| 2003年は「ジャパン・オープン」でベスト4進出があるが、この時は準々決勝で同僚の晏紫との“中国対決”を制した後、準決勝で当時16歳のマリア・シャラポワに敗れている。 |
| シャラポワにとっては、これがWTAツアー初優勝の大会だった。 |
| 2004年の全仏オープン女子シングルスで、鄭潔は中国出身の女子テニス選手として史上初のベスト16入りを達成した。 |
| その4回戦では、アルゼンチンのパオラ・スアレスに4-6,5-7で敗れている。 |
| 2004年のアテネ五輪でテニスの中国代表選手に選ばれた時、女子ダブルスには鄭潔&晏紫の組と、李婷と孫甜甜組の2組を送り出した。 |
| このアテネ五輪では李婷&孫甜甜組が女子ダブルスの金メダルを獲得し、中国に初めてのテニス金メダルをもたらした。 |
| それから1年半後、2006年の全豪オープン女子ダブルスでは、鄭潔&晏紫の組が第12シードから勝ち上がった。 |
| 2人のダブルスは、リターンの時に「2人とも後ろに並ぶ」スタイルで、世界の標準的なダブルスとは大きく異なる。 |
| これが対戦相手を戸惑わせ、2人は準決勝で浅越しのぶとカタリナ・スレボトニク(スロベニア)組に6-2,7-6で勝ち、決勝では第1シードのリサ・レイモンド(アメリカ)&サマンサ・ストーサー(オーストラリア)組を2-6,7-6,6-3の逆転で破り、中国に史上初のテニス4大大会タイトルをもたらした。 |
| これで、中国女子テニスからは2組のダブルス・ペアが世界の頂点に立ったことになる。 |
| 全豪オープン女子ダブルスで優勝を飾った後、鄭潔は5月第1週にポルトガル・エストリル大会の決勝で同じ中国の李娜を6-7,7-5(李娜の途中棄権)で破り、WTAツアーのシングルスで2勝目を挙げた。 |
| その後、ウィンブルドンでも中国テニス界は大きな躍進を見せる。 |
| 鄭潔は女子シングルス3回戦でキム・クライシュテルスに敗れたが、晏紫とのダブルスで2度目の4大大会決勝に勝ち進み、ビルヒニア・ルアノ・パスクアル(スペイン)&パオラ・スアレス(アルゼンチン)組を6-3,3-6,6-2で破り、中国のテニス選手として最初のウィンブルドン優勝者になった。 |
| ウィンブルドン選手権の後、7月15日-16日にかけて女子テニス国別対抗戦・フェドカップの「ワールドグループ・プレーオフ」が中国の首都北京で開かれ、中国はドイツを「4勝1敗」で下して2007年度のワールドグループ出場権を獲得した。 |
| 鄭潔はシングルス1試合と晏紫とのダブルス戦に勝利を収め、中国にとって初めてのワールドグループ進出に大きく貢献した。 |
| 2008年ウィンブルドンにおいて、鄭潔は中国女子選手として史上初のベスト4に進出し、2年前の李娜のベスト8を上回る成績を出した。 |
| 3回戦で第1シードのアナ・イバノビッチ(セルビア)を6-1,6-4で破る勝利で波に乗り、4回戦でアグネシュ・サバイ(ハンガリー)、準々決勝でニコル・バイディソバ(チェコ)に勝ち、シングルスでも同国の最高記録を更新した。 |
| 準決勝では第6シードのセリーナ・ウィリアムズに2-6,6-7で惜敗した。 |
| アジア人女性のウィンブルドン準決勝進出も、1996年の伊達公子以来12年ぶりの快挙だった。 |
| 地元開催の北京五輪で、鄭潔と晏紫は女子ダブルスの銅メダルを獲得した。 |
| 準決勝でスペイン代表のビルヒニア・ルアノ・パスクアル&アナベル・メディナ・ガリゲス組に4-6,6-7で敗れた2人は、準決勝敗退ペア2組による「銅メダル決定戦」でウクライナの姉妹ペア、アリョーナ・ボンダレンコ&カテリナ・ボンダレンコ組に6-2,6-2のストレート勝ちを収めた。 |
| 2009年の全豪オープンで、鄭潔は第22シードとしてシングルス4回戦に初進出を決めたが、スベトラーナ・クズネツォワ(ロシア)との試合を1-4で途中棄権してしまう。 |
| 翌2010年の全豪オープンでは、鄭潔と李娜の2人が女子シングルスのベスト4に入った。 |
| 鄭潔は2008年ウィンブルドン以来2度目の4大大会シングルス準決勝で、ジュスティーヌ・エナン(ベルギー)から1ゲームしか奪えず1-6,0-6のスコアで完敗した。 |
| 李娜も準決勝でセリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)に敗れ、中国勢初の4大大会女子シングルス決勝進出はならなかった。 |
| 李娜は2011年全豪オープンで、中国勢初の4大大会シングルス決勝に進出し、2011年全仏オープンでアジア人初の4大大会シングルス優勝を果たした。 |