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つながりの強いひと
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伊能忠敬
江戸時代の商人・測量家である。1800年(寛政12年)から1816年(文化13年)まで、足かけ17年をかけて全国を測量し大日本沿海輿地全図を完成させ、日本国の歴... |
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松村任三
松村任三(まつむらじんぞう、1856年2月14日〔安政3年1月9日〕-1928年5月4日)は日本の植物学者。東京帝国大学理学部植物学教室教授、付属小石川植物園の初代... |
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徳川光圀
江戸時代の常陸国水戸藩第2代藩主。水戸黄門としても知られる。諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。また神号は「高譲味道根之命」(たかゆずるうま... |
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間宮林蔵
間宮林蔵(まみやりんぞう、安永9年(1780年)-天保15年2月26日(1844年4月13日))は江戸時代後期の隠密、探検家である。近藤重蔵、平山行蔵と共に「文政の... |
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林子平
江戸時代後期の経世論家。高山彦九郎・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人。名は友直。のちに六無齋主人と号した。 |
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司馬江漢
江戸時代の絵師、蘭学者。浮世絵師の鈴木春重(すずきはるしげ)は同一人物。本名は安藤峻。俗称は勝三郎、後に孫太夫。字は君嶽、君岡、司馬氏を称した。ま... |
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森幸安
江戸時代 中期に活躍した 地図 考証家。これまで謎のカルトグラファーと理解されてきたが徐々にその全貌が明らかになってきている。彼の製作した日本輿地図... |
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行基
日本の奈良時代の僧。677年4月に生まれたという説もある。僧侶を国家機関と朝廷が定め仏教の一般民衆への布教を禁じた時代に、禁を破り畿内を中心に民衆や豪... |
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野口雨情
日本の詩人、童謡・民謡作詞家。本名は野口英吉。茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)出身。 |
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立原翠軒
立原翠軒(たちはらすいけん、延享元年6月7日(1744年7月16日)-文政6年3月4日(1823年4月14日))は江戸時代中期~後期の水戸藩士。学者として5代藩主徳川宗... |
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藤田幽谷
江戸時代後期の儒学者・水戸学者・民政家。水戸城下で古着商藤田屋を営む与右衛門の次男、母は根本氏の娘。祖父に與左衛門。子に藤田東湖。常陸水戸生まれ。... |
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マテオ・リッチ
マテオ・リッチ(MatteoRicci,1552年10月6日-1610年5月11日)はイタリア人イエズス会員・カトリック教会の司祭。中国名は利瑪竇(りまとう、LìMǎdòu)。フラ... |
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谷文晁
江戸時代後期の日本の画家。江戸南画の大成者であり、その画業は上方の円山応挙、狩野探幽とともに「徳川時代の三大家」に数えられる。名は正安。はじめ号は... |
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大槻玄沢
仙台藩の支藩一関藩(田村氏領)出身の江戸時代後期の蘭学者。名は茂質(しげかた)、字は子煥(しかん)。磐水(ばんすい)と号す。『解体新書』の翻訳で有... |
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石黒信由
江戸時代の越中の和算家・測量家、天文家。通称は藤右衛門。 |
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高橋景保
江戸時代後期の天文学者。通称、作左衛門。天文学者である高橋至時の長男として大坂に生まれた。渋川景佑の兄。文化元年(1804年)に父の跡を継いで江戸幕府... |
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名越
師事
神奈川県鎌倉市大町にある旧地名。名越切通し、名越隧道、名越踏切にその地名が見える。京浜急行バスの鎌30~31系統(鎌倉~緑ヶ丘入口、逗子)に、名越停留... |
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沼尻墨僊
江戸時代後期の地理学者、天文学者。傘式の地球儀を製作したことで知られる。現在の茨城県土浦市生まれ。 |
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李承晩
朝鮮の独立運動家で、大韓民国の初代大統領(在任1948年-1960年)。本貫は全州李氏。号は「」(ウナム、)。字は「承龍」(スンニョン、)。日本ではかつて「... |
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プロフィール
- 長久保赤水とは
- 略歴
- 改正日本輿地路程全図
- 関連サイト
長久保赤水(ながくぼせきすい、本名:玄珠、俗名:源五兵衛、享保2年11月6日(1717年12月8日)-享和元年7月23日(1801年8月31日))は、江戸時代中期の地理学者、漢学者である。常陸国多賀郡赤浜村(現在の茨城県高萩市)出身。農民出身であるが、遠祖は大友親頼の三男長久保親政である。学問を好み地理学に傾注する。現在の静岡県駿東郡長泉町を領して長久保城主となり、長久保氏を称したとされる。1774年(安永3年)『日本輿地路程全図』(にほんよちろていぜんず)を作成。この修正に努め、1779年(安永8年)『改正日本輿地路程全図』を大坂で出版し、その普及に努めた。この間水戸藩主 徳川治保の侍講となり、藩政 ...
略歴
| 1717年、常陸国多賀郡赤浜村(現在の茨城県高萩市)の農家に生まれる。 |
| 1732年、鈴木玄淳の私塾に入り漢詩などを学ぶ。 |
| 1735年、水戸藩の儒学者、名越南渓に師事。 |
| 1753年、松岡七友として水戸藩から賜金を給せられる。 |
| 1760年、東北地方を旅し旅行記『東奥紀行』を著す。 |
| 1767年、長崎行きを命じられる。 |
| 『長崎行役日記』『安南漂流記』『長崎紀行』を著す。 |
| 1768年、水戸藩の郷士格(武士待遇)に列せられる。 |
| 1774年、ほぼ日本沿岸の地形に合った『日本輿地路程全図』を作成。 |
| 1777年、水戸藩主徳川治保の侍講となり、江戸小石川の水戸藩邸に住む。 |
| 1778年、建白書『農民疾苦』を上書する。 |
| 1779年、『改正日本輿地路程全図』を刊行。 |
| 1786年、藩命により『大日本史』の地理志の編集に従事する。 |
| 1801年、赤浜村で死去。 |
改正日本輿地路程全図
| 『改正日本輿地路程全図』は、1774年(安永3年)に長久保赤水が自ら作成した『日本輿地路程全図』(にほんよちろていぜんず)を修正し、1779年(安永8年)に初版を大坂で出版した地図。 |
| 日本人が出版した日本地図としては初めて経緯線が入った地図で、作成者名から通称『赤水図』と呼ばれる。 |
| これ以前に、江戸時代中期頃の地図考証家森幸安によって描かれた『日本分野図(日本地図)』にも経緯線が入っており、この地図にならって経緯度線を入れて出版したとされる。 |
| 『幸安図』も『赤水図』も、当時未開拓であった北海道は描かれていない。 |
| また、緯線には緯度が記載されているが、経線には経度は記載されておらず、京都御所を基点に経線が引かれていると考えられる。 |
| 『幸安図』や後に作成される伊能忠敬の地図なども、京都を基準に経線が引かれている点で共通点が見られる。 |
| 10里を1寸としているので、縮尺は約130万分の1となる。 |
| 6色刷で、蝦夷(現在の北海道)や小笠原諸島・沖縄を除く日本全土が示されている。 |
| 赤水図は、伊能忠敬の地図より42年前に出版され、明治初期までの約100年間に8版を数えた。 |
| 伊能の地図はきわめて正確であったが、江戸幕府により厳重に管理されたこともあって、この赤水図が明治初年まで一般に広く使われた。 |
| 実測図ではないので、沿岸部のほとんど全てを測量した伊能の地図には劣るが、20年以上に渡る研究の末、完成した地図は、当時としては驚異的な正確さといわれている。 |
| 赤水図は広く出版されたためドイツ国立民族博物館のシーボルト・コレクションや、イギリス議会図書館など海外の博物館等にも多く収蔵されており、当時の欧米において日本を知る資料として活用されていたことが伺われる。 |
| 現在、日本と韓国の間で領有紛争となっている竹島が当時の名称「松島」で記されており、日本の領有を裏付ける資料としてしばしば引用されている。 |
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1717年
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常陸国多賀郡赤浜村(現在の茨城県高萩市)の... |
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1732年
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鈴木玄淳の私塾に入り漢詩などを学ぶ |
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長久保赤水さんについてのひとこと紹介
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