドン出身のジョサイア・コンドルが...
    引用元: 辰野 金吾

  • kougen6

    第6回 ゆかりの東京駅で辰野金吾を見てきた 今年の夏は暑く、毎日 34 、 35 度の日が続き腕に汗疹をつくりながら仕事をしてきたが、9月も中頃を過ぎると、秋色の風が心の中から身体に心地よい思いをさせてくれるようになってきます。この頃になると各方面にいろいろな展覧会が催されるようになる。 今年は先に女性の建築家の回顧展があり、今回は辰野金吾展が彼ゆかりの東京駅・北口で開かれました。 辰野金吾といえば日本の建築界の草分け的存在であり、西洋建築を得意としたことで知られています。そもそも彼が西洋建築を始めたきっかけは、明治政府が西洋建築を日本に取り入れるため、イギリスから若き建築家のジョサイア・コンドルを招いたことから始まるのです。 現在の東大建築科の前身である工部大学でコンドルに建築学を学んだことから西洋建築に興味を持ち、工部大学を首席で卒業した後、イギリスへ留学しています。 彼の代表作は、な...
    引用元: kougen6

  • ds-72-2

    設計は、辰野葛西事務所。この事務所は、名のとおり、辰野金吾と葛西万司が主催する建築設計事務所で、本邦最初期のもので明治36年(1903年)に設立。辰野は前年に帝国大学工科大学学長を辞している。参考に辰野金吾の経歴に触れると、嘉永7年(1854年)佐賀県唐津市のごく貧しい唐津藩士族の出で、艱難辛苦の末、工部大学(東大の前身)の一期生として入学し、後英国に留学し、3年余ロンドン大学で建築を専攻した。生活費の工面もかねて、ロンドンの建築設計事務所などでアルバイトをするなどした。その間、パリ、ローマ、アムステルダムなどを見学している。帰国後コンドル(英国人で工部大学教授・辰野の恩師)の後を継いで、工部大学教授に就任、造家学会(後の建築学会)を設立し学会長を努めるなど、日本の近代建築の創始者の代表格である。一期の同期生として、曾根達蔵(同じく唐津藩出身で辰野の 2 歳年長で子供の頃より兄貴分的な存...
    引用元: ds-72-2

  • 佐賀のがばい観光戦略!セカイカメラで辰野金吾展|日経BP社 ケンプラッツ ...

    今回の建設IT注目情報 〜辰野金吾「セカイカメラ」回顧展〜 iPhoneなどの高機能携帯電話のカメラを通じてのぞいた現実空間に、写真や文章、音などをリンクできる「 セカイカメラ 」というアプリが人気を集めています。 佐賀県 武雄市 と ソフトバンクテレコム 、 頓智・ (トンチドット)は、このセカイカメラを使って ナ、ナ、ナ、ナ、ナント、 「日本近代建築の父」と呼ばれる建築家、 辰野金吾の回顧展 を開催することになったのです。 この 辰野金吾「セカイカメラ」回顧展 は、2010年10月13日から11年3月31日まで開催されます。辰野氏が設計した建物や、既に取り壊された建物の跡地など全国約50カ所に、回顧展専用の「サガシテエアタグ」を設置し、辰野氏や建物についての詳細情報が見られるようにします。 辰野金吾は佐賀県唐津市出身で、武雄市のシンボルである武雄温泉楼門のほか、東京駅や日本銀行本...
    引用元: 佐賀のがばい観光戦略!セカイカメラで辰野金吾展|日経BP社 ケンプラッツ ...

  • 辰野金吾 とは - コトバンク

    辰野金吾 【たつの・きんご】 4件の用語解説(辰野金吾で検索) Tweet 朝日日本歴史人物事典 の解説 生年:嘉永7.8.22(1854.10.13) 没年:大正8.3.25(1919) 明治 大正 期の代表的 建築 家。建築 教育 にも大きな足跡を残した。唐津藩(佐賀県)藩士姫松倉右衛門の 次男 。唐津生まれ。明治1(1868)年, 辰野 宗安の 養嗣子 となる。同5年,出京。 翌年 , 新た に 設立 された工部省工学寮に 入学 した。ここで,お雇い外国人 教師 コンドル の 指導 を受ける。12年,工部 大学 校(工学寮の 名称 変更 )の第1回 卒業生 として 卒業 。造家学科の卒業生4名の中の首席であった。留学を申し付けられ,13年, ロンドン に出発,同地のバージェス建築 事務所 などで建築を研修, フランス ,イタリアを回って16年に帰国。同年,工部省に奉職...
    引用元: 辰野金吾 とは - コトバンク

  • 辰野金吾と唐津 東京駅の建築家 辰野金吾伝 幕末パノラマ館: 偉人図書館 ...

    この曾禰達蔵を重要な役柄として、『東京駅の建築家 辰野金吾伝』の「1 唐津」は語り出されます。徳川幕府の老中として活躍した小笠原長行は唐津藩の藩主で、新撰組副長・土方歳三が戦死した函館の戦いまで反政府軍と行動をともにします。 この本ではそこまで語られてはいませんが、佐賀藩出身の副島種臣は岩倉具視と計って、上の東北での戦いに兵士を集めて新政府側として参加しています。新政府に重きをなす佐賀藩に対して、唐津藩の一部の人々は敵側にあたり(国元は新政府に恭順した)、維新後の唐津藩は苦境にありました。 『東京駅の建築家 辰野金吾伝』は、その唐津から誕生した明治初期を代表する二人の建築家である辰野金吾と曾禰達蔵の物語です。 老中の小姓で戊辰戦争における反政府軍の生き残りである曾禰、下級侍の出身で粗野な面を持つ二歳年少の姫松金吾(辰野家の養子になった)。この小説では、曾禰を尊敬し憧憬する金吾と彼を...
    引用元: 辰野金吾と唐津 東京駅の建築家 辰野金吾伝 幕末パノラマ館: 偉人図書館 ...

  • 辰野金吾小伝

    東京駅を設計した辰野金吾は、嘉永7年(1854)8月22日に今の佐賀県唐津市で生まれました。明治3年、17歳 の時に藩の英語学校に入学。教師は高橋是清で、同級生に曾彌達蔵がいました。明治5年に高橋是清が帰京する と曾彌も辰野も相次いで上京します。徒歩と船を乗り継ぎ、横浜〜新橋間は開通したばかりの鉄道を利用、それでも 唐津から12日間の長旅でした。
    引用元: 辰野金吾小伝

  • 建築物紹介:その8「日本銀行小樽支店」 | 辰野金吾『セカイカメラ』回顧 ...

    今日は、辰野金吾博士の建築物紹介の第8回! 「日本銀行小樽支店 (現在:日本銀行旧小樽支店金融資料館)」 の紹介です。 日本銀行旧小樽支店は、1912(明治45)年7月に建てられました。 辰野金吾博士の設計というと、赤煉瓦に白の花崗岩のラインの外壁を思い浮かべますが、この建物は煉瓦の表面にモルタルを塗り石造り風に仕上げてあります。屋根には5つのドームが置かれています ここは、小樽支店の窓口として使われていたところです。大理石が使用されているそうです。 床から天井までの高さは、 約10.5m もあります。 また、内壁に12体、外壁に18体のシマフクロウの像があります。 アイヌの守神シマフクロウをモチーフにしたとされています。 手すり部分もひとつひとつおしゃれですね 2003年5月から現在までは、 金融資料館 として一般市民に公開されています。この金融資料館では、建築当時の図面から、上棟式のお...
    引用元: 建築物紹介:その8「日本銀行小樽支店」 | 辰野金吾『セカイカメラ』回顧 ...

  • 大成建設 | ライブラリー - 相撲好きの建築家[日本近代建築の父・辰野金吾(3)]

    建築家・辰野金吾は無類の相撲好きだったらしい。 辰野の代表作・日本銀行は、お雇い外国人に代わって初めて日本人建築家が行った国家的プロジェクトである。その堅固な城塞にも似た日本銀行を見て、「相撲取りが仕切をしているようだ」という友もいた。古典様式を守る辰野の生真面目さが、建物全体に緊張感を醸していたのだ。そして、日銀建築を縁の下で助けた大蔵省事務官は、誰あろう、かつての師・高橋是清であったというから、人の縁は面白い。 辰野は、その記念すべき竣工日には毎年、一族郎党を集めて大宴会をやり、締めに、庭につくった土俵に出ると、日銀に向かって土俵入りしたという話もある。 明治三十一年、辰野は日本建築学会会長、東京帝国大学工科大学学長となり、日本建築界の旗手として前途は洋々と広がっていた。 にもかかわらず、辰野は突如として野に下った。自営建築家になる道を選んだのだ。五〇歳からの再挑戦はやがて東京駅の設計...
    引用元: 大成建設 | ライブラリー - 相撲好きの建築家[日本近代建築の父・辰野金吾(3)]

  • ASAI(AIP26)jury

    イメージ画像:東京駅/辰野金吾作 THE JURY 審査員紹介 安田 幸一 建築家、東京工業大学大学院教授、安田アトリエ主宰 1958年神奈川県生まれ。1983年東京工業大学大学院修士課程修了 1983〜2002年日建設計勤務1988〜1990年バーナード・チュミアーキテクツ・ニューヨーク勤務、 1989年にイェール大学大学院修士課程を修了。 「ポーラ美術館」で日本建築学会賞を受賞。 「東京工業大学緑が丘1号館レトロフィット」「ポーラ銀座ビル」などの建築作品がある。 2002年から東京 工業大学大学院にて教鞭をとり安田アトリエを主宰。 著書 1992年 ニューヨーク・モダンリビング:都市に住む建築家達、丸善出版 2001年 篠原一男編、篠原一男経由東京発の東京論(共著)、鹿島出版会 2002年 策あり!...
    引用元: ASAI(AIP26)jury

  • 歴史|辰野金吾監修による旧唐津銀行 佐賀県唐津市

    明治45年(1912年)に竣工した旧唐津銀行本店。 その誕生は、東京駅を生んだ唐津出身の建築家「辰野金吾」が、唐津近代産業の牽引役であった藩校の同級生「大島小太郎」より依頼を受けたことから始まる。建築家として最盛期を迎えていた辰野は、永年の夢であった国家プロジェクト「東京駅」設計工事の真っ只中であったため、唐津銀行の設計を愛弟子の「田中実」に委ねた。田中は、師匠の故郷であることに配慮し、建築全体のデザインには典型的な「辰野式」を採用するとともに、「建築家田中実」として赤レンガ調タイル等を用いた独自のデザインを取り入れた。まさに、辰野と田中の師弟愛から生まれた共作であった。 竣工当時、辰野金吾57歳、田中実27歳。 日本初の建築家として夢へ挑み続け、その生きざまを郷土へ遺すことを最愛の弟子に託した辰野。師匠の故郷を前に、崇高な使命感と強い意志で臨んだ田中。おのおのの情熱から、旧唐津銀行の...
    引用元: 歴史|辰野金吾監修による旧唐津銀行 佐賀県唐津市

  • 辰野金吾 - Wikipedia

    辰野金吾 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: 案内 , 検索 辰野金吾 建築學會発行「建築雑誌1919年12月号」より 人物情報 国籍 日本 生誕 1854年 10月13日 肥前国唐津(現・ 佐賀県 唐津市 ) 死没 1919年 3月25日 (満64歳没) 東京府東京市赤坂区(現・ 東京都 港区 ) 母校 工部大学校 所属組織 辰野葛西事務所 辰野片岡事務所 業績 建築物 日本銀行本店 東京駅 デザイン 歴史主義建築 辰野 金吾 (たつの きんご、 1854年 10月13日 〈 嘉永 7年 8月22日 〉- 1919年 3月25日 ) は、 日本 の 建築家 である。 工部大学校 (のちの帝国大学工科大学、現在の 東京大学 工学部 )卒業。工学博士、帝国大学工科大学学長、 建築学会 会長。設計の頑丈さから「辰野...
    引用元: 辰野金吾 - Wikipedia

  • 辰野金吾 - 百科事典ディスマス

    辰野金吾 建築學會発行「建築雑誌1919年12月号」より 人物情報 国籍 日本 生誕 Template:Safesubst: 1854年 10月13日 Template:Safesubst:肥前国唐津(現・ 佐賀県 唐津市 ) 死没 1919年 3月25日 Template:Safesubst:東京府東京市赤坂区(現・ 東京都 港区 )Template:Safesubst: 母校 工部大学校 業績 所属組織 辰野葛西事務所 辰野片岡事務所 建築物 日本銀行本店 東京駅 デザイン 歴史主義建築 辰野 金吾 (たつの きんご、 1854年 10月13日 〈 嘉永 7年 8月22日 〉- 1919年 3月25日 ) は、 日本 の 建築家 である。 工部大学校 (のちの帝国大学工科大学、現在の 東京大学 工学部 )卒業。工学博士、帝国大学工科大学学長、...
    引用元: 辰野金吾 - 百科事典ディスマス

  • 詳細情報 (図書)

    タイトル 東京駅の建築家辰野金吾伝 人名 東 秀紀/著 出版者 講談社 出版年月 2002年09月 ページ数,サイズ,価格 478p,20cm,¥2200 ISBN 4-06-211362-7 分類(NDC) 913.6 件名 辰野金吾−小説 辰野 金吾 注記等 内容紹介: 唐津藩から上京、明治時代に英国へ渡り、建築学を学んだ辰野金吾。日本銀行、東京駅を作った男の極めて人間味あふれる美意識と生き方を探る書き下ろし長篇。 利用対象 般
    引用元: 詳細情報 (図書)

  • 辰野 金吾 / 全国名前辞典

    辰野 金吾 たつの きんご 1854(嘉永 7. 8.22) 1919. 3.25(大正 8) ◇日本近代建築の先覚者。肥前国唐津藩の足軽同然の下級士族 の子。辰野隆(ユタカ)の父。 城下の私塾の塾頭の時に明治維新を迎える。唐津藩が開いた 英学校で都落ちしていた英学教師高橋是清に学ぶ。高橋が新政 府に呼び戻されると、後を追って上京し外人住宅でボーイをし て英語を学ぶ。 工部寮(東京大学)に補欠で入学し、コンドル(鹿鳴館設計者) に建築を学び、1879(明治12)工部省派遣留学生としてイギリス に留学。フランス・イタリアを回り1883(明治16)帰国。 1884(明治17)工部大学造家学科教授・1886(明治19)工科大学 (工部大学の後身)建築学科教授・1898(明治31)東京大学工科大 学学長を歴任。 1902(明治35)退官し、翌年辰野葛西建築事務所を創立、1905 (明治38)大阪辰...
    引用元: 辰野 金吾 / 全国名前辞典

  • 辰野金吾セカイカメラ回顧展 その1

    東京駅などを設計した明治時代を代表する建築家辰野金吾によって日本銀行京都支店として、1906年(明治39年)に建てられました。建物は煉瓦造で、2階建、一部地下1階、スレート(粘板岩)・銅板葺です。また、外観は三条通に面して左右対称で、赤煉瓦に白い花崗岩を装飾的に配していて、現代建築にはないデザインが印象的です。1969年(昭和44年)に国の重要文化財に指定されています。現在では、京都の歴史や文化を紹介する京都文化博物館の別館として、建物そのものを見てもらえるほか、ホール部分では音楽会や展示会なども行なう文化施設となっています。
    引用元: 辰野金吾セカイカメラ回顧展 その1

  • 2011年01月 | 辰野金吾『セカイカメラ』回顧展+武雄の観光情報

    今日の建築物紹介は同じ佐賀県の「 旧唐津銀行 」です。 こちらは、辰野金吾博士設計というわけではないのですが、ゆかりの地としてご紹介しています。 設計は辰野金吾博士のお弟子さんの清水組の 田中実 氏で、 辰野金吾博士が監修 したといわれています。 (当時の模様) 旧唐津銀行本店は、明治45年(1912年)3月に竣工した煉瓦造、地下1階、地上2階の洋風建築物です。 建築デザインは、イギリスのクィーン・アン様式を日本化した「辰野式」と呼ばれるもので、外壁は赤煉瓦調の化粧タイルと白い花崗岩で化粧をし、天然スレート葺の屋根の上に尖塔を載せて王冠のように強調しているのが特徴です。 この旧唐津銀行は、明治18年に設立され、明治45年に本店が現在地(唐津市本町)に移転新築されました。 その後、他の銀行との合併・統合を経て佐賀銀行となり、唐津市本町にある建物は、佐賀銀行唐津支店として平成9年2月まで利用さ...
    引用元: 2011年01月 | 辰野金吾『セカイカメラ』回顧展+武雄の観光情報

  • ヘリテージング.com | HERITAGING OFFICIAL ...

    「辰野金吾(たつのきんご)」。建築ヘリテージングをする人ならぜひ覚えてもらいたい名前だ。明治・大正期の名だたる建築物を一手に引き受けた日本建築界黎明 (れいめい)期の立て役者。彼の代表作は東京駅や日本銀行本店だが、これ以外にも町を代表する建築物として日本中に残されている。 「旧日本銀行京都支店」(明治39年)は赤レンガに白い花崗岩の帯をまいた、いわゆる「辰野式」の典型的デザイン。現在は博物館の別館として公開されているが、何かをここで展示するというより、この建物そのものが展示品と考えるべきだ。中ではお茶も飲めるので、現代建築にはない重厚なインテリアをゆったりと楽しめる。 【案内】 ◆開館時間 ・ 常設展 10時〜19時30分(入場は19時まで) ・ 特別展 10時〜18...
    引用元: ヘリテージング.com | HERITAGING OFFICIAL ...

  • 建築ブックマーク[建築ファイル:京都:京都府京都文化博物館別館]

    名称 京都府京都文化博物館別館 (1/4) 設計 辰野金吾+長野宇平治 所在地 京都府京都市中京区三条通高倉西北角 竣工年 1906年 リンク 地図 , 公式サイト , 京都文化博物館(Wikipedia) , 辰野金吾(Wikipedia) , 長野宇平治(Wikipedia) <京都に関する書籍の紹介> ・ 建築MAP京都 ・ 京都モダン建築の発見 (新撰・京の魅力) ・ 近代建築散歩 京都・大阪・神戸編 <建築ブックマーク関連コンテンツ> ・ 建築ブックマークEYE's :京都レポート
    引用元: 建築ブックマーク[建築ファイル:京都:京都府京都文化博物館別館]

  • 辰野金吾 :: 授業の補足

    « ニコライ堂など | Main | 閔妃殺害事件 » 辰野金吾 October 15 [Fri], 2010, 2:31 イギリス人の�E コンドル が設計した( i )も煉瓦造の洋風建築で,不平等条約改正交渉の促進などを目的とした政府の欧化政策のもと,ここでは舞踏会などが頻繁に催された。 ( i )に当てはまる語句を記入しなさい。 下線部�Eコンドルに教えをうけた辰野金吾が設計した洋風建築は,次のうちどれか。 (ア) 赤坂離宮 (イ) 国会議事堂 (ウ) 第一国立銀行本店 (エ) 東京駅 (オ) ニコライ堂 (2003 成蹊大学 文) 【解答】 鹿鳴館、(エ) [ この記事を通報する ] 近現代 | URL:http://yaplog.jp/thomas-aq/archive/1202 プロフィール ニックネーム:富増章成(トマス・アキナリ) 河合塾日本史...
    引用元: 辰野金吾 :: 授業の補足

  • 辰野金悟

    辰野金吾の人生の軌跡を辿ってみると、そこには確かに名誉という名の足跡が里程標のように連なっているのが分かる。その出発点となっているのが、工部大学校造家学科(後の東京大学工学部建築学科)の第一期生となり、首席として卒業したことである。
    引用元: 辰野金悟

辰野金吾 の相関図を読込中

辰野 金吾 (たつの きんご、1854年10月13日〈嘉永7年8月22日〉- 1919年3月25日) は、日本の武士、建築家である。工部大学校(のちの帝国大学工科大学、現在の東京大学工学部)卒業。工学

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