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プロフィール
- 酒井忠清とは
- 出生から老中時代
- 大老職就任から晩年
- 人物
- 家系
- 参考文献
- 酒井忠清が登場する作品
- 関連項目
酒井忠清(さかいただきよ)は、江戸時代の譜代大名。江戸幕府老中、大老。上野厩橋藩第4代藩主。雅楽頭系酒井家宗家4代。第4代将軍 徳川家綱の治世期に大老となる。三河以来の譜代名門 酒井氏雅楽頭家嫡流で、 徳川家康・秀忠・家光の3代に仕えた 酒井忠世の孫にあたる。
出生から老中時代
| 寛永元年(1624年)10月19日、酒井忠行の長男として酒井家江戸屋敷に生まれる。 |
| 寛永13年(1636年)に祖父の酒井忠世、父の忠行が相次いで死去したため、翌寛永14年(1637年)に遺領12万2,500石のうち上野厩橋藩10万石の相続を許され、弟の酒井忠能にも上野伊勢崎藩を分地された。 |
| 寛永15年(1638年)に出仕し、従五位下河内守に任じられる。 |
| 雅楽頭家嫡流として父の忠行が務めていた奏者番を命じられ、武家故実を習得して殿中儀礼の諸役を務める。 |
| この年には忠能と共に上野へ初入国をしている。 |
| なお、寛永15年には土井利勝と酒井忠勝が大事の折の登城を命じられ、これが後の大老の起こりとされる。 |
| 寛永18年(1641年)には3代将軍徳川家光に嫡子家綱が誕生。 |
| 忠清は家光付きの本丸付家臣であり、幼少の家綱との接触は儀礼を通じてのみであったが、忠能は家綱付の家臣団に加わっている。 |
| 正保元年(1644年)12月には鶴姫と婚礼、慶安元年(1648年)には長男の酒井忠明が生まれるが、鶴姫は慶安3年(1650年)に死去。 |
| 慶安4年(1651年)4月には家光が死去し、8月には家綱が将軍宣下を受ける。 |
| 大老酒井忠勝、老中松平信綱や後見の保科正之、家綱付家臣団の松平乗寿らに補佐された家綱政権が成立し、忠清は引き続き奏者番を務め、10月には左近衛権少将へ任官し、雅楽頭へ改名を命じられる。 |
大老職就任から晩年
| 家光の死後には西の丸老中が本丸老中へ吸収され、承応2年(1653年)6月には忠清も老中に就任し、諸役と兼任する。 |
| 忠清は就任と同時に老中首座として松平信綱、松平乗寿、阿部忠秋と共に4人連署体制を構成するが、翌3年(1654年)には乗寿が死去し、万治元年(1658年)閏12月29日に稲葉正則が加えられるまでは3人体制となる。 |
| 寛文4年(1664年)には一般奉書の加判を免じられており、寛文6年(1666年)2月2日、諸国山川掟を発する1人となり、3月26日には老中奉書への加判も免じられ、大老職に就任する。 |
| 保科正之や阿部忠秋が没すると権力が集中し、新たに久世広之・土屋数直・板倉重矩を加えた老中達と共に将軍家綱を補佐して殉死禁止令や、陸奥仙台藩62万石の伊達家で生じた伊達騒動(寛文事件)や、延宝年間に越後高田藩で生じた越後騒動などのお家騒動の裁定に関わる。 |
| 延宝8年(1680年)1月、上総久留里2万石を加増されて15万石となり、忠行時代の家格に復する。 |
| 同年5月には家綱が死去し、8月には家綱の異母弟綱吉が将軍宣下を受ける。 |
| 12月9日には病気療養を命じられ、大老職を解任される。 |
| 翌天和元年(1681年)2月27日に隠居し、5月19日に死去。 |
| 享年58(満56歳没)。 |
| 遺体は龍海院(現在の群馬県前橋市)に葬られた。 |
人物
| 忠清は鎌倉時代に執権であった北条氏に模され、大老就任後は「左様せい様」と称される将軍家綱のもとで権勢を振るう専制的人物と評される傾向にある。 |
| また、伊達騒動を扱った文芸作品など創作においては、作中では伊達宗勝と結託した極悪人として描かれてきた。 |
| 酒井家は寛永13年に江戸城大手門下馬札付近の牧野忠成の屋敷が与えられ、上屋敷となっていた。 |
| 下馬札とは、内側へは徒歩で渡り下馬の礼を取らなければならない幕府の権威を意識させる場所であり、大老時代の忠清の権勢と重ね合わせ、死後の綱吉時代には下馬将軍と俗称された。 |
| また、家綱の危篤にあたって、鎌倉時代の例に倣って徳川家・越前松平家とは縁続きである有栖川宮幸仁親王を宮将軍として擁立しようとしたとされ、これは徳川光圀、堀田正俊などの反対にあい、実現しなかったという。 |
| これは、家綱の弟の綱吉の資質に疑問を持ったためとも、あるいは家綱の側室が懐妊中で、出産までの時間稼ぎをしようとしたためともいわれる。 |
| 宮将軍擁立説は『徳川実紀』をはじめとした史料に見られ通説として扱われてきたが、近年では歴史家辻達也の再評価があり、失脚後の風説から流布したものであるとする指摘もある山本博文「宮将軍擁立説と綱吉」『徳川将軍と天皇』(p124-p141)、福田千鶴『酒井忠清』。 |
| 備前岡山藩主池田光政と松平直矩とは交友があり、光政日記にも忠清に関する記事が見られるが、寛文8年(1668年)には忠清に意見書を提出したという(『池田家文書』)。 |
| これは忠清の専横を批判したものであるとも言われているが、光政日記には意見書提出の記述が見られず、同時代に行われている諫言書であるとも考えられている福田前掲書。 |
| 綱吉が将軍に就任すると大老を解任され、越後騒動の再審が進められる中、忠清は解任からわずか1年後に突如没したため、綱吉は自殺ではないかと疑問を抱き、「墓を掘り起こせ」と命じるまでに執拗に何度も検死を求めたというが、酒井家や縁戚関係のある藤堂高久らは言い訳を使いながらこれをかたくなに拒否。 |
| そのため忠清の死は尋常でなかったとする憶測を呼んでいる。 |
| ただし、遺体は前橋で荼毘に付されているため、後世の創作ともされる。 |
参考文献
| 山本博文『徳川将軍と天皇』中央公論新社〈中公文庫〉、2004年。 |
| ISBN4-12-204452-9。 |
| 福田千鶴『酒井忠清』吉川弘文館〈人物叢書〉、2000年。 |
| ISBN4-642-05218-6。 |
酒井忠清が登場する作品
| 隆慶一郎 「吉原御免状」 新潮社、1986年。 |
| 隆慶一郎 「かくれさと苦界行」 新潮社、1987年。 |
| 「江戸城大乱」(1991年):松方弘樹。 |
| 「大奥」(フジテレビ、1968年):内田朝雄。 |
| 「樅ノ木は残った」(NHK大河ドラマ、1970年):北大路欣也。 |
| 「服部半蔵影の軍団」(フジテレビ、1980年):金子信雄。 |
| 「大奥」(フジテレビ、1983年):神山繁。 |
| 「天下の副将軍水戸光圀徳川御三家の激闘」(テレビ東京、1992年):神山繁。 |
| 「元禄繚乱」(NHK大河ドラマ、1999年):瑳川哲朗。 |
| 「樅ノ木は残った」(テレビ朝日、2010年):橋爪功。 |
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1636年
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祖父の酒井忠世、父の忠行が相次いで死去した... |
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1638年
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出仕し、従五位下河内守に任じられる |
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