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通蔵主
「 西陣南帝 」を除いて逆賊吉野朝は、日本帝國歴史から姿を消す。 [ 編集 ] 関係事項 逆賊南朝 逆賊吉野朝 南北朝時代 吉野朝時代 " http://veritas... |
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日野有光
室町時代前期の公卿。父は権大納言の日野資教。子に日野資親。号を祐光。足利義満の縁戚でありその寵愛を受け、後に娘は称光天皇の妃となった。1417年(応永2... |
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後花園天皇
室町時代の第102代天皇である(在位:正長元年7月28日(1428年9月7日)-寛正5年7月19日(1464年8月21日))。諱を彦仁(ひこひと)という。 |
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後醍醐天皇
第96代天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日)-延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))。諱は尊治(たかはる)。 |
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尊秀王
南朝の再建を図った後南朝の最後の指導者。ただし尊秀なる実名は後世の系図類によるもので、信ずるにたりない。紀伊北山によったので便宜上北山宮とも称する... |
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左大臣
朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅(たいふ)」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」... |
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後亀山天皇
南北朝時代の第99代天皇にして、南朝最後の第4代天皇(在位:弘和3年/永徳3年(1383年)冬-元中9年/明徳3年閏10月5日(1392年11月19日))。諱を熙成(ひろな... |
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大覚
南北朝時代の日蓮宗の僧。名は妙実。近衛家の出と言われ、初めは真言宗の僧であった。1313年(正和2年)京都布教中の日像の説法に共感し、宗派を改め弟子とな... |
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足利義満
足利義満(あしかがよしみつ)は室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年-1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。封号は日本国王。... |
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後小松天皇
室町時代北朝最後の第6代、歴代第100代の天皇(在位:永徳2年/弘和2年4月11日(1382年5月24日)-応永19年8月29日(1412年10月5日))。諱は幹仁(もとひと)。 |
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後村上天皇
南北朝時代の第97代、南朝第2代天皇(在位:延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日)-正平23年/応安元年3月11日)。諱は初め義良(のりよし/のりなが)、後... |
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長慶天皇
南北朝時代の第98代天皇にして、南朝の第3代天皇(在位:正平23年/応安元年(1368年)3月-弘和3年/永徳3年(1383年)冬)。諱を寛成(ゆたなり)という。南朝... |
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護聖院宮
室町時代に存在した南朝系の世襲宮家の一つ。後村上天皇の皇子で、後亀山天皇の東宮(皇太弟)であった某親王を家祖とするが、近年の研究においては、これを... |
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忠義王
kotobank > 忠義王とは 忠義王 【ちゅうぎおう】 2件の用語解説(忠義王で検索) Tweet 朝日日本歴史人物事典 の解説 生年:生年不詳 没年:... |
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建武
後漢の光武帝劉秀の治世に行われた最初の元号。25年-56年。建武32年(56年)は4月に改元され、建武中元元年となった。この元号は、漢王朝を再興した際に初め... |
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中興天皇
室町時代 前期の 公卿 。父は 権大納言 の日野資教。子に日野資親。号を祐光。 足利義満 の縁戚でありその寵愛を受け、後に娘は 称光天皇 の妃となった。 14... |
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小倉宮聖承
室町時代前期の皇族であり、後南朝勢力の中心人物。南朝最後の天皇である後亀山天皇の孫で、小倉宮恒敦(恒敦宮)の子。聖承は出家後の法名であり、俗名は不... |
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足利義勝
室町時代中期の室町幕府第7代将軍(在任:1442年-1443年)。6代将軍足利義教の嫡男。生まれてすぐに政所執事伊勢貞国の屋敷で養育されたが、嘉吉元年(1441年... |
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足利義政
室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年-1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟... |
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足利義教
室町時代中期の室町幕府第6代将軍(在職:1428年-1441年)。3代将軍足利義満の3男。母は側室の藤原慶子で、4代将軍足利義持の同母弟。僧侶時代は義円、還俗直... |
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プロフィール
金蔵主(こんぞうす、生年未詳-嘉吉3年(1443年)9月?)は後南朝初代の象徴的指導者。出自についてはよくわかっておらず、 護聖院宮( 後亀山天皇の弟)の孫、もしくは小倉宮( 後亀山天皇の子)の子。別名「 尊義王」、「 中興天皇」、「空因」ともいうが、後世の系図類によるもので信ずるにたりない。
概要
| 金蔵主・通蔵主の兄弟、源尊秀、日野有光、日野資光らは室町時代の1443年(嘉吉3年)9月24日、後花園天皇の暗殺をねらい京都御所に乱入した。 |
| 金蔵主らは内裏を襲撃して火をかけ、後花園天皇は左大臣の近衛忠嗣の邸に避難した。 |
| 金蔵主らと幕府側との戦闘も行われている。 |
| 金蔵主らは三種の神器の剣と神璽を奪い、後醍醐天皇の先例を模して比叡山に逃れ、根本中堂に立て篭もる。 |
| 朝廷から追討令が出ると、数日のうちに幕府軍や協力を拒んだ山徒により鎮圧された。 |
| このときに金蔵主は討たれた。 |
| 日野有光らも討たれ、一部は逮捕されて処刑・流罪、また行方不明となったものもいた。 |
| しかし後世、金蔵主は討死にせず吉野北山で崩御したという伝説もとなえられた。 |
| 金蔵主は禁闕の変において山名氏や細川氏の支援を受けていたという説がある(山名氏・細川氏の関与が疑われた記録が残っている)。 |
| 禁闕の変で奪った神器のうち、剣は清水寺で発見され北朝の元に戻るが、神爾はそのまま後南朝のもとにあった。 |
| 15年後の1457年(長禄元年)、嘉吉の乱で没落した赤松氏の遺臣が長禄の変で神爾を奪い返し、翌年には神爾は北朝の手に戻っている。 |
| なお、中興天皇と称して嘉吉3年10月に即位、後南朝の初代天皇となったという説もあるが、この事は同時代史料では確認できない。 |
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金蔵主さんについてのひとこと紹介
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