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つながりの強いひと
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長井真琴
長井真琴(ながいまこと、1881年(明治14年)7月28日-1970年(昭和45年)8月8日)は大正~昭和期の仏教学者。文学博士(東京帝国大学)。福井県丹生郡殿下村... |
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藤波辰爾
日本のプロレスラー。本名は藤波辰巳。大分県出身。血液型はO型。ニックネームは「ドラゴン」もしくは「ドラゴン藤波」。第77代NWA世界ヘビー級王者。一時期... |
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長州力
山口県徳山市(現:周南市)出身のプロレスラー。血液型O型。在日韓国人2世である。海外遠征時のリングネームはリッキー・チョーシュー。ニックネームは「革... |
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アレクサンダー大塚
日本のプロレスラー、総合格闘家。本名は同じ。徳島県徳島市出身。アレクサンダー大塚というリングネームが最も知られている。アレクサンダーの名は、大塚が... |
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中村良三
日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。米内内閣の内閣参議。青森県弘前市出身、旧弘前藩士で医師の中村春台の二男。五歳の時、親類の中村了三の養子... |
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有馬正文
大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍中将。鹿児島県日置市出身。 |
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大西瀧治郎
大西瀧治郎(おおにしたきじろう、1891年6月2日-1945年8月16日)は旧日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。兵庫県氷上郡芦田村(現・丹波市青垣町)出身。海... |
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宇垣纏
宇垣纏(うがきまとめ、1890年(明治23年)2月15日-1945年(昭和20年)8月15日)は日本海軍の軍人。岡山県赤磐郡潟瀬村(現・岡山市)出身。太平洋戦争開戦時... |
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岡田啓介
日本の軍人、政治家。階級は海軍大将。勲等は勲一等。功級は功三級。海軍大臣(第14・18代)、内閣総理大臣(第31代)、拓務大臣(第7代)、逓信大臣(第37代... |
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矢野英雄
日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。香川県観音寺市出身。 |
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木村昌福
日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。静岡県生まれ。現場叩き上げの指揮官として太平洋戦争の海上戦闘で数々の武勲を立てたが、特に「奇跡の作戦」といわれ... |
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醍醐忠重
日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。東京都千代田区出身。侯爵。 |
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岩淵三次
日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。新潟県三条市出身。 |
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鈴木貫太郎
日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。位階は従一位。勲等は勲一等。功級は功三級。爵位は男爵。海軍軍令部長(第8代)、枢密院副議長(第14代)、枢密院... |
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前田稔
前田 稔 (まえだ みのる)
■専門分野 実務家教員・弁護士(鹿児島県弁護士会)/元検察官 ■最終学歴・学位 東京大学法学部卒業 法学士 ■主な経... |
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プロフィール
長井満(ながいみつる、1895年(明治28年)1月16日-1978年(昭和53年)12月13日)は、昭和期の大日本帝国海軍軍人。最終階級は従四位勲二等海軍少将。福井県丹生郡殿下村(現福井市)出身。長井斎藤別当実盛の後裔と伝える浄土真宗勝鬘寺の長井真応住職の四男。長兄に仏教学者 長井真琴博士、三兄に真向法の 創始者として知られる長井津がいる。弟の長井洗は陸軍中佐。
略歴
| 東京府立第四中学校を経て、11月、海軍兵学校(45期)を卒業。 |
| 卒業席次は89名中5位(首席は皇族の名誉席次であり、実質上の4位)で、優等生として恩賜品を下賜されている。 |
| 8月1日、海軍少尉に任官。 |
| 12月1日には海軍大尉に昇進。 |
| 、海軍水雷学校高等科を卒業、優等生(1名)に選ばれ、またも恩賜の栄に浴する。 |
| 12月、日米開戦時にはカムラン湾に進出(9日)、31日ダバオに警泊し、翌年1月4日、サマール島に陸戦隊を揚陸して全島を占領した。 |
| 4月5日、第4潜水隊司令となり、6月5日のミッドウェー作戦の陽動作戦を兼ねてアリューシャン侵攻に参戦。 |
| 21日、同隊所属の伊号第二六潜水艦が、カナダ本土の太平洋岸バンクーバー島エステヴァン岬にあるカナダ軍の無線羅針局を14センチ砲で砲撃した。 |
| 23日には、自らが座乗する伊号第二五潜水艦がオレゴン州アストリア要港に入り、スティーブンス海軍基地へ14センチ砲で砲撃を行った。 |
| いずれも敵軍の被害は軽微なものであったが、スティーブンス基地はパニックに陥り、反撃さえできない有様であった。 |
| この攻撃は、1812年にイギリスの軍艦が米軍基地に砲撃を加えて以来の米本土に所在する軍事基地に対する攻撃であり、その後現在に至るまで外国軍による米本土の基地への軍事攻撃は行われていない。 |
| 現在同地には、「1812年以来、初めて米本土の軍事基地に対する砲撃を受けた場所」と記された記念碑が建っている。 |
| 戦後は大阪に住み、兄長井津の真向法普及運動に協力したり、陶器商、プロパン会社員、郵便局員等の職を転々とするかたわら、戦没した回天搭乗員の慰霊・顕彰に尽力した。 |
| 3月21日、東京都中野区高円寺の根津会館における回天関係者の会合の席で回天顕彰会の設立を発議し、同年7月20日、同会発足にあたり三戸寿らとともに副会長に就任(会長は元第六艦隊司令長官清水光美)、のち大阪支部長をも務めた。 |
| 11月20日には、同会によって山口県徳山市(現周南市)に回天記念館が創立され、竣工式では委員長を務めている。 |
| 6月には大阪水交会会長となり、同年10月23日、同会主催の近畿二府四県海軍戦没者合同慰霊祭が高松宮宣仁親王の臨席のもと大阪中央公会堂にて催行された際には、祭主として祭文を読み上げている。 |
| 1月31日、東京テレビ『あヽ戦友、あヽ軍歌』(第29回)に出演し、回天の歴史を解説した。 |
| また、旧第一特別基地隊司令部の跡地にほど近い波多見八幡山神社の拝殿内陣には、同年8月22日、同社境内に『嗚呼特殊潜航艇の碑』が建立された折に奉納された自筆の『正気の歌』の額が保存されている。 |
年譜
| 明治28(1895).1.16-生。 |
| 大正6(1917).11.24-海兵45期卒(89名中第5席)・任海軍少尉候補生・磐手乗組。 |
| 大正7(1918).7.11-山城乗組。 |
| 8.1-任海軍少尉。 |
| 大正8(1919).9.25-八雲乗組。 |
| 大正9(1920).5.21-薄雲乗組。 |
| 12.1-任海軍中尉・海軍砲術学校普通科学生。 |
| 大正10(1921).5.20-海軍水雷学校普通科学生。 |
| 12.1-海軍潜水学校普通科学生。 |
| 大正11(1922).5.30-第39潜水艦乗組。 |
| 12.20-第57潜水艦艤装員。 |
| 大正12(1923).3.20-第57潜水艦乗組。 |
| 12.1-任海軍大尉・海軍水雷学校高等科学生。 |
| 大正13(1924).12.1-呂59潜水艦乗組。 |
| 大正14(1925).12.1-出雲分隊長。 |
| 昭和2(1927).1.20-横須賀鎮守府附。 |
| 4.1-呂20潜水艦長。 |
| 昭和3(1928).12.10-第2潜水戦隊参謀。 |
| 昭和4(1929).6.25-横須賀鎮守府附。 |
| 11.30-任海軍少佐・呂56潜水艦長。 |
| 昭和6(1931).3.1-呂56潜水艦長/呂54潜水艦長。 |
| 4.1-呂56潜水艦長。 |
| 12.1-伊1潜水艦長。 |
| 昭和8(1933).11.1-保津艦長。 |
| 昭和9(1934).5.15-軍令部出仕/部員/第3艦隊司令部附/漢口駐在。 |
| 11.15-任海軍中佐。 |
| 昭和10(1935).11.15-第26潜水隊司令。 |
| 昭和11(1936).11.2-佐世保鎮守府参謀/長崎要塞参謀。 |
| 昭和13(1938).8.20-艦政本部出仕/艦政本部造船造兵監督官/大阪監理官/神戸監理官。 |
| 11.15-任海軍大佐。 |
| 昭和14(1939).7.1-艦政本部出仕/艦政本部造船造兵監督官/呉鎮守府出仕/大阪監理官/神戸監理官。 |
| 11.15-第18潜水隊司令。 |
| 昭和15(1940).11.1-横須賀鎮守府附。 |
| 12.10-第6艦隊司令部附。 |
| 12.21-第7潜水隊司令。 |
| 昭和16(1941).10.15-長鯨艦長。 |
| 昭和17(1942).4.5-第4潜水隊司令。 |
| 10.1-摂津特務艦長。 |
| 昭和18(1943).2.2-第2航空戦隊司令部附。 |
| 2.12-隼鷹艦長。 |
| 12.3-隼鷹艦長/鹿島艦長。 |
| 昭和18(1943).12.9-隼鷹艦長。 |
| 12.25-佐伯海軍航空隊司令。 |
| 昭和19(1944).5.1-任海軍少将。 |
| 7.7-呉鎮守府附。 |
| 7.10-第1特別基地隊司令官。 |
| 昭和20(1945).3.1-第2特攻戦隊司令官/光突撃隊司令。 |
| 6.20-第2特攻戦隊司令官。 |
| 11.30-予備役。 |
| 昭和37(1962).7.20-回天顕彰会副会長。 |
| 昭和53(1978).12.13-没(83歳)。 |
参考文献
| 『あヽ戦友あヽ軍歌』東京12チャンネル、1971年。 |
| 『回天』回天刊行会、1976年。 |
| 『日本海軍潜水艦史』日本海軍潜水艦史刊行会、1979年。 |
| 板倉光馬『続・あヽ伊号潜水艦-水中特攻隊の殉国-』光人社NF文庫、1996年。 |
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1812年
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イギリスの軍艦が米軍基地に砲撃を加えて以来... |
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