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つながりの強いひと
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佐伯有義
富山県出身の神職、神道学者である。慶応3年(1867年)10月、代々立山雄山神社の祠職を勤める佐伯有久の子として、富山県中新川郡立山村に生まれる。明治15年... |
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香川景樹
江戸時代後期の歌人。父は鳥取藩藩士荒井小三次。初名は、純徳・景徳。通称は銀之助・真十郎・式部・長門介。号は桂園(けいえん)・東塢亭(とううてい)・... |
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山田以文
師事
山田以文 やまだ-もちふみ   1762-1835 江戸時代後期の国学者。 宝暦12年1月生まれ。山田有年の祖父。京都吉田神社の禰宜(ねぎ)。藤貞幹(とう-ていかん)... |
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伴信友
江戸時代の国学者である。幼名は惟徳。通称は州五郎。号は事負。博覧強記で、古典の考証に優れていた。平田篤胤、橘守部、小山田与清とともに、「天保の国学... |
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福田安典
■ 研究者情報 学部学科 日本女子大学 文学部 日本文学科 職種 教授 氏名(カナ) フクダ ヤスノリ 氏名(漢字) 福田 安典 生年月 1962 年... |
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矢野玄道
伊予国喜多郡阿蔵村有松(現、愛媛県大洲市)の国学者・神道学者である。幼名は茂太郎、道号は天放散人、子清、神臣、谷倶久、後楽閑人、扶桑眞人倚松、谷蟆... |
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宮地直一
神道学者。高知県出身。東京帝国大学国史学科卒。内務省神社局考証課長、東京帝大講師(国史)、1938年東京帝大教授(神道講座)。46年定年退官。戦後はGHQと... |
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井上頼国
東西年表 新補 著者名: 井上頼国・大槻如電 出版元: 六合館 冊数: 1冊 刊行年: 昭2 函 A5 No. 7840 価格: 4,000円 連想検索による関連商品
新異国... |
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小杉榲邨
小杉榲邨 【こすぎ・すぎむら】 4件の用語解説(小杉榲邨で検索) Tweet 朝日日本歴史人物事典 の解説 生年:天保5.9(1834) 没年:明治43.... |
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栗田寛
幕末水戸藩に仕えた国学者・歴史学者。『大日本史』において最後まで未完であった「表」「志」を執筆した。号は栗里。幼名は八十吉。初名は利三郎。栗田健男... |
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谷川士清
江戸時代の国学者である。通称は養順。字は公介。号は淡斎。伊勢国の津(現、三重県津市)の医者の家に生まれたので、京都に出て医学を学ぶ傍ら、玉木葦斎か... |
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杉山和一
伊勢国安濃津(現在の三重県津市出身の検校。鍼の施術法の一つである管鍼(かんしん)法を創始するとともに、鍼・按摩技術の取得教育を主眼とした世界初の視... |
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杉山平助
日本の評論家。大阪市生まれ。慶應義塾理財科中退。1925年小説『一日本人』で生田長江に認められ、文芸評論などを書く。1931年から『東京朝日新聞』に氷川烈... |
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小沢蘆庵
江戸時代中期の歌人、国学者。父は小沢喜八郎実郡(実邦ともいわれる)。一時、本庄家に養子に入り本庄八郎と称した。名は玄仲(はるなか)、玄沖。通称は帯... |
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鈴木孝雄
日本の陸軍軍人。軍事参議官・陸軍技術本部長・第14師団長・砲兵監を歴任し、階級は陸軍大将勲一等功三級に至る。現役を退いてから靖国神社第四代宮司及び大... |
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鈴木直之進
鈴木直之進(すずきなおのしん、生年不詳-明治4年(1871年))は幕末期の剣客。名は明光。陸奥国遠田郡大貫村(現・大崎市)に生まれた。小野派一刀流を学び... |
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家老
武家の家臣団のうち最高の地位にあった役職で、複数人おり、合議によって政治・経済を補佐・運営した。 |
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杉山元
大日本帝国陸軍軍人。元帥陸軍大将、陸軍大臣、太平洋戦争開戦時の参謀総長。福岡県出身。陸軍士官学校12期。陸軍大学校22期。陸軍大臣、参謀総長、教育総監... |
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杉田玄白
江戸時代の蘭学医。若狭国小浜藩(福井県)医。私塾天真楼を主催。父は杉田玄甫、母は八尾氏の娘。諱は翼(たすく)、字は子鳳、号は鷧、晩年に九幸翁。杉田... |
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杉森孝次郎
杉森孝次郎(すぎもりこうじろう、1881年(明治14年)4月9日-1968年(昭和43年)12月8日)は日本の評論家・政治学者・社会学者。旧姓は白松(しろまつ)、号... |
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プロフィール
鈴鹿連胤(すずかつらたね、寛政7年10月29日(1795年12月10日)-明治3年11月20日(1871年1月10日))は、江戸時代末期の神官、国学者である。幼名は幸松。号は誠斎、尚褧舎。謚号は成功(いさお)霊神。京都吉田神社(京都市左京区)の社家に生まれる。父は隆芳、母は左京亮立入(藤原)経康の女。鈴鹿家は本姓中臣氏( 中臣金連の男、吉子連の後裔と伝える)、代々神主吉田家の家老職を務める家であった。8才で父隆芳を亡くすと、同族の鈴鹿通益を後見として母と祖母に養われた。文化元年(1804年)、10才で初めて神祇権少祐に任官して以来神祇官の役職を歴任し、同9年(1812年)からは筑前守を兼任、同13年(1816年) ...
官職位階等履歴
| 文化元年(1804年)8月21日、従五位下に叙位、神祇権少祐に任官(10才)。 |
| 文化8年(1811年)2月19日、従五位上に昇叙(神祇権少祐如元)(17才)。 |
| 文化9年(1812年)(18才)。 |
| 2月21日、筑前守兼任。 |
| 6月5日、神祇権大祐に昇進(筑前守如元)。 |
| 文化13年(1816年)(22才)。 |
| 1月30日、吉田神社権祝に補任。 |
| 9月24日、正五位下に昇叙(神祇権大祐兼筑前守如元)。 |
| 文政元年(1818年)3月25日、卜部に改姓(24才)。 |
| 文政7年(1824年)(30才)。 |
| 6月6日、中臣に復姓。 |
| 12月19日(1825年)、従四位下に昇叙(神祇権大祐兼筑前守如元)。 |
| 文政11年(1828年)10月3日、卜部に改姓(34才)。 |
| 天保3年(1832年)5月24日、中臣に復姓(38才)。 |
| 天保4年(1833年)6月26日、神祇権少副に昇進(兼筑前守如元)(39才)。 |
| 天保7年(1836年)、鈴鹿家の家督を長男長存に譲り、吉田家を致仕(42才)。 |
| 天保9年(1838年)3月21日、従四位上に昇叙(神祇権少副兼筑前守如元)(44才)。 |
| 弘化2年(1845年)(51才)。 |
| 10月11日、卜部に改姓。 |
| 12月1日、中臣に復姓。 |
| 嘉永元年(1848年)(54才)。 |
| 2月19日、卜部に改姓。 |
| 12月5日、中臣に復姓。 |
| 安政元年(1854年)11月11日、正四位下に昇叙(神祇権少副兼筑前守如元)(60才)。 |
| 安政2年(1855年)10月20日、吉田神社正祢宜に昇補(61才)。 |
| 安政6年(1859年)3月4日、吉田神社権預に昇補(65才)。 |
| 慶応2年(1866年)4月7日、従三位に昇叙(72才)。 |
| 明治3年12月26日(1871年)、吉田神社権預職を辞任。 |
| 卜部への改姓が頻繁に行われているのは、神祇官において亀卜の任に担ったためである。 |
参考文献
| 宮地直一・佐伯有義監修『神道大辞典縮刷版』、臨川書店、1969年ISBN4-653-01347-0(初版は平凡社、1939年)。 |
| 『神道人名辞典』神社新報社、1986年ISBN4-915265-56-0。 |
| 國學院大學日本文化研究所編『神道事典』、弘文堂、1994年ISBN4-335-16023-2。 |
| 薗田稔・橋本政宣編『神道史大辞典』、吉川弘文館、2004年ISBN4-642-01340-7。 |
| 鈴鹿連胤『神社覈録(復刻版)』、思文閣出版、1971年ISBN4-901339-06-0(初版は皇典講究所、1902年)。 |
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1804年
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10才で初めて神祇権少祐に任官して以来神祇官... |
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1811年
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従五位上に昇叙(神祇権少祐如元)(17才) |
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