| 鈴木のプロレスとの出会いはプロレスゲーム「ファイヤープロレスリング」で、最初に愛用するようになったキャラクターは三沢光晴をモデルとした「氷川光秀」だった。 |
| 実際の三沢をテレビ中継で目の当たりにし、憧憬の対象とするのはその後のことである。 |
| 小学校時代は卓球部に在籍し、中学・高校は柔道部に在籍した。 |
| 中学時代には既にプロレス技の練習にも励んでおり、三沢が扮する2代目タイガーマスクを真似しプランチャやタイガードライバーを決めていたほか、ムーンサルトプレスにも成功していたという。 |
| 日本体育大学ではジムで体作りに励みながらその間に柔道以外の格闘技も経験。 |
| 三沢に憧れて、2001年3月に旗揚げして間もないプロレスリング・ノアの入門テストを受験し、約200人の応募者の中から合格。 |
| さらには、練習生の段階から三沢の付け人となった。 |
| 当時の合格者4人の中で唯一デビューまでこぎつけ、2001年12月24日のディファ有明大会の対佐野巧真・金丸義信戦でデビュー(パートナーは池田大輔)、ノア生え抜き第1号となる。 |
| デビューと同時に三沢がリーダーを務める「WAVE」に加入。 |
| デビュー当初は本名で出場していたが、2002年2月2日のディファ有明大会より鈴木鼓太郎に改名。 |
| 「太鼓のように打たれ強く、打てば響く選手に」との願いをこめて三沢が命名した。 |
| 2004年11月20日、最初で最後となった三沢とのシングル戦では、本家にタイガードライバーを決めたものの、最後はエメラルドフロウジョンに敗れた。 |
| 2005年3月5日にはZERO1-MAXの大谷晋二郎・高岩竜一戦の三沢のパートナーとして指名された。 |
| 2004年末に登場したタイガー・エンペラーと、2005年7月18日の東京ドーム大会で登場したムシキング・テリーの正体と噂されているが、真相は不明であるただし2009年12月23日、ムシキング・テリーと対戦しており、このテリーが別人であるかは不明。 |
| クリスマス大会恒例のプレゼントVTRでは、鈴木、テリー、エンペラーの3人が肩を組んで出演したこともある。 |
| 公式発表がない限り、断言は避けるべきかと。 |
| 2007年1月21日、4度目の挑戦で自身初のタイトルとなるGHCジュニアヘビー級タッグ王座を獲得した。 |
| 2007年7月、団体初の公式リーグ戦である、日テレ杯ジュニアタッグリーグ戦に、リッキー・マルビンと共に参加。 |
| 日本武道館での最終戦にて、引き分けという結果に不完全燃焼をおこした観客からノアでは珍しい程の大ブーイングを受けたこのブーイングについては、前試合後の発表で優勝決定戦が煽られていながらも引き分け決着となった結果への団体への不満と、25分過ぎに初めてフォール狙いの技をする等、時間切れ決着を初めから狙ったかのようなファイトをした鼓太郎チーム双方へのブーイングとも言える。 |
| 2008年6月29日の後楽園ホール大会で鼓太郎が盟友のリッキー・マルビンに強烈なイス攻撃を喰らわしコンビ解消。 |
| その後金丸と握手をし、金丸と平柳と組むことを選んだ。 |
| 同年7月13日、博多スターレーン大会でKENTA&石森太二組が保持するGHCジュニアヘビー級タッグ王座に金丸義信と挑戦し31分の激闘の末に、レクイエムでKENTAからフォール勝ちをし王座奪取試合中にセコンド平柳玄藩の介入行為があったため、試合後、観客からブーイング、物が投げ込まれるなどした。 |
| その後はヒール道を邁進、12月7日の再戦ではKENTAを血祭りにして返り討ちに成功。 |
| その実績を買われて、2009年1月25日の後楽園ホール大会のメインでGHCジュニア王座に挑戦。 |
| 結果は惜敗したが、急所蹴り・鉄柱攻撃・凶器攻撃・目潰し・セコンド介入・西永秀一レフェリーへの誤爆などでKENTAをまたしても大流血に追い込む悪行三昧で新境地を開拓することに成功。 |
| 3月からは新ユニット「DISOBEY」の一員としてモハメド・ヨネ・力皇猛・金丸義信・平柳玄藩と共闘、これにより鈴木は悪行にも一段と磨きがかかり、完全に極悪路線へと進んでいった。 |
| ところが6月13日、試合中のアクシデントにより師匠の三沢光晴が急死。 |
| これをきっかけに今までのヒールファイトを封印し、三沢のファイトを受け継ぐと天国の三沢と約束した。 |
| 2009年12月23日、ムシキング・テリーとの試合中のアクシデントにより左膝前十字靭帯断裂および内側側副靭帯を損傷した。 |
| それもあり、金丸と保持するGHCジュニアヘビー級タッグ王座を返上した。 |
| 2010年9月18日の大阪大会における8人タッグマッチにおいて、金丸へのエルボー誤爆によりディスオベイを強制離脱。 |
| 袋叩きの状況を小川良成によって助け出され、以後は小川と共闘。 |
| 10月30日、潮崎豪・小川と共に新ユニット「潮崎軍」を結成する。 |
| そして12月5日、日本武道館においてV7を目指した因縁の金丸を14分49秒・タイガードライバーで仕留め、念願のGHCジュニア王座を獲得。 |
| その後、2011年に入ってエドワーズ・平柳・中嶋・石森・マルビン・ストロング・金丸を退けて7度の防衛に成功している。 |
| 2011年4月、反体制ユニット「NOMERCY」の対抗勢力として「ANTINOMERCYUNION」(略称・ANMU)を結成し、リーダーとなる。 |