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つながりの強いひと
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大錦一徹
大錦一徹(おおにしきいってつ、1953年9月11日-)は新潟県佐渡郡羽茂町(現・佐渡市)出身の元大相撲力士。出羽海部屋所属。本名は尾堀盛夫。身長186cm、体重... |
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栃光正之
熊本県牛深市(現在の天草市牛深町)出身の大相撲力士。春日野部屋所属で、最高位は大関。身長176cm、体重128kg。得意手は押し、左四つ、寄り、上手投げ。 |
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北の湖敏満
北海道有珠郡壮瞥町出身で三保ヶ関部屋所属の元大相撲力士、第55代横綱。引退後は、一代年寄北の湖となる。現在日本相撲協会理事。第9代日本相撲協会理事長(2... |
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麒麟児和春
千葉県東葛飾郡(現:柏市)出身の元大相撲力士。二所ノ関部屋所属、最高位は関脇。現役時代の体格は182cm、145kg。現在は年寄・北陣(二所ノ関部屋付き)、日... |
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三重ノ海剛司
三重県松阪市出身で出羽海部屋所属の元大相撲力士、第57代横綱。本名は石山五郎(いしやまごろう)、現役時代の体格は身長181cm、体重135kg。現在は年寄・14... |
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栃錦清隆
東京府南葛飾郡(現在の東京都江戸川区)出身の大相撲の第44代横綱。本名、大塚清(おおつかきよし)(のちに栃木山の養子になり、中田姓)。身長178cm、体重... |
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輪島大士
石川県七尾市出身で花籠部屋所属の元大相撲力士、第54代横綱、全日本プロレス所属の元プロレスラー、元タレント。本名は輪島博(わじまひろし)。血液型はA型... |
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琴光喜啓司
愛知県岡崎市出身で元大相撲力士。最高位は東大関。本名は田宮啓司(たみやけいじ)。大相撲野球賭博問題にて解雇処分された。 |
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朝青龍明徳
モンゴル国ウランバートル市出身の元大相撲力士、第68代横綱。現在は実業家、タレントとしてマルチに活躍している。本名はドルゴルスレンギーン・ダグワドル... |
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牧瀬里穂
日本の女優。福岡県福岡市博多区生まれ。ブルーミングエージェンシー所属。1989年(平成元年)、武田薬品工業主催の「ミスビタミンCハイシーガールコンテスト... |
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貴ノ花利彰
青森県弘前市出身の大相撲力士。現役時は二子山部屋所属であった。血液型はB型。本名は花田満(はなだみつる)。身長183cm、体重114kg。最高位は大関。名横綱... |
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隆の里俊英
青森県南津軽郡浪岡町(現在の青森市)出身で二子山部屋所属の元大相撲力士、第59代横綱。本名は高谷俊英(たかやとしひで)、現役時代は身長183cm、体重159k... |
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栃赤城雅男
群馬県沼田市出身の元大相撲力士。春日野部屋所属。最高位は東関脇。本名は金谷雅男。身長180cm、体重138kg。得意手は右四つ、小手投げ。 |
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栃木山守也
大正時代に無敵を誇った大相撲の第27代横綱。第22代横綱太刀山と並ぶ「大正の大横綱」。栃木県下都賀郡赤麻村(現在の栃木市藤岡町赤麻)出身。本名:横田(... |
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把瑠都凱斗
エストニア・ソビエト社会主義共和国(現在のエストニア共和国)ラクヴェレ県エバベレ村出身で尾上部屋(入門時は三保ヶ関部屋)所属の現役大相撲力士。本名... |
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千代の富士貢
大相撲元力士で、第58代横綱。北海道松前郡福島町出身。身長183cm、体重127kg。現在は年寄・九重。現役時代の異名・愛称はウルフ、大将。血液型はA型。岳父は... |
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富士櫻栄守
山梨県甲府市出身で、1970年代から1980年代にかけて活躍した大相撲力士。高砂部屋に所属していた。最高位は西関脇(1974年3月場所、1978年9月場所)。現役時... |
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琴櫻傑將
鳥取県東伯郡倉吉町(現在の倉吉市)出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士、第53代横綱。本名は鎌谷紀雄(かまたにのりお)、現役時代は身長182cm、体重150k... |
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旭國斗雄
立浪部屋所属の元大相撲力士。最高位は大関。北海道上川郡愛別町出身で農家の三男として生まれる。本名は太田武雄(おおたたけお)、現役時代の体格は身長174... |
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プロフィール
金城興福(かねしろこうふく、本名は四股名と同じ、1953年2月27日-2002年12月29日)は、宮崎県児湯郡高鍋町出身で、1970年代から1980年代にかけて活躍した春日野部屋に所属の大相撲力士。1979年3月場所から1985年1月場所まで、大関・ 栃光正之にちなんだ栃光興福(とちひかりこうふく)の四股名に改名していたため、一般的には「栃光」の四股名で知られていることも多い。最高位は西関脇(1977年7月場所)。現役時代の体格は184cm、144kg。得意手は右四つ、寄り、下手投げなど。
来歴
| 宮崎日本大学高校では柔道、レスリングで活躍。 |
| 在学中にRKB毎日放送の社員に見出され、そこからTBSの小坂秀二アナウンサーを通して春日野親方(元横綱・栃錦)に紹介された。 |
| 実業家の父親の意向もあり、これを機に高校を2年生途中で中退し、春日野部屋に入門。 |
| 1969年9月場所で初土俵を踏んだ。 |
| 同期の初土俵には、後の前頭・白竜山らがいる。 |
| 序ノ口当初より、本名でもある「金城」を四股名としていた。 |
| 以来順調に番付を上げ、1974年9月場所にて、21歳で新入幕を果たした。 |
| 同時期に活躍した北の湖・若三杉(のち2代若乃花)・麒麟児・大錦と同じ1953年生まれで、これら4人と共に「花のニッパチ組(「ニッパチ」の語源は、生年の「昭和28(1953)年」)」と呼ばれた。 |
| 柔軟な体質と重い腰を持っており将来の大関候補として期待され、1979年1月場所後、春日野部屋出身の先輩と同じ「栃光」の四股名を襲名した。 |
| 先代・栃光(引退後、年寄・千賀ノ浦を襲名したが、1977年3月に死去)は、隣県の熊本出身ということもあり、親方時代によく可愛がってくれたという。 |
| しかし、その後は半身相撲で攻撃に積極性がないことが災いして(稽古不足が指摘される面もあった)成績は大きく伸びず、自分より番付上位の力士には歯が立たない状態が続いた。 |
| 特に北の湖とは29回対戦して一度も勝てず、これは一方的な連続敗戦の記録となっている。 |
| 他にも対若乃花は2勝29敗、対三重ノ海は2勝17敗、対輪島は2勝15敗(初顔から連続金星の後15連敗)など上位陣に対する成績の悪さ故に三役で安定した成績が挙げられず、結局三役に定着できないまま終わった。 |
| 半身になって相手の出方を待って下手投げを打つのが得意で、よく無用な蹴手繰りや蹴返しも見せていた。 |
| 番付下位の力士に対しては安定した成績を挙げ、怪我も少なく、新入幕の場所から59場所連続で約10年もの間にわたり幕内の地位を保った。 |
| 再入幕を果たした1985年1月場所では、2勝13敗と大きく負け越して1場所で十両に陥落し、同場所限りで「栃光」の四股名も返上して元の「金城」の名に戻した。 |
| その後は十両で2年以上取り続けたが幕内復帰は果たせず、東十両12枚目で2勝13敗と惨敗し幕下陥落が濃厚となった1987年5月場所を最後に34歳で現役を退いた。 |
| 関取としての実績は申し分なく、年寄として角界に残る資格は十分満たしていたものの、金銭トラブルなどで年寄株を得られなかったことに加え、当時の年寄(親方)の定員に空きがなかったため、角界に残らずに廃業することとなった。 |
| 廃業後はサラリーマン生活を経て、愛知県春日井市で現役時代の四股名を店名とした相撲料理店「栃光」を出店し、後には大阪府や宮城県仙台市にも支店を出して経営の規模を広げ、経営者として多忙な日々を送った。 |
| 本人ならびに「栃光」従業員一同が「ちゃんこちゃんこの栃光」(当時、牧瀬里穂が味の素のCMで発していた同社のキャッチコピー、「ちゃんとちゃんとの味の素」のパロディー)とPRする版や「ごっつあんです!元・関脇、栃光です!今は、ちゃんこの横綱を目指してます!」と本人の威勢の良いナレーションが付けられた版のテレビCMも、名古屋地区や宮城県で1990年代の一時期オンエアされていた。 |
| 2002年12月29日、心筋梗塞のため49歳の若さで逝去。 |
エピソード
| 上述の通り、北の湖には本場所では一度も勝てなかった。 |
| しかし1982年2月に蔵前国技館で行われた「第6回日本大相撲トーナメント」では、準決勝で北の湖を破って決勝に進出し、決勝では若乃花を破って優勝を果たしている。 |
| 履歴明確な宮崎県出身者としては、第1号の関脇昇進力士である。 |
| 本名の「金城」で小結・関脇に、改名後の「栃光」でも小結に在位した経験がある。 |
| 奇遇にも、幕内在位場所数は、先代の栃光と同じ「60場所」であった。 |
主な戦績
| 幕内成績:412勝488敗勝率.458。 |
| 通算成績:683勝724敗22休勝率.485。 |
| 現役在位:106場所。 |
| 幕内在位:60場所(うち関脇1場所、小結6場所)。 |
| 三賞:敢闘賞3回(1977年3月場所、1979年1月場所、1980年5月場所)。 |
| 金星:2個(輪島2)。 |
改名歴
| 金城興福(かねしろこうふく、1969年11月場所-1979年1月場所、1985年3月場所-1987年5月場所(廃業))。 |
| 栃光興福(とちひかり-、1979年3月場所-1985年1月場所)。 |
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1977年
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死去)は、隣県の熊本出身ということもあり、... |
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1982年
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蔵前国技館で行われた「第6回日本大相撲トー... |
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金城興福さんについてのひとこと紹介
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