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つながりの強いひと
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黄順元
詩人として出発した抒情的感性から来るのかもしれない。50年代以降、党派文学に対する批判が起こる韓国文壇で、感受性で美学を形象化してきた黄は純文学のひ... |
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姜尚求
『 板門店 』 著者: 李浩哲 /姜尚求 出版社: 作品社 サイズ: 単行本 ページ数: 194p 発行年月: 2009年05月 【内容情報】(「BOOK」データベースより) ... |
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吉田美智子
ソリスト、伴奏ピアニスト、教会オルガニストとして演奏活動する傍ら、秋元音楽院及び、ヤマハ音楽教室システム講師として後進の指導にあたる。 レパートリー... |
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金東仁
作家の主観とか賢言が省かれた客観と正確を試み、李光洙の文章には見られなかった洗練されたものを匂わせている。 |
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大村益夫
老子・列子 奥平卓,大村益夫訳 徳間書店 2008.7 十八史略 [曽先之][著] ; 『中国の思想』刊行委員会編訳 ; 奥平卓,和田武司訳 徳間書店 2006.12 ... |
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康信哉
この燦爛たる悲哀を 著者名: 康信哉/新太陽 刊行年: 昭41 韓国書 精装 B6 315頁 No. 32493 価格: 2,100円 この商品は 2011年7月28日 木曜日 にカタログ... |
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徐廷柱
1944年8月発刊された『国民文学』に日本語で掲載された。 未堂はこの詩で「ああ、うれしい、うれしい/犠牲は私でなければ誰にも代わりはできない」とし、太... |
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金東錫
戦争文学 を執筆する傍ら、文学の振興に努めた。 1990年 、 脳卒中 で倒れ、 1995年 6月17日 、逝去した。 1999年 、韓国芸術評論家協議会選定「20世紀を照... |
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金史良
朝鮮の小説家。本名は金時昌(キム・シチャン)。日本語・朝鮮語両方で創作した。「在日朝鮮人文学」の先駆的存在である。 |
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朴泰遠
川辺の風景 朴泰遠/著 牧瀬暁子/訳 出版社名 : 作品社 出版年月 : 2005年9月 ISBNコード : 978-4-86182-045-8
( 4-86182-045-6 ) 税込価格 :... |
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李泰
中国の唐の太宗李世民の四男。字は恵褒。魏王となり、のちに濮王に立てられた。太宗に愛されたが、皇太子李承乾と争い、追放された。 |
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長璋吉
普段着の朝鮮語 作家: 長璋吉 250円 (新品定価: 725 円 → 475円おトク) 在庫なし 長璋吉の在庫あり商品を探す お気に入りに追加 この商品をお友達に紹... |
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李光洙
李光洙(イ・グァンス、1892年3月5日-1950年10月25日)は朝鮮の文学者、思想家である。「朝鮮近代文学の祖」とも言われる。号は「春園」(チュンウォン、춘원... |
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李箱
李箱(イサン、1910年9月14日(陰暦8月20日)-1937年4月17日)は朝鮮の詩人、小説家。本名は金海卿。本貫は江陵李氏。その難解で過度に自己中心的な作風は「... |
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朴景利
大韓民国 の女性 小説家 。 概説 慶尚南道 統営 生まれ。 1980年 から 江原道 原州市 で執筆活動をしていた。2008年 4月4日 に脳卒中で入院した後、意識不明... |
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李孝石
李孝石(りこうせき、1907年2月23日-1942年5月25日)は朝鮮の小説家。号は可山。兪鎮午に「小説の形式で詩を吟じた作家」と評され、郷土の美しさを詩のような... |
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金裕貞
金裕貞(キム・ユジョン、1908年1月18日-1937年3月29日)は日本統治時代の朝鮮の小説家。江原道春川市新東面曾瓦里(シルレマウル)出身。 |
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金素雲
韓国釜山出身の詩人。本名は金教煥、筆名は鉄甚平(てつ・じんぺい)。号は巣雲、三誤堂。詩人・作家の北原綴は息子。歌手の沢知恵は孫。 |
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金源一
■ 金源一のパブロ・ピカソ ■ 金 源 一 (著者) ■ イルム (刊行) ■ 本の紹介 - 小説家金源一が長年の夢だったパブロ・ピカソの絵と人生話を解いた。一世紀も年... |
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プロフィール
- 金東里とは
- 略歴
- 年譜
- 短篇小説
- 中・長篇小説
- 詩歌
- 日本語で読める作品
金東里(キム・ドンニ、1913年11月24日-1995年6月17日)は、韓国の小説家。本名は金始鐘( キム・シジョン)。純文学を追求し、文学における政治性を排除しようとする態度が金の作品に一貫して見られる。シャーマニズムともニヒリズムとも形容される、韓国文壇の第一人者である。
略歴
| 1913年11月24日、慶尚北道慶州市城乾里に生まれる。 |
| 父は金壬守。 |
| 3人兄弟の末子。 |
| 長兄の金基鳳は漢学者。 |
| 次兄は金英鳳。 |
| 1934年、『朝鮮日報』新春懸賞募集に「白鷺」が入選し、文壇にデビュー。 |
| 1935年、短篇『花郎の末裔』が『中央日報』新春文芸に当選し、ここから作家活動が始まった。 |
| 金は賞金50円を持って多率寺に入る。 |
| 夏には海印寺に移り、創作に専念した。 |
| この頃、李周洪、許民、崔仁旭、趙演鉉、洪九範と交遊もある。 |
| 金のデビューした頃は、朝鮮文人にとって暗黒の時期であった。 |
| 1934年にはKAPF(朝鮮プロレタリア芸術家同盟)の作家たち7,80名が一斉検挙に遭い、1938年には朝鮮語の教育が全面禁止になり、さらに3年後の1941年には『朝鮮日報』『東亜日報』も廃刊の憂き目に合った。 |
| しかし、金の代表作品はこの暗黒時期に最も輝くのである。 |
| 解放後も執筆活動は続くが、その文学の世界はこの時期に固められたものである。 |
| 現在では純文学作家として知られる金も、1936年、『東亜日報』の新春文芸に当選した「山火」はプロレタリア思想の強い作品であった。 |
| 当時のプロレタリア文学弾圧によって、金も求める世界観を純文学に向けた。 |
| そこには虐げられる農民の深層的な意識の世界を強く支配しているシャーマニズムが見られる。 |
| 金は現実の批判と告発を文学作業の中から除き、人間的存在様式だけを抜き出した。 |
| 1937年、徐廷柱、金達鎮らと同人雑誌『詩人部落』を創刊。 |
| 同年に、多率寺の伝道館を借りて「光明学院」を創立し、子供の教育に当たった。 |
| 1940年、日帝下の御用文化団体である、朝鮮文人協会、国民文学総盟などの加入を拒否、逆にこのような親日的な行為から文学の純粋性を主張する評論「純粋意義」「新世代文学精神」を発表する。 |
| それに対して、日帝当局は『少女』『下弦』を検閲で全文削除させ、1942年、「光明学院」を閉鎖させ、また、長兄の金基鳳を拘束した。 |
| このような一連の事件に絶望し、1942年、筆を投げて満州を放浪する。 |
| 1945年、解放後直後の左右対立の渦中、いち早く民族陣営に立った。 |
| 1946年、趙芝薫らと韓国青年文筆家協会を結成、会長に就任するとともに、金秉逵、金東錫ら左翼文学者に対する批判を展開する。 |
| 党の政治目的に隷属する左翼文学は金の純文学の純粋性を維持する考えと対立した。 |
| その文学理論が韓国文壇に及ぼした影響は大きい。 |
| 朝鮮戦争停戦後は、戦争文学を執筆する傍ら、文学の振興に努めた。 |
| 1990年、脳卒中で倒れ、1995年6月17日、逝去した。 |
| 1999年、韓国芸術評論家協議会選定「20世紀を照らした韓国の芸術家()」に選ばれた。 |
年譜
| 1913年11月24日、慶尚北道慶州市城乾里に生まれる。 |
| 1920年、大邱の第一教会付属学校に入学。 |
| 1926年、大邱の啓聖中学校に入学。 |
| 1926年、父、金壬守が死亡。 |
| 1927年、京城の儆新高等普通学校に3年次編入する。 |
| 1929年、儆新高等普通学校を中退し、帰郷する。 |
| 1934年、『朝鮮日報』新春懸賞募集に「白鷺」が入選する。 |
| 1935年、多率寺に入る。 |
| 夏には海印寺に移り、創作に専念する。 |
| 1936年、上京するも、京城の生活に失意し、再び入山。 |
| 多率寺にこもる。 |
| 1937年、徐廷柱、金達鎮らと同人雑誌『詩人部落』を創刊。 |
| 1937年、多率寺の伝道館を借りて「光明学院」を創立し、子供の教育に当たる。 |
| 1940年、朝鮮文人協会、国民文学総盟などの加入を拒否。 |
| 1942年、「光明学院」が日帝の弾圧により閉鎖。 |
| 1942年、満州に移る。 |
| 1945年、泗川青年会の会長になる。 |
| 1946年、趙芝薫らと韓国青年文筆家協会を結成、会長に就任。 |
| 1947年、『京郷新聞』文化部長に就任する。 |
| 1948年、『民国日報』編輯局長になる。 |
| 1949年、純文学雑誌『文芸』の主幹になる。 |
| 1949年、韓国文学家協会、小説分科委員長になる。 |
| 1949年、ソウル大学校芸術大学の講師を務める。 |
| 1949年、高麗大学校文科大学の講師を務める。 |
| 1950年、文教部芸術委員、ソウル市文化委員になる。 |
| 1952年、韓国文学家協会の副委員長になる。 |
| 1953年、ソラボル芸術初級大学の教授に就任する。 |
| 1953年、韓国ユネスコ委員になる。 |
| 1954年、芸術員会員になる。 |
| 1955年、第3回アジア自由文学賞を受賞。 |
| 1967年、三・一文化賞芸術部門本賞を受賞。 |
| 1968年、『月刊文学』を創刊。 |
| 1968年、大韓民国国民勲章柊柏賞を受賞。 |
| 1970年、韓国文人協会、理事長になる。 |
| 1970年、ソウル市文化賞を受賞。 |
| 1970年、大韓民国国民勲章牡丹賞を受賞。 |
| 1972年、中央大学校芸術大学の学長に就任。 |
| 1982年、仏教児童文学会の会長になる。 |
| 1986年8月、檀君開国碑建立推進委員会の委員長になる。 |
| 1989年、韓国文人協会の名誉会長になる。 |
| 1990年、脳卒中で倒れる。 |
| 1995年6月17日、逝去。 |
短篇小説
| 1935年、 (『中央日報』新春文芸)。 |
| 1936年、 (『東亜日報』新春文芸)。 |
| 1936年、 (『中央』)。 |
| 1936年、 (『新東亜』)。 |
| 1936年、 (『朝光』)。 |
| 1936年、 (『中央』)。 |
| 1937年、。 |
| 1937年、。 |
| 1937年、。 |
| 1937年、。 |
| 1937年、。 |
| 1937年、。 |
| 1937年、。 |
| 1937年、。 |
| 1940年、 (日帝当局の検閲により削除)。 |
| 1940年、 (日帝当局の検閲により削除)。 |
| 1946年、。 |
中・長篇小説
| 1949年、 (『東亜日報』に連載)。 |
| 1955年、 (『現代文学』に連載)。 |
| 1960年、 (『韓国日報』に連載)。 |
| 1968年、 (『中央日報』に連載)。 |
日本語で読める作品
| 古山高麗雄編「等身仏」『韓国現代文学13人集』新潮社、1981年。 |
| 姜尚求訳「帰還壮丁」『韓国の現代文学5』柏書房、1992年。 |
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1913年
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慶尚北道慶州市城乾里に生まれる |
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1920年
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大邱の第一教会付属学校に入学 |
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