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つながりの強いひと
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祇園南海
祇園南海(ぎおんなんかい、延宝4年(1676年)-宝暦元年9月8日(1751年10月26日)(生年について延宝5年(1677年)の説あり))は江戸時代中期の日本の儒学者... |
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中谷伸生
講師 中谷伸生氏 日時 平成13年11月17日(土) 13時30分〜15時30分 会場 3階文芸ホール 定員 60名
講演会要旨 幕末から明治にか... |
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池大雅
日本の江戸時代の文人画家、書家。本来の苗字は池野(いけの)だが、中国風に池と名乗った。幼名は又次郎(またじろう)など。諱は勤(きん)、無名(ありな... |
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木村蒹葭堂
友達
江戸時代中期の日本の文人、文人画家、本草学者、蔵書家、コレクター。大坂北堀江瓶橋北詰の造り酒屋と仕舞多屋(しもたや、家賃と酒株の貸付)を兼ねる商家... |
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田能村竹田
江戸時代後期の南画(文人画)家。旅を好み日本各地を遊歴。詩文を得意とし画論『山中人饒舌』などを著した。幼名は磯吉、後に玄乗、生蔵。名は孝憲。字は君... |
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頼山陽
頼山陽(らいさんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日)-天保3年9月23日(1832年10月16日))は江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人である。幼名は... |
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谷文晁
江戸時代後期の日本の画家。江戸南画の大成者であり、その画業は上方の円山応挙、狩野探幽とともに「徳川時代の三大家」に数えられる。名は正安。はじめ号は... |
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紀州藩
江戸時代に紀伊国一国と伊勢国の南部(現在の和歌山県と三重県南部)を治めた藩。紀伊藩(きいはん)とも呼ばれる。版籍奉還後に定められた正式名称は和歌山... |
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葛飾北斎
日本の近世にあたる江戸時代に活躍した浮世絵師であり、とりわけ後期、文化・文政の頃(化政文化)を代表する一人。代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』... |
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野呂邦暢
日本の小説家。長崎県長崎市生まれ。本名、納所邦暢。1956年(昭和31年)、長崎県立諫早高等学校卒業。職を転々とした後、1957年(昭和32年)に佐世保陸上自... |
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岡田米山人
岡田米山人(おかだべいさんじん、延享元年(1744年)-文政3年8月9日(1820年9月15日))は江戸時代後期の大坂を代表する文人画家。岡田半江はその子(養子説... |
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与謝蕪村
江戸時代中期の日本の俳人、画家。本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考... |
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伊藤蘭
日本の女優、ナレーター、元歌手であり、元キャンディーズのメンバーである。本名、水谷蘭(みずたにらん)。旧姓、伊藤。東京都武蔵野市吉祥寺出身。トライ... |
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伊孚九
中国清代中期の貿易商・画家。貿易商として長崎に度々来日し南宗画の画風を伝えた。池大雅や桑山玉洲らが私淑し、その後日本の文人画壇に広まった。諱を海、... |
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浦上玉堂
江戸時代の文人画家。名は孝弼(たかすけ)。字は君輔(きんすけ)、通称は兵右衛門。35歳の時、「玉堂清韻」の銘のある中国伝来の七弦琴を得て「玉堂琴士」... |
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柳沢淇園
江戸時代中期の文人画家、漢詩人。服部南郭、祇園南海、彭城百川らとともに日本文人画の先駆とされる。名ははじめ貞貴、元服後は里恭(さととも)、字は広美... |
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彭城百川
江戸時代中期の南画家。服部南郭、祇園南海、柳沢淇園とともに日本南画の祖であり、日本で初めて本格的な中国南宗画様式による山水画を描いた画家とされる。... |
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伊藤若冲
近世日本の画家の一人。江戸時代中期の京にて活躍した絵師。名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。初めは春教(しゅんきょう)と号したという記事があ... |
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プロフィール
- 野呂介石とは
- 生涯
- 号の由来
- 作品
- 関連文献
- 出典
野呂介石(のろかいせき、延享4年1月20日(1747年3月1日)-文政11年3月14日(1828年4月27日))は、江戸時代後期の日本の文人画家である。 紀州藩に仕え、 祇園南海、桑山玉州とともに紀州三大南画家と呼ばれている。名ははじめ休逸(きゅういつ)であったが、のちに改名して隆(りゅう)または隆年(りゅうねん)のふたつの名を混用した。字を松齢(しょうれい)、号は介石のほかに班石(はんせき)、十友窩(じゅうゆうか)、澄湖(ちょうこ)、混斎(こんさい)、台嶽樵者(だいがくしょうしゃ)、第五隆(だいごりゅう)、晩年になって矮梅居(わいばいきょ)、四碧 ...
生涯
| 紀州和歌山城下の湊紺屋町、町医野呂高紹方紹とする文献もある(森1971年、311頁)の三男として生まれる。 |
| 10歳の頃より藩儒伊藤長堅(蘭嵎)に儒学を学んだ。 |
| 墨竹などの画を好み、中国の画法を独学しようとしたが進まず、14歳にて京都に出て黄檗僧鶴亭(海眼淨光)について長崎派の画法を修める。 |
| 一旦郷里に戻るが再び上京し、21歳の時、池大雅について南画の技法を修得した。 |
| 京都と和歌山を行き来しながらおよそ10年もの間、毎日山水画十景を画くことを日課とした。 |
| 25歳のときには大雅の妻玉蘭が和歌山を訪問している。 |
| 師を深く敬愛したが、28歳の時大雅を失う。 |
| このころ清の来舶商・画家伊孚九に私淑し影響を受けている。 |
| 大坂の木村蒹葭堂や紀州の先輩桑山玉州とも親しく交流し画業の研鑽に励み、名を成すようになる。 |
| 34歳の時再婚したが花嫁は17歳年下の士族の出身であった。 |
| 終生を京都で過ごそうとしたが、藩命によって仕官することとなり46歳のとき紀州に戻った。 |
| 勘定奉行支配小普請として医業を以て藩に仕え、のちに銅山方なって領内各地を踏査している。 |
| 本草学にも詳しかったようである。 |
| 江戸には2度赴いた記録があるが、晩年には江戸詩壇の大窪詩仏、菊池五山との交わりがあった。 |
| その他に頼山陽、頼杏坪、篠崎小竹、田能村竹田、本居大平などの交友が伝えられる。 |
| 1810年、大和多武峰千手院に所蔵される黄公望の「天地石橋図」を臨模したことを大いに喜んでいる。 |
| 公務で熊野の山中に分け入り、深山幽谷に数十日もあって山水の趣を体得したという。 |
| 画は人のためでなく己の楽しみのためとし、胸中に真山水を貯えれば、自ずと手が応じるとして、写意のある画を求道した。 |
| 墨竹図・山水図を得意としたが、特に熊野山中を描いたものが多く那智の瀑布は現在までに十数点確認されている。 |
| 兄と慕うひとつ上の桑山玉州とともに南画会の双璧と評されている。 |
| また長町竹石、僧愛石とともに「三石」とも称されている。 |
| 和歌山市吹上護念寺に墓碑がある。 |
号の由来
| 四碧齋の号は、藩侯が彼の那智山図を見て嘆賞し「山色四時碧」の一行物を下賜したことを記念したもの。 |
| 矮梅居の号は、仕官して2年目に賜った居宅に老梅があったことから。 |
| 第五隆の号は、漢の第五倫の人となりを慕ったことから。 |
| 三男だったが姉二人を入れると五番目の子であった。 |
作品
| 「呉仲圭詩意山水図」(1809年)静嘉堂文庫美術館 重要美術品。 |
| 「熊野三瀑之図」 (1812年)田辺市立美術館。 |
| 「歳寒三友図屏風」(1820年)田辺市立美術館。 |
| 「紅玉芙蓉峰図」赤富士を描いた最初の画と推定されている。 |
| (山下2001年)(1821年)和歌山脇村奨学会 。 |
| 「那智郡山図」。 |
関連文献
| 『四碧斎画話』(門人が記録したもの)。 |
| 木村蒹葭堂『蒹葭堂日記』。 |
| 田能村竹田『竹田荘師友画録』。 |
| 朝岡興禎『古画備考』。 |
| 白井華陽『画乗要略』。 |
| 玉置百齢『三名家略年譜』。 |
| 木村風乎『介石小談』。 |
| 横井鐡叟『介石雑話』。 |
| 「紀伊人物誌」『南紀徳川史』。 |
出典
| 中村真一郎『木村蒹葭堂のサロン』新潮社、2000年、518-519頁、ISBN4103155213。 |
| 大槻幹郎『文人画家の譜』ぺりかん社、2001年、251-253頁、ISBN4831508985。 |
| 森銑三「野呂介石」『森銑三著作集』第3巻 中央公論社、1971年。 |
| 山下善也「描かれた富士—イメージ変遷と諸相」『富士信仰研究』第2号、岩田書院、2001年。 |
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1810年
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大和多武峰千手院に所蔵される黄公望の「天地... |
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2000年
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518519頁、ISBN 4103155213 |
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