| 早稲田大時代にNETテレビ(現在のテレビ朝日)の視聴者参加クイズ番組で優勝。 |
| 当時の金額で120万円相当の海外旅行へ招待されることが決まっていた。 |
| しかし、出発日と毎日放送の入社試験日が重なったため辞退。 |
| その旨を番組の関係者に申し出たところ、特例で旅行代金の1割(12万円)を進呈されたという。 |
| ちなみに、毎日放送以外に文化放送、フジテレビ、朝日放送のアナウンサー試験も受験。 |
| 東京での食生活が合わなかったことから、在阪局への入社を熱望していた。 |
| 2011年7月1日放送の『こんちわコンちゃん』で本人が述懐。 |
| 当時の大卒初任給は3万円程度だったとされる。 |
| 新人研修で選抜高校野球の実況を練習中に、居眠りをしたところを先輩アナウンサーに叩き起こされた。 |
| 近藤本人は、「あの一件で、スポーツアナウンサーをクビになった」と語っている。 |
| 若手時代に、サングラスにアナウンサーらしからぬ派手な衣装で、テレビのニュースに出たことがある。 |
| アナウンス技術などに関する厳しい指導で、新人・後輩アナウンサーに恐れられていた。 |
| 毎日放送の後輩アナウンサーであった子守康範や関岡香などが、出演番組で披露したエピソードより。 |
| 「(アナウンサーを)辞めてしまえ」と口走ることもあったとされる。 |
| ちなみに、アナウンサーとして最後に新人研修を担当した時の教え子は、馬野雅行と来栖正之(いずれも現役)である。 |
| 2009年9月17日放送の『こんちわコンちゃん』で、馬野から始球式の取材を受けた話を紹介した際に発言。 |
| アナウンサー室で結成していた草野球チームでは、主にキャッチャーとして、他局のチームや阪神タイガースのOBなどを相手に戦った。 |
| アナウンサー総出演のテレビ番組『あどりぶランド』で、試合の模様が放送されたことがある。 |
| 局アナとして人気が出るにつれて、本業の合間に、個人の立場でいわゆる「裏営業」(結婚式やイベントの司会など)を引き受ける機会が増えた。 |
| 最盛期には、「裏営業」での収入が局の本給の2倍以上に達したという。 |
| 食うや食わずの駆け出し若手芸人などがその実入りの多さを嗅ぎつけて近藤も気前よく彼らに馳走を振舞っており「あの時は近藤さんに、よく食わしてもらった」と感謝する者らも居る一方、「貧乏時代に俺が飯を食わしてやった」と暗に見返りを仄めかす恩着せがましい態度に出て「やらしい」などと非難され場の雰囲気を剣呑にする持ち前の嫌われ役のキャラクターのネタに頻用される場合がまま見られる。 |
| 水野麗奈が金曜日にアシスタントとして出演を始めた頃、水野に自宅の場所を言わせようとして、生放送中にもかかわらず自分の家の場所を番地まで喋ったことがある。 |
| (近藤が休暇中の2009年9月23日放送分で関岡が証言)また、『こんちわコンちゃん2時ですよ!』時代の初期に、タクシー運転手が電話を通じて近藤と話すコーナー「タクシー運転手じゅずつなぎ」を放送していた。 |
| 2007年1月16日の放送で、インターネット掲示板2ちゃんねる閉鎖の噂を取り上げた際に、同掲示板の利用者を「匿名で他人を攻撃するのは暗闇で後ろから棒で殴るのと同じ!!」「卑怯者!!」「死んだらええねん!!」と非難。 |
| これに対して、番組公式サイトの掲示板が炎上するなどの報復を受けたため、後日の放送で「興奮して言い過ぎました」と謝罪した。 |
| 2007年3月21日に、「声が出ない」との理由で入院。 |
| 選抜高等学校野球大会の中継による休止期間をはさんで、同年4月5日の放送から再び登場した。 |
| しかし、声帯の筋肉が捻挫した影響で声がかすれていたため、4月9日から大事を取って休養。 |
| 5月15日の放送から一部コーナーへの出演を再開した後に、同月21日の放送で完全復帰を果たした。 |
| 2009年9月18日の始球式(前述)には、当番組の生放送を終えてから、阪神甲子園球場へ直行。 |
| 胸に1179(MBSラジオの周波数)、背に2000(同番組の放送回数)の番号を入れた縦縞のユニフォーム姿で、ワンバウンドの投球を披露した。 |
| 始球式の模様は、GAORAでの中継や、馬野が実況を担当したMBSタイガースナイターでも放送されている。 |