| 幼少期は病弱で入退院を繰り返す日々を送る。 |
| 小さい頃から8ミリカメラで映画を撮るのが好きであった。 |
| 北海道長沼高等学校を経て、北海学園大学法学部に入学。 |
| しかしそこで演劇に出会い、酒と演劇に溺れ大学を中退。 |
| その後「ノーティキッズ」、「劇団487パラシュート」などいくつかの劇団を立ち上げた後、「劇団OOPARTS(1990年旗揚げ、1998年完全消滅(解散ではないらしい))」を主宰。 |
| 当時300人収容の札幌本多小劇場や倉庫などの芝居小屋が当たり前だった札幌演劇界の中、700人収容の道新ホールなど大ホールで公演。 |
| 地元北海道では「1000人の客を集められる男」として演劇界にその名を知られた。 |
| 最近は鈴井自身が舞台などの場において芝居をすることは殆どないが、その昔は他を圧倒するような演技だったといわれる。 |
| 1991年秋に札幌本多小劇場で行った初の一人芝居では、ガラスを割ったりエキストラに殴られるなどの過激なシーンが乱発。 |
| 自らの体に保険をかけたほどの意欲作。 |
| なお、演劇一筋だった20代は恐ろしいほどの極貧生活を送っていたという。 |
| 1992年、役者が芝居に集中できる環境を作るためにCREATIVEOFFICE CUEを設立、代表取締役社長に就任する。 |
| 当初は鈴井だけであった所属タレントも年を経るごとに増え、現在では自らを含めた10人のタレントと3組のアーティストが所属する事務所となった。 |
| 演劇活動、芸能事務所経営と並行して、在札局のテレビ・ラジオ番組の出演・企画・構成を手掛け、AIR-G'では、夕方の帯番組「GO・I・S」を9年余り担当。 |
| その後、彼を北海道内で有名にしたのは、自ら企画し、所属俳優の大泉洋、当時HTBアナウンサーであった森田政仁などと共に出演した北海道テレビ放送(HTB)制作の深夜番組「モザイクな夜」である。 |
| そして、全国的人気を獲得することになるきっかけとなったのが出演・企画・構成をした「水曜どうでしょう」である。 |
| 北海道以外でもその内容が話題になり、道内での本放送が終了した後も、テレビ朝日系列を中心とした地方局や関東・関西のUHF局で放送され、DVDによる販売では記録的な大ヒットとなっている。 |
| かねてから映画を撮る夢を持っており、2001年には初映画監督作品man-holeを公開。 |
| 第10回あきた十文字映画祭で北の十文字賞、第15回福岡アジア国際映画祭2001で審査員特別賞を受賞する。 |
| また、ベルリン国際映画祭正式出品作品、金鶏百花映画祭2002公式招待上映作品と海外でも上映された。 |
| その後も「river」、「銀のエンゼル」を製作、国内外の映画祭に次々と出品している。 |
| 2004年8月にはアテネに行き、北海道テレビ放送の小野優子アナウンサーと五輪応援企画「アテネGEKIJO」の現地メインキャスターを務めた。 |
| 2005年、韓国への映画留学のため芸能活動を中断。 |
| これに伴いGO・I・Sの後継番組であったKINGGO・I・Sは終了し、ぽっぷこ~んシネマは音尾琢真に譲る形で降板、1年間タレントとしての活動を休止した。 |
| 韓国ではカク・キョンテク監督の映画「タイフーン」に参加。 |
| 10ヶ月もの間プロデューサー待遇でロケ現場、編集など製作現場のほぼ全てに参加し映画制作に携わる。 |
| 帰国後の第一号作「リーディングドラマ第一章"DIARY~失ったガラスの靴を探して…"」の作・演出として約10年振りに本格的に舞台演出家としての活動を始めた。 |
| 舞台役者としては98年のOOPARTS消滅を以って引退していたが、「CUEDREAMJAM-BOREE2006」では、プロデューサーたる大泉の策略によって同イベント限定ではあるが8年ぶりに舞台復帰した。 |
| また、AIR-G'のHOME&AWAYでレギュラー番組が復活し、本格的に芸能活動を再開させる。 |
| アルバイト北海道のCMをプロデュースしたり、JTB北海道のイメージキャラクターに起用されるなど、留学前とはまた違った活躍をしている。 |
| 北海道以外からタレントとしてのオファーがあり、2006年3月にはエフエム青森の特別番組のメインパーソナリティーとして出演。 |
| 同じく2006年10月より、DateFM(FM仙台)をキー局とした東北6県ブロックネットで「北風小僧(土曜20:00〜20:55)」が放送されていた。 |
| 2008年11月より、待望の監督第四作『銀色の雨』がクランク・イン、同年12月にクランク・アップした。 |
| 本作は鈴井にとって初の原作物(浅田次郎の同名短編小説)であり、これまで地元での撮影にこだわってきた鈴井が、初めて道外(鳥取県米子市)を舞台とする映画を制作した。 |
| 2009年、ドキュメント番組にて劇団OOPARTS再結成を宣言した。 |
| 2010年10月にはプロジェクト第一弾として舞台公演『CUT』の上演を行った。 |