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プロフィール
- 釈迦とは
- 呼称
- 呼称表
- 困難な史実確定
- 生涯
- 誕生
- 出家
- 成道
- 教団
- 伝道の範囲
- 入滅
- 入滅後の評価
- 精神医学の観点
- 関連サイト
釈迦(釋迦、しゃか、梵名:シャーキャ、शाक्य)、漢訳では瞿曇悉達多(くどんしっだった)と伝えられる。日本では一般に ゴータマ・シッダールタと俗称される。
呼称
| 「釈迦」は釈迦牟尼(しゃかむに、シャーキャ・ムニशाक्यमुनि |
| 釈迦は彼の部族名もしくは国名で、牟尼は聖者・修行者の意味。 |
| つまり釈迦牟尼は、「釈迦族の聖者」という意味の尊称である。 |
| 称号を加え、釈迦牟尼世尊、釈迦牟尼仏陀、釈迦牟尼仏、釈迦牟尼如来ともいう。 |
| ただし、これらはあくまで仏教の視点からの呼称である。 |
| 僧侶などが釈迦を指す時は、略して釈尊(しゃくそん)または釈迦尊、釈迦仏、釈迦如来と呼ぶことが多い。 |
| 称号だけを残し、世尊、仏陀、ブッダ、如来とも略す。 |
| ただし、大乗仏教以後の仏教では仏陀・世尊・如来は釈迦牟尼だけではない。 |
| 特に浄土真宗では単に如来というと阿弥陀如来を指すことも少なくない。 |
| 日本では、一般にお釈迦様(おしゃかさま)と呼ばれることが多い。 |
| 仏典ではこの他にも多くの異名を持つ。 |
| うち代表的な10個(どの10個かは一定しない)を総称して仏「十号」と呼ぶ。 |
呼称表
| 釈尊(しゃくそん)。 |
| 釈迦如来(しきゃじらい)。 |
| 多陀阿伽度(たたあかど)。 |
| 阿羅訶(応供)(あらか)。 |
| 三藐三仏陀(正徧智)(さんみゃくさんぶっだ)。 |
困難な史実確定
| 釈迦の生涯に関しては、釈迦と同時代の原資料の確定が困難であり、仏典の神格化された記述から一時期はその史的存在さえも疑われたことがあった。 |
| まず釈迦の没年、すなわち仏滅年代の確定についてアショーカ王の即位年を基準とするが、仏滅後何年がアショーカ王即位年であるかについて、異なる二系統の伝承のいずれが正確かを確認する術がない平川彰『インド仏教史』上巻(春秋社,1974),p.33「南北両伝の間には約百年の違いがあるが、これを会通し、万人を納得せしめる結論を導き出すことは、現在としては不可能である。 |
| 釈迦に限らず、インドの古代史の年代確定は難しい中村元『ゴータマ・ブッダI』,p.107「仏滅年代論については、異説がきわめて多く、百種以上ある。 |
| 日本の宇井伯寿や中村元は漢訳仏典の資料に基づき(北伝)、タイやスリランカなど東南アジア・南アジアの仏教国はパーリ語聖典に基づいて(南伝)釈迦の年代を考え、欧米の学者も多くは南伝を採用するが、両者には百年以上の差がある。 |
| おびただしい数の仏典のうち、いずれが古層であるかについて、日本のインド哲学仏教学の権威であった中村元はパーリ語聖典『スッタニパータ』の韻文部分が恐らく最も成立が古いとし中村元の岩波文庫版『ブッダのことば スッタニパータ』解説より、初版1984年、日本の学会では大筋においてこの説を踏襲しているが、それでさえ釈迦の言行の直接的記録ではない。 |
| 釈迦の伝記としての仏伝はこれよりも成立時期が下る。 |
| よって、学問的に言えば、以下に説明することは原則的に、伝説なのか史実なのか区別がはっきりしていない記述なのだと了解の上で読むことが望ましい。 |
生涯
| 釈迦は紀元前5世紀頃、シャーキャ族王・シュッドーダナ(漢訳名:浄飯王じょうぼんのう)の男子として現在のネパールのルンビニで誕生。 |
| 王子として裕福な生活を送っていたが、29歳で出家した。 |
| 35歳で正覚(覚り)を開き、仏陀(覚者)となったことを成道という。 |
| まもなく釈迦のもとへやってきた梵天の勧めに応じて、釈迦は自らの覚りを人々に説いて伝道して廻った。 |
| 南方伝ではヴァイシャーカ月(グレゴリオ暦4月-5月)の満月の日(ヴァイシャーカ月はインドでは2月にあたりインドは太陰太陽暦で満月の日は15日にあたるため、中国伝来の際2月15日(旧暦)とされた)に80歳で入滅(死去)したと言われている。 |
誕生
| 釈迦は現在のネパール国境付近(インド説も)のカピラヴァストゥ(kapila-vastu、迦毘羅衛 パーリ語:カピラワットゥ)で、国家を形成していた釈迦族の出身である。 |
| 釈迦の故郷であるこのカピラヴァストゥは今のネパールのタライ(tarai)地方のティロリコート(tilori-kot)あるいはピプラーワー(Piprahwa)付近を中心とする小さな共和制の国で、当時の二大強国マガタとコーサラの間にはさまれた国であった。 |
| 家柄は王(rāja)とよばれる名門であった。 |
| このカピラヴァストゥ国の城主、シュッドーダナを父とし、隣国の同じ釈迦族のコーリヤの執政アヌシャーキャの娘・マーヤーを母として生まれ、ガウタマ・シッダールタと名づけられた。 |
| ガウタマ(ゴータマ)は「最上の牛」を意味する言葉で、シッダールタ(シッダッタ)は「目的を達したもの」という意味である。 |
| ガウタマは母親がお産のために実家へ里帰りする途中、ルンビニの花園で休んだ時に誕生した。 |
| 生後一週間で母のマーヤーは亡くなり、その後は母の妹、マハープラジャパティーによって育てられた。 |
| 当時は姉妹婚の風習があったことから、マーヤーもマハープラジャパティー(パーリ語:マハーパジャパティー)もシュッドーダナの妃だった可能性がある。 |
| 釈迦の生まれた年代に最新の研究をもってしても100年もの誤差が生じるのは、インドでは輪廻転生の考えから時間というものがさほど必要なものではないと考えられていたため、年代を記録する習慣がなかったことによるともいう。 |
| インドなどの詳細は中国の文献によって知ることができる。 |
| 「釈迦は、産まれた途端、七歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と話した」と伝えられている。 |
| 釈迦はシュッドーダナらの期待を一身に集め、二つの専用宮殿や贅沢な衣服・世話係・教師などを与えられ、クシャトリヤの教養と体力を身につけた、多感でしかも聡明な立派な青年として育った。 |
| 16歳で母方の従妹のヤショーダラーと結婚し、一子、ラーフラをもうけた。 |
| なお妃の名前は、他にマノーダラー(摩奴陀羅)、ゴーピカー(喬比迦)、ムリガジャー(密里我惹)なども見受けられ、それらの妃との間にスナカッタやウパヴァーナを生んだという説もある。 |
出家
| 当時のインドでは、ウパニシャッド哲学を基盤としながら、ヴェーダ経典の権威を認めない六師外道と称される六人の思想家達、ジャイナ教の始祖となったニガンダ等が既成のバラモンを否定し、自由な思想を展開していた。 |
| また社会的にも16の大国、多くの小国が争いを繰り広げ、混乱の度を増すさなかにあった。 |
| 釈迦出家の動機は、釈迦族が農耕民族であったため、幼少の頃に田畑の虫をついばむ鳥を見たことなどにより日常的にこの世の無常を感じていたともされ、決定的となったのは四門出遊の故事とされる。 |
| ある時、釈迦がカピラヴァストゥ城の東門から出る時老人に会い、南門より出る時病人に会い、西門を出る時死者に会い、生ある故に老も病も死もある(生老病死:四苦)と無常を感じた。 |
| 北門から出た時に一人の出家沙門に出会い、世俗の苦や汚れを離れた沙門の清らかな姿を見て、出家の意志を持つようになった、という。 |
| 私生活において一子ラーフラをもうけたことで、かねてよりの念願の出家の志を29歳、12月8日夜半、王宮を抜け出て果たした。 |
| 出家してまずバッカバ仙人を訪れ、その苦行を観察するも、その結果、死後に天上に生まれ変わることを最終的な目標としていたので、天上界の幸いも尽きればまた六道に輪廻すると悟った。 |
| 次にアーラーラ・カーラーマを訪れ、彼が空無辺処(あるいは無所有処)が最高の悟りだと思い込んでいるが、それでは人の煩悩を救う事は出来ないことを悟った。 |
| 次にウッダカラーマ・プッタを訪れたが、それも非想非非想処を得るだけで、真の悟りを得る道ではないことを覚った。 |
| この三人の師は、釈迦が優れたる資質であることを知り後継者としたいと願うも、釈迦自身はすべて悟りを得る道ではないとして辞した。 |
| そしてウルヴェーラの林へ入ると、父・シュッドーダナは釈迦の警護も兼ねて五比丘(ごびく)といわれる5人の沙門を同行させた。 |
| そして出家して6年(一説には7年)の修行の間、苦行を積んだ。 |
| 減食、絶食等、座ろうとすれば後ろへ倒れ、立とうとすれば前に倒れるほど厳しい修行を行ったが、心身を極度に消耗するのみで、人生の苦を根本的に解決することはできないと悟って難行苦行を捨てたといわれている。 |
| その際、この五比丘たちは釈迦が苦行に耐えられず修行を放棄したと思い、釈迦をおいてムリガダーヴァ(鹿野苑、ろくやおん)へ去ったという。 |
成道
| そこで釈迦は、全く新たな独自の道を歩むこととする。 |
| ネーランジャナー(nairaJjanaa、尼連禅河、にれんぜんが)で沐浴し、村娘スジャータの乳糜(牛乳で作ったかゆ)の布施を受け、気力の回復を図って、ガヤー村のピッパラ(pippala)樹(後に菩提樹と言われる)の下で、「今、証りを得られなければ生きてこの座をたたない」という固い決意で観想に入った。 |
| すると、釈迦の心を乱そうと悪魔たちが妨害に現れる。 |
| 壮絶な戦闘が丸1日続いた末、釈迦はこれを退ける。 |
| そして、ついに12月8日の未明に大悟する。 |
| これを「成道」という。 |
| 以来仏教では、この日に「成道会(じょうどうえ)」を勤修するようになった。 |
| また、ガヤー村は、仏陀の悟った場所という意味の、ブッダガヤと呼ばれるようになった。 |
| 7日目まで釈迦はそこに座わったまま動かずに証りの楽しみを味わい、さらに縁起・十二因縁を証った。 |
| 8日目に尼抱盧陀樹(ニグローダじゅ)の下に行き7日間、さらに羅闍耶多那樹(ラージャヤタナじゅ)の下で7日間、座って解脱の楽しみを味わった。 |
| 22日目になり再び尼抱盧陀樹の下に戻り、証りの内容を世間の人々に語り伝えるべきかどうかをその後28日間にわたって考えた。 |
| その結果、「この法(証りの内容)を説いても世間の人々は証りの境地を知ることはできないだろうし、了ることはできないだろう。 |
| ところが梵天が現れ、衆生に説くようくり返し強く請われた。 |
| 3度の勧請の末、自らの証りへの確信を求めるためにも、ともに苦行をしていた5人の仲間に説こうと座を立った。 |
| 釈迦は彼らの住むバーラーナシー(baaraaNsii)まで、自らの悟りの正しさを十二因縁の形で確認しながら歩んだ。 |
| そこで釈迦は鹿野苑へ向かい、初めて五比丘にその方法論四諦八正道を実践的に説いた。 |
| これを初転法輪(しょてんぽうりん)と呼ぶ。 |
| この5人の比丘は、当初は釈迦が苦行を止めたとして蔑んでいたが、説法を聞くうちコンダンニャがすぐに悟りを得、釈迦は喜んだ。 |
| この時初めて、釈迦は如来(tathaagata、タター(ア)ガタ)という語を使った。 |
| それは、現実のありのままの姿(実相)を観じていく事を意味している。 |
| 初転法輪を終わって「世に六阿羅漢(漢:応供、梵:arhant)あり。 |
教団
| その後、ヤシャスやプルナなどを次々と教化したが、初期の釈迦仏教教団において最も特筆すべきは、三迦葉(さんかしょう)といわれる三人の兄弟が仏教に改宗したことである。 |
| 当時有名だった事火外道(じかげどう)の、ウルヴェーラ・カッサパ(uruvelakassapa)、ナディー・カッサパ(nadikassapa)、ガヤー・カッサパ(gayaakassapa)を教化して、千人以上の構成員を持つようになり、一気に仏教は大教団化した。 |
| ついでラージャグリハ(raajagRha、王舎城)に向かって進み、ガヤ山頂で町を見下ろして「一切は燃えている。 |
| 煩悩の炎によって汝自身も汝らの世界も燃えさかっている」と言い、煩悩の吹き消された状態としての涅槃を求めることを教えた。 |
| 王舎城に入って、ビンビサーラ王との約束を果たし教化する。 |
| この二人は後に釈迦の高弟とし、前者は知恵第一、後者は神通第一といわれたが、この二人は釈迦の弟子で、最初に教化された五比丘の一人であるアッサジ比丘によって釈迦の偉大さを知り、弟子250人とともに帰依した。 |
伝道の範囲
| 経典をたどると、故国カピラヴァストゥの訪問によって、釈迦族の王子や子弟たちである、ラーフラ、アーナンダ、アニルッダ、デーヴァダッタ、またシュードラの出身であるウパーリが先んじて弟子となり、諸王子を差し置いてその上首となるなど、釈迦族から仏弟子となる者が続出した。 |
| 成道後14年目の安居はコーサラ国のシュラーヴァスティーの祇園精舎で開かれた。 |
入滅
| 漢訳の『長阿含経』の中の「遊行経」とそれらの異訳、またパーリ所伝の『大般涅槃経』などの記録である。 |
| 釈迦最後の伝道は王舎城の竹林精舎から始められたといわれているから、前年の安居を終わって釈迦はカピラヴァストゥに立ち寄り、コーサラ国王プラセーナジットの訪問をうけ、最後の伝道がラージャクリハから開始されることになったのであろう。 |
| ここは後のマガダ国の首都となるパータリプトラ(paataliputra、華子城)であり、現在のパトナである。 |
| ここで亡くなった人々の運命について、アーナンダの質問に答えながら、最後に人々が運命を知る標準となるものとして法鏡の説法をする。 |
| カクッター河で沐浴して、最後の歩みをクシナーラー(kusinaara)に向け、その近くのヒランニャバッティ河のほとりに行き、マルラ(malla)族(マッラ国)のサーラの林に横たわり、そこで入滅した。 |
入滅後の評価
| マルコ・ポーロの体験を記録した『東方見聞録』においては、釈迦の事を「彼の生き方の清らかさから、もしキリスト教徒であればイエスにかしずく聖人になっていただろう」『全訳マルコ・ポーロ東方見聞録 〈驚異の書〉』岩波書店、156頁。 |
精神医学の観点
| 釈迦は当時のバラモンや沙門たちが共有していた文化の中で生きてきたため、確かに仏教は輪廻思想から自由でないが、釈迦にとってより重要だったのは、死後の世界よりもいま現在の人生問題の実務的解決だった。 |
| 従って人生問題の実際的解決は、釈迦に帰依しなくても実践可能であり、釈迦は超能力者でも霊能者でも、増して「最終解脱者」でもなく、勿論「神」のような絶対者でもなかった。 |
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